N e w  Y o r k B l o w -NYでもタコ焼きを焼く英国人へ- -92ページ目

女の辛さ

先週、相方とキャメラ・チャットをしようと、
いつもの時間にログインした状態で待っていた。

相方は予め判っている要件で遅れる時は、
その旨メールや前日に連絡をしてくれるのだが、
当然突発的な帰り掛けに上司に誘われて食事に行ったり、
今手掛けているプロジェクトの展開案を考えたり、
それについてのソフト・ウェアの開発の話をしたりする事もあるので、
そういう時はもう来ないだろうと思う、
ある程度の時間まで待ちログアウトする。

それから「KICK!」と標題に記したメールに、
何しとんじゃあ、ごるあぁぁぁぁぁっ!ってなジョークの、
(ジョークなんだよ、これは。←間違いの無いように!)
フレーズが入ったメールを書いて送信したら、
また調べ物をしたり色々しなきゃならない事をして寝る。

でも先週のは、全く違った予想外の展開だった。
相方はいつもの(ウェブでの)待ち合わせの時間よりも、
15分程遅れてログインして来た。
15分程の遅れは普通だったが「どしたの?」と聞いた後の答えは、
私達二人の息を止めるような物だった。

相方の今の職場の「ドリーム・チーム」の一員である、
インド人のカリームさんという人が居て、
カリームさんの奥さんのサミーンのお父さんが亡くなったというのだ。
普通なら、「じゃ、直ぐにインドに帰らなくちゃダメだね」となるが、
彼女はアメリカに残るというのだ。

私は「ええっ!」と驚いた。
相方はすかさず「彼女、妊娠してるからダメなんだよ」と言った。
私は、「ああっ、そうか...」と即座に反応した。
私は相方の言葉を聞くと共に逆算の計算をして、直ぐに答えが出た。
そう、彼女は今妊娠8ヶ月になっていたのだ...。

妊婦経験のある人なら少しは聞いた事が有るかも知れないが、
差異こそあれ大抵妊娠7ヶ月以上の妊婦は、
航空機での移動は一般と比べて母体への危険度が高まるのと、
機内での突然の出産に対応できないという理由で搭乗を断られる。

勿論チケットを取っていても搭乗の際に必ず母子手帳や、
診断書などで確認されて初めて搭乗ゲートを潜れる事となる。
例えチケットを持っていても、
搭乗ゲートで妊娠期間を理由に断られたとしても、
航空会社を訴える事は出来ない。

相方はプロジェクト・マネージャーという立場で採用したことと、
カリームさんは相方の元の職場での同僚だったということ、
そして何より大切な友人だということは周知の事実だった為、
プロジェクトの仲間から集まったお金を預かったので、
そのお金で枕花を送る為の手配をしていたためにログインが遅れたといった。
私はそれを、ただ黙って聞くしかなかった。
彼女の気持ちを考えると、言葉が出なかった。

サミーンは結婚を機に、アメリカに移民して来た。
結婚して既に4年目に入った今年、待望の子宝に恵まれた。
元々サミーンはインドで内科医をしていたが、
インドとアメリカの医師免許制の違いの為、
医師に復職する為にアメリカで学校に通い、
休みの間は図書館で自習をしていた。

去年、一昨年と夏の間D.C.で一緒に過ごしたが、
彼女は本当に勉強熱心な人で、本当に尊敬出来る人だった。
うちは午前中に洗濯、アイロン掛け、靴磨きなど家事をして、
昼には相方がランチに毎日帰って来てたのでランチを作り一緒に食べ、
午後から相方が会社に戻っていくと同時に宿を出て、
彼女と私は図書館に歩いて出掛けて行った。

これが私達の日課だったが、14時から17時までびっちり勉強し、
帰りに途中のスーパーに寄って晩ご飯の買い物をしつつ、
カレーやナンは勿論、サモサなどの作り方を教えて貰ったりして、
異文化料理を教わるのはとても楽しかった。

だから単に相方から話を聞く同僚の奥さんの話とは違い、
親しくした時間が長かったのもあって居ても立っても居られない位になり、
カリームさんは元々NJの南の方に家を構えていると聞いていたので、
相方にカリームさんの家の住所を聞き一人でも訪ねて行こうと思ったのだ。

翌日取材先の都合で早めに取材を切り上げる事になったので、
今晩か明日に訪ねようと思い昨日焼いておいた柔らかビスケットと、
普通のとうさぎの型で抜いたショート・ブレッドを家に取りに行って、
昨日調べておいた地図を持って車を走らせサミーンを訪ねた。

サミーンには仕事で近くを通ったから寄っていいかと途中で電話して、
シティから1時間半ほどドライブしてから着いた家は、
一昨年に立てられたばかりの新築の家だった。
車を家の前に止めて玄関の呼び鈴を鳴らすと、
笑顔一杯のサミーンが「遠いのに!」と迎えてくれた。

高速を降りた直ぐに花屋を見つけたので、
そこで仕入れたのが今日だというバラの花を2ダース買い、
それを自分で活けるのを手伝う積りだったので簡単に包んで貰ったそれを持ち、
同じく自作のお菓子を持ち招かれるままに中に入った。

サミーンはインド風に紅茶、チャイを淹れてくれるというので、
その間に私はバスルームに行くついでにバケツに水を張りバラを浸け、
戻ってから持ってきたお菓子を一緒に食べようと、彼女に手渡した。
サミーンは学生時代イギリス系の学校に通っていたらしく、
お茶の時間にイギリスのお菓子を食べるのが好きだといっていたので、
これを持って来たと言うと箱を開けるなり「嬉しい!」と喜んでくれた。

私達は去年の夏以降結局会う機会を逃してしまい、
1年3ヶ月ぶりの再開だったのでその後如何していたかを、
ゆっくりとお茶を飲みながら話し出した。
私は最初にお父さんの話をした方がいいと思って居たので、
真っ先にお悔やみを言った。
サミーンは精神的に未だ不安定でこの話は辛いと言った。

サミーンはお父さん子で結婚してからも毎年半年位、
インドから両親を招いてその間彼等の家で同居していた。
今年は秋口まで両親が滞在していたので、
今年はD.C.で会う事が出来なかったがまた近々会いたいねと言ってた矢先、
サミーンのお父さんの訃報を聞いたのだ。

お父さんは突然の心臓発作で、苦しむことも無くそのまま亡くなり、
まだ62歳の若い生涯だったそうだ。

お腹の赤ちゃんの話にもなったが、やはりどうしても残念だと思うのが、
この子を見せてやれなかったことだと、サミーンはお腹を摩りながら涙した。
私も相方も、共に母国を離れてこのアメリカで暮らす身。
サミーンと同じ悲しみを自分も味わう可能性が高いのを知るからこそ、
私も涙せずには居られなかった。

今回特に感じたのは矢張り「女」というのは、
何に付け不利な立場になりがちだという事。
今回だってサミーンは妊娠中期までなら直ぐにインドに帰る事が出来た。
だが彼女は妊娠8ヶ月で、飛行機に乗ることすら許されない。

勿論彼女が危険を顧みなければ誓約書と共に空を飛ぶ事が出来ただろうが、
待ち望んで漸く授かった子供。
そんな事は出来る筈も無かった。
只管遠く離れたこのアメリカという土地から、
亡き父の亡骸を見る事も無く祈る事しか出来ないのだ。

私がサミーンを訪ねたのは一緒に泣くためじゃなく、
彼女を元気付けて、彼女に元気な赤ちゃんを産んで貰う為。
ただ楽しい事だけを考えてといい、私が居る間だけでも楽しく過ごせるよう、
単なるバカ話、日本・インド・アメリカでの出産の違いや、最近取材した面白い話、
兄弟から聞いたバカ話や、出産祝いの品物の値段やお返しの仕方とか、
日本・インド・アメリカと色々な違いを見つけたりして爆笑に次ぐ爆笑で、
結局二人共相棒が居ない平日だったので夕飯を一緒に作り食べる事にした。

外食でも良かったが、トイレが近い妊婦特有の身体の変化を考慮して、
サミーン宅で簡単な物を作って食べる方が楽だったから、
二人で近所のスーパーに足らずを買い出しに行って、
二人とも大好きなシーフード・カレーを作った。(ってか、作って貰った)

カレーにはご飯を炊いて、それとサラダとサモサを一緒に食べた。
(サモサはサミーンの作り置きの冷凍の物を、揚げた)
爆笑のバカ話と、既に買い集めたベビー用品を見せて貰いながら、
まだ買ってない物で、欲しい物をベイビー・シャワーの時に持って行くから、
リストが出来たらリンク先を送ってねと言うと笑顔でわかったと答えてくれた。

彼女の笑顔と私とバカ笑いしている姿を見て、
私は漸くホッとした。
早めの食事にしたから20時過ぎにはサミーン宅を離れる事が出来たので、
22時前には余裕で安堵して帰って来れた。

そして翌日、伯母の訃報に接した私。
サミーンの件は何かの予兆だったのかもしれないと思いつつ、
急遽日本へ行く事になった。
サミーンは突然の訪問にも拘らずとても楽しかったと後でメールをくれたので、
行った甲斐が有ったと思った。

だけど同じ境遇にになったにも拘らず、
何の不自由も無く意図も簡単に母国へ移動出来る自分の運の良さを、
強く感じずには居られなかった。
そして女であることの辛さを痛感した。

何時、そんな境遇に遭うかと思っていたら、こんなに早くなってしまった。
だが、海外に住む誰もが直面する深刻な問題には変わりない。
私達みたいな移民で一定の年齢に達した人にとっては、
間に合うなら何としてでも間に合わせたい時だ。
夫々に生活があり、個々の事情も有るだろうが、
極論で言えば、これに間に合わないなら帰る意味も無いとまで言える。

サミーンの場合は結局出産後に帰る事にしたらしいが、
彼女の心境を考えたら、今でも胸が痛むどころか張り裂けそうだ。
私の場合は伯母だが、大の仲良しで大好きだった実父だ。
私の悲しみの比にはならないだろう。

だけど悲しんでばかりいないで、
生まれてくる子供をお父さんの生まれ変わりとして、
大事に育てていくと彼女が言った言葉が母としての強さを表していて、
心撫で下ろさせてくれた言葉だった。