N e w  Y o r k B l o w -NYでもタコ焼きを焼く英国人へ- -313ページ目

灯りの消えた夜

昨晩、友人の奥さんが入院しているので、
お見舞いの為に病院を訪れた。
すると、彼女が落ち込んでいた。
聞けば、昔から付き合いの有った、
アン・バンクロフトが亡くなったのだという。
それも、同じこの病院で...。

アン・バンクロフトは、1932年ニューヨークのブロンクスで、
イタリア移民の両親の元に生まれた。
子供の頃から女優になる夢を持ち、
その夢叶って女優を生業と出来た。

演劇学校やサークルで演劇を学んだ後、
ハリウッドデビュー。
だが作品に恵まれなかった為地元ニューヨークに戻り、
あのアクターズ・スタジオで学び、
58年にアーサー・ペン演出の舞台劇、
「二人でシーソーを」でトニー賞を初受賞した。

翌年に再度ペンが演出した「奇跡の人」のサリバン先生役が当たり、
トニー賞の2年連続受賞を達成した。
舞台で好演した為「奇跡の人」の映画版でも同じ役を演じ、
62年にアカデミー主演女優賞を獲得。
67年には、映画「卒業」のロビンソン夫人役を好演し、
オスカーとトニーの両方を受賞した、
8人の内の1人に数えられる名女優となった。
 
「女が愛情に渇くとき」、「卒業」、「愛と喝采の日々」、
「アグネス」でアカデミー賞に幾度と無くノミネートされ、
「エレファント・マン」「大いなる遺産」(98年版)等の作品に出演し、
幅広い役を演じ分けられる“知的な演技派スター”として、
長年に渡って活躍を続けた。
 


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舞台「二人でシーソーを」で、共演のヘンリー・フォンダと 1958年

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舞台「奇跡の人」(プレイハウス劇場)で、パティ・デュークと 1959年

anne5 「にゃん!jなーんてね...「奇跡の人」より

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映画「卒業」で、ダスティン・ホフマンと 1967年  

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ユルユル中。グリニッチ・ヴィレッジの当時の自宅にて 1963年  

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タイム・マガジン75周年パーティにて、 夫・メル・ブルックスと 1998年
とても仲の良い、ご夫婦でした

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試演中に肺炎に罹った為中止になった、幻の舞台「Occupant」 2002年
 

4年位前にパーティで紹介して頂き話をさせて頂いてから、
何度も個人的に会って下さった。その後色々話して頂いた時、
「未だにみんな、ロビンソン夫人の方を高く評価するのよ」、
「私は、アレよりもっと良い別の仕事をしたのにねぇ」と言っていた。
確かに彼女の世界的な知名度を上げたのは「卒業」だが、
彼女自身の中での演技の質を測る物差しでは、
サリバン先生の方が遥かに高く位置付けられていた様だった。



★★私の好きな彼女の作品★★
奇跡の人  
The Miracle Worker  (US版)


奇跡の人  (日本版)






トーチソング・トリロジー ENTERTAINMENT COLLECTION GOLD  
Torch Song Trilogy (US版)


トーチソング・トリロジー (日本版)
 





How to Make an American Quilt   (US版)


キルトに綴る愛  (日本版)






もっともっと活躍して欲しい「成熟した女優」の一人だっただけに、
本当に残念でならない。
最近忙しくて連絡しておらず、入院も知らなかった。
子宮ガンだったと聞いたが、もしかしたら長い事気付かないまま、
悪くなってたのかもしれない。
子宮関係の病気の初期は自覚症状が無いだけに、
気付いた時には遅すぎたという事が多い。
本当に残念だ...。
 
73歳という年齢は決して若いとは言えないが、
かといってもう十分というほど枯れては居らず、
まだ期待度が高かっただけに、
強く悔しさが募る。
ほんの短い期間の付き合いであったが、
彼女との時間を持てて本当によかった。 


安らかにお眠り下さい。