5 years later
先週末日本から帰宅後直ぐ同僚から電話があって、
スーツケースも解かず土産だけを持って仕事へ出た。
たーっぷり飛行機の中で寝たので眠くは無かったが、
流石に空港から直行ってのはお断りしたが、
どうせ眠れない夜を明かすなら仕事をした方が紛れるのも確かなので、
その方が良いと思ってシティの家に戻り、
いつもの取材道具一式を取ってから出掛けた。
今年は5年という区切りのいい数字だったので、
よりメモリアルの印象の強い式典を市は用意していた。
同僚の進めていた遺族への取材も断りまくられてる分が幾つか有って、
時間的にもうどうにもならない分を手伝う事になったが、
それよりも急ぎの分が有るって言われて、
そっちを優先する事になった。

WTC跡に花を供える遺族
テロがあった一年後、最も難しい遺族への取材を担当した。
「あなた達に話す事なんか無いわ!」
「帰れっ、二度と来るんじゃない!」
「未だ、取材なんて受けられない」
「来週なら話せるかもしれないから、来週来てくれ」
どのドアをノックしても、快く受け容れてくれる家族は皆無だった。
最初は何とか話を聞き出せればと思っていたが、
それどころか気持ちはダウン寸前。
それでも何とか頼み込んで何軒かの遺族と話をして、
何時間潰れてもいいから兎に角彼等の話を聞いて、
それから私の考えている事や伝えたい事を理解して頂き、
コメントを取らせて頂く手順や段取りを説明し、
彼等の気持ちが落ち着いてから、キャメラの前に座って頂いた。

WTCに歩いて行くブルームバーグ、ブッシュ夫妻達
今年は遺族担当じゃなかったから、大した事は無かったとも言える。
でもそれは、既に担当した事が有るからだ。
それも、最も感情が鎮まっていない一年目。
どんな罵声を浴びせられようが何をされようが、
兎に角話を聞かせて欲しいと頼み込んで漸く取材に応じて頂いた。
遺族にすれば非道以外の何物でも無いと判りつつも、お願いした。

フットプリントの場所で祈るブッシュ。ニューヨーカーの本音は、
「お前、どの面下げて戻って来たんだよ」って感じ。
あの年の取材で、改めて取材するしんどさを感じたのは確かだ。
戦争遺族の取材をし、戦後何十年と経っているにも拘らず、
遺族は昨日の事の様に覚えているという事も体験した。
或る病気が原因でそれに罹患した人を取材し、
日毎に衰弱していくその患者さんを看取っていった事も有った。
小児がんに冒されている4歳の子供の取材をし、
ほんの10分程前まで元気に会話を交わしていたのに、
突然倒れてそのまま還らなかった事も有った。
それらを経験しても尚、キャメラを向け続ける私達。
兎に角話をさせて頂かない事には、どうにもならない。
だから真剣に一言一言を噛み締めて、
遺族一人一人が真に訴えたい事を理解し、
それを編集で消さないように繋いで仕上げる。
こうして言葉で書いてしまえば淡々とした物に聞こえるが、
編集する迄が最も辛く長い。


現在のWTC。再建工事が、ゆっくりとでは有るが進んでいる。
誰もが亡くした家族と過ごした時間の一秒一秒を、
一年のうちで最も慈しみ愛しく思うこの時期、
見ず知らずの他人に土足で踏み込まれたくないと思うのは当然だ。
だからこそ色んな形での罵詈雑言を吐きたくなるのも、
もし自分が遺族だったらと思えば簡単に判る事だ。
だからこそ例え色んな遺族の取材をしろと言われても、
彼らの言いたい事、感じている事を、
きちんと伝える為にもっと深く理解したいと思うし、
彼らの意図を100%伝える事が出来なかったとしても、
それに近い状態にする為には一語一句に神経を尖らせて、
意図を逸れぬよう編集する事が私の仕事だ。

WTCの瓦礫は現場から運び出され、ケネディ空港に移送されている。
勿論立入禁止区域に置かれている。
例え何本もVを量産出来たとしても、
遺族の意図から外れる様な編集で仕上がったものなんて、心の痛みに耐え、
涙を流しながら取材に応じてくれた遺族の意思でも何でも無いからだ。
こういう形で互いに自分を殺ぎ落としていかねばならない取材が、
互いに楽しく思える事は無いと判っている。
だけど、私達は公に記録を残していかねばならない仕事をしている。
だから何をしてもいいとは思っていない。
でもそれと同時に相手に痛みを耐えて取材に応じて貰おうと思うなら、
意図も巧く掴みそれをより多くの人に伝えていかねばならないと思っている。
それが血と涙を流し乍らも私の要望に応えてくれた、
彼等への返事になると思っているからだ。

セント・パトリック教会で343本の米国旗を持った消防隊員達。
343本の旗は9/11に亡くなった消防隊員の数。
そしてそういう人達との何らかの繋がりを、
長く持っていたいと思うのだ。
話す方は辛さをおして話して下さり、再び辛さを噛み締める。
だからこそその辛さ、痛みを人間として共有したいと思う。
勿論そういう事が出来るかどうか、相手がそう思うかどうかは別としても、
それで少しでも軽くなればいいと思うし、
そうする事によって、私は彼等に育てられていく。
そしてその過程で、彼等が私を1ミリでも理解してくれればと思う。
最初は相容れない存在でも、時を経てそれが深まればと思うのだ。
日本で仕事をしてきた私の遣り方はここでは特別かもしれないが、
アメリカのマスコミは日本以上にスポンサーの言いなりで、
且つ日本以上に数字を取る為なら何でもするきらいがある。
同僚が倫理に反するような事をして平気な顔している奴も居るし、
取材対象に平気で嘘を吐いて自分勝手な解釈でVを作って、
O.A.後に全く話が違うと連絡が来ても全く相手をしない奴も居る。

ワン・リバティ・プラザのファミリー・ルームから見えるWTCの現場。
未だに帰って来ない家族の写真やメッセージが貼られている。
それは単にVを作って出したいと言うだけの場合も有るが、
背景まで含めたくないという意図も見え隠れするし、
簡単に済ませたいという作り手の自己中が表に出ていて、
私にすれば論外だ。
今回のテロについては色々な利権が絡んで、
NY市、港湾当局、消防、警察、国家、政治家等々、
未だに真相が見えない様にされている部分が沢山有り、
時間を経て取材をする度に歯痒い思いをするばかりだ。
日本には全く伝わらない部分なので(というか伝えない部分)、
こういう状況で取材していると如何に自分が、
「外国人であるか」をまざまざと感じる事が多い。

約3,000本の米国旗が立てられた、アッパー・ウェスト・サイドのインウッド・ヒル・
パーク。旗の数は9/11に亡くなった犠牲者の総数を表す。
今回のテロはアメリカだから起こった事件であって、
日本なら?イギリスなら?インドなら?中国なら?と何度も思ったが、
何か何時まで経っても溶け込めない感が何処かしらに残っている。
気のせいかもしれないが何か薄いヴェールに掛けられている様な、
幾ら近寄ってもしっくり来ない感じがずっと有る。
だけど60年前に日本に落とされた原爆同様、
こんな事で沢山の人が死んではならないと思う点では、
西洋人の彼等も東洋人の私も同じ意見だ。
だが60年前以降、何も学習しなかったアメリカ。
今回こそきちんと学習するか否かが、
自国民を今後もテロの危険に曝すかの境目だという事を、
学ぶべき点だと言う事に未だ気付いていない人が多いのが、
今のアメリカなのだ。
「櫂を失くした国」
それが今のアメリカだ。

現在のWTC跡。下の図案は、現在建築中のフリーダム・タワーの配置図。
(クリックすると拡大版が見られます)
スーツケースも解かず土産だけを持って仕事へ出た。
たーっぷり飛行機の中で寝たので眠くは無かったが、
流石に空港から直行ってのはお断りしたが、
どうせ眠れない夜を明かすなら仕事をした方が紛れるのも確かなので、
その方が良いと思ってシティの家に戻り、
いつもの取材道具一式を取ってから出掛けた。
今年は5年という区切りのいい数字だったので、
よりメモリアルの印象の強い式典を市は用意していた。
同僚の進めていた遺族への取材も断りまくられてる分が幾つか有って、
時間的にもうどうにもならない分を手伝う事になったが、
それよりも急ぎの分が有るって言われて、
そっちを優先する事になった。

WTC跡に花を供える遺族
テロがあった一年後、最も難しい遺族への取材を担当した。
「あなた達に話す事なんか無いわ!」
「帰れっ、二度と来るんじゃない!」
「未だ、取材なんて受けられない」
「来週なら話せるかもしれないから、来週来てくれ」
どのドアをノックしても、快く受け容れてくれる家族は皆無だった。
最初は何とか話を聞き出せればと思っていたが、
それどころか気持ちはダウン寸前。
それでも何とか頼み込んで何軒かの遺族と話をして、
何時間潰れてもいいから兎に角彼等の話を聞いて、
それから私の考えている事や伝えたい事を理解して頂き、
コメントを取らせて頂く手順や段取りを説明し、
彼等の気持ちが落ち着いてから、キャメラの前に座って頂いた。

WTCに歩いて行くブルームバーグ、ブッシュ夫妻達
今年は遺族担当じゃなかったから、大した事は無かったとも言える。
でもそれは、既に担当した事が有るからだ。
それも、最も感情が鎮まっていない一年目。
どんな罵声を浴びせられようが何をされようが、
兎に角話を聞かせて欲しいと頼み込んで漸く取材に応じて頂いた。
遺族にすれば非道以外の何物でも無いと判りつつも、お願いした。

フットプリントの場所で祈るブッシュ。ニューヨーカーの本音は、
「お前、どの面下げて戻って来たんだよ」って感じ。
あの年の取材で、改めて取材するしんどさを感じたのは確かだ。
戦争遺族の取材をし、戦後何十年と経っているにも拘らず、
遺族は昨日の事の様に覚えているという事も体験した。
或る病気が原因でそれに罹患した人を取材し、
日毎に衰弱していくその患者さんを看取っていった事も有った。
小児がんに冒されている4歳の子供の取材をし、
ほんの10分程前まで元気に会話を交わしていたのに、
突然倒れてそのまま還らなかった事も有った。
それらを経験しても尚、キャメラを向け続ける私達。
兎に角話をさせて頂かない事には、どうにもならない。
だから真剣に一言一言を噛み締めて、
遺族一人一人が真に訴えたい事を理解し、
それを編集で消さないように繋いで仕上げる。
こうして言葉で書いてしまえば淡々とした物に聞こえるが、
編集する迄が最も辛く長い。


現在のWTC。再建工事が、ゆっくりとでは有るが進んでいる。
誰もが亡くした家族と過ごした時間の一秒一秒を、
一年のうちで最も慈しみ愛しく思うこの時期、
見ず知らずの他人に土足で踏み込まれたくないと思うのは当然だ。
だからこそ色んな形での罵詈雑言を吐きたくなるのも、
もし自分が遺族だったらと思えば簡単に判る事だ。
だからこそ例え色んな遺族の取材をしろと言われても、
彼らの言いたい事、感じている事を、
きちんと伝える為にもっと深く理解したいと思うし、
彼らの意図を100%伝える事が出来なかったとしても、
それに近い状態にする為には一語一句に神経を尖らせて、
意図を逸れぬよう編集する事が私の仕事だ。

WTCの瓦礫は現場から運び出され、ケネディ空港に移送されている。
勿論立入禁止区域に置かれている。
例え何本もVを量産出来たとしても、
遺族の意図から外れる様な編集で仕上がったものなんて、心の痛みに耐え、
涙を流しながら取材に応じてくれた遺族の意思でも何でも無いからだ。
こういう形で互いに自分を殺ぎ落としていかねばならない取材が、
互いに楽しく思える事は無いと判っている。
だけど、私達は公に記録を残していかねばならない仕事をしている。
だから何をしてもいいとは思っていない。
でもそれと同時に相手に痛みを耐えて取材に応じて貰おうと思うなら、
意図も巧く掴みそれをより多くの人に伝えていかねばならないと思っている。
それが血と涙を流し乍らも私の要望に応えてくれた、
彼等への返事になると思っているからだ。

セント・パトリック教会で343本の米国旗を持った消防隊員達。
343本の旗は9/11に亡くなった消防隊員の数。
そしてそういう人達との何らかの繋がりを、
長く持っていたいと思うのだ。
話す方は辛さをおして話して下さり、再び辛さを噛み締める。
だからこそその辛さ、痛みを人間として共有したいと思う。
勿論そういう事が出来るかどうか、相手がそう思うかどうかは別としても、
それで少しでも軽くなればいいと思うし、
そうする事によって、私は彼等に育てられていく。
そしてその過程で、彼等が私を1ミリでも理解してくれればと思う。
最初は相容れない存在でも、時を経てそれが深まればと思うのだ。
日本で仕事をしてきた私の遣り方はここでは特別かもしれないが、
アメリカのマスコミは日本以上にスポンサーの言いなりで、
且つ日本以上に数字を取る為なら何でもするきらいがある。
同僚が倫理に反するような事をして平気な顔している奴も居るし、
取材対象に平気で嘘を吐いて自分勝手な解釈でVを作って、
O.A.後に全く話が違うと連絡が来ても全く相手をしない奴も居る。

ワン・リバティ・プラザのファミリー・ルームから見えるWTCの現場。
未だに帰って来ない家族の写真やメッセージが貼られている。
それは単にVを作って出したいと言うだけの場合も有るが、
背景まで含めたくないという意図も見え隠れするし、
簡単に済ませたいという作り手の自己中が表に出ていて、
私にすれば論外だ。
今回のテロについては色々な利権が絡んで、
NY市、港湾当局、消防、警察、国家、政治家等々、
未だに真相が見えない様にされている部分が沢山有り、
時間を経て取材をする度に歯痒い思いをするばかりだ。
日本には全く伝わらない部分なので(というか伝えない部分)、
こういう状況で取材していると如何に自分が、
「外国人であるか」をまざまざと感じる事が多い。

約3,000本の米国旗が立てられた、アッパー・ウェスト・サイドのインウッド・ヒル・
パーク。旗の数は9/11に亡くなった犠牲者の総数を表す。
今回のテロはアメリカだから起こった事件であって、
日本なら?イギリスなら?インドなら?中国なら?と何度も思ったが、
何か何時まで経っても溶け込めない感が何処かしらに残っている。
気のせいかもしれないが何か薄いヴェールに掛けられている様な、
幾ら近寄ってもしっくり来ない感じがずっと有る。
だけど60年前に日本に落とされた原爆同様、
こんな事で沢山の人が死んではならないと思う点では、
西洋人の彼等も東洋人の私も同じ意見だ。
だが60年前以降、何も学習しなかったアメリカ。
今回こそきちんと学習するか否かが、
自国民を今後もテロの危険に曝すかの境目だという事を、
学ぶべき点だと言う事に未だ気付いていない人が多いのが、
今のアメリカなのだ。
「櫂を失くした国」
それが今のアメリカだ。

現在のWTC跡。下の図案は、現在建築中のフリーダム・タワーの配置図。(クリックすると拡大版が見られます)