思い出の場所 | N e w  Y o r k B l o w -NYでもタコ焼きを焼く英国人へ-

思い出の場所

3254

今日、大阪で老舗百貨店が店じまいした。
その名は、三越百貨店。
今日5月5日19時前、
3世紀を越える315年の歴史に幕が下ろされた。

友人に頼んで、写真を送って貰った。

1691(元禄4)年に大阪・高麗橋に、
呉服店「江戸駿河町・越後屋」の出店として大阪店を開業。
並びには北浜の証券取引所、周辺は証券会社が集まる、
証券の街として発展した中にあって色違いの商いを行っていた。
戦後は売場の一部が進駐軍に接収された事もあり、
正に山あり谷ありの315年だった。

大阪でもキタとミナミの繁華街に挟まれた特異な位置に有った為、
客足を取り込みが出来ず、この20年程は赤字続き。
その間阪神大震災の被害を受け、売り場面積を大幅に縮小。
3年前の2002年に全面改装したが、
落ち込んだ売り上げを挽回するには程遠い物となり、
連続する赤字を止める事は出来なかった。

三越は、ウチで一番利用している百貨店だった。
だから、東京時代も大阪時代もうちで百貨店と言えば、
「三越」を指していた。
東京の家ではいつも外商さんが定期的に来てくれて、
何か探す時はよく担当さんの手を借りて探していた。
自力で探し出すのだが、場合に因れば外商さんの力無くしては、
成り立たない事も多々有った。
そして、その度に深々と担当さんに頭を下げた。

今や馴染みや得意で買う事の無くなった世の中。
全てが1円でも安いところで買うといった、
刹那な取引が大多数だ。
「安さ」が全てなのだ。
店員との接点を持ちたいと思うのは、価格交渉の時だけだ。

うちは昔から酒屋・米屋・味噌屋、
そして百貨店の御用聞きが来ていた。
勿論、こんな事は昔の家なら何処の家でも有った事だ。
ちょっと値が張っても、地の利を活かしたサービス代だと思えれば、
今の量販店のような値での買い物が出来なくても、納得出来た。
だが、今はもうそういう考え方自体が出来なくなっているのだ。
 
商品は何処で買っても同じメーカー品。
だから、一銭でも安い所で買おう。
理由は実に明快。
でも、そこに人間と人間の繋がりは無い。
配達して貰った時に、お茶や茶菓子を出して一息入れて貰ったり、
小一時間世間話をして、近所の情報を仕入れたり。
「人との付き合い」は、薄れていく一方だ。
それは百貨店でも同じだった。
 
御用聞きとは言うものの三越の外商さんは、
扱う品の違いからたまに来るだけだったが、
在宅を確認して、色んな物を持って来られた。
何も買わない時もあれば、複数点買う事もあったし、
専ら持ってきて貰ったりする事の方が多かった様に思う。
 
勿論本店に出掛けた時には外商を通して購入するので、
正札より幾らか引いてくれる。
そして売場から連絡がすぐ行くので、
担当さんが会社に居られる時は、
直ぐに売場に降りて来て買い物が終わるまで、
アドバイザーとして付いて下さり、
その日の買い物が滞りなく済む様に彼是気を配って下さる。
買い物が済めば食堂街に行き、食事をして帰って来た。
三越に行った折には、バカの一つ覚えみたいに、
オムライスを食べた。子供の頃からの習慣の一つだ。
 
今はもうそんな事は出来ないが、NYでも同じ事をして居る。
店に行ったら特定の人を訪ね、その人に売り上げを付ける。
日本と違い売り子一人一人に勘定が付くので、
私が飴玉一個でも買えば、その勘定はその人に付く。
だから当たり前だが、彼らも私達に丁寧に接する。
仲良くなっていると色んな事を特別に教えてくれたり、
ちょっとした事なら無料で引き受けてくれるし、
取り置きも前金無しで受けてくれる。
 
私には、ちょっと値が張っても、青臭いと言われても、
こういう方法の方が合ってるんだろうと思う。
やはり一見の客みたいに金ばかりでは、全てを計れない。
自分を大事にしてくれる所が無くなるのは寂しいが、
今からプロジェクトが本格始動し、三越は梅田へやって来る。
再開まで6年も有るので一旦社員は全員解雇されるそうだが、
ヨドバシの横に移ってきた時には、是非本領発揮として欲しい。
 
百貨店のリストラ強化を叫ばれるこの頃、
如何にして「使う余裕の出てきた金」を使わせるか、
梅田という土地にだけ頼るのではなく、
アイデアやブランドを強化して貰いたい。
そして「NYまで来て...」って言ったら、来て欲しい。(嘘)
高麗橋の旧店舗は分譲マンションになる予定で、
2011年、延べ316年目に向かって、
三越は再開予定。

3254-2    3254-3    3254-4