思わず「すごいー」とよく、つぶやいていますか?
 

 

 

誰かの活躍を見て「すごいなー」と思った。
 

尊敬や憧れ、感動。

素直な、すごいなという気持ちは

 

とても素晴らしいことだと思う。

 

 

 

ただ、「すごい人」や「すごいこと」を

 

作り出すことは、同時に

 

 

「すごくない人」

 

「大したことないこと」を

 

自分が作り出していないかということに

 

 

気づく必要がある。



その中には、
 

「自分はすごくないかもしれない」

という、うっすらとした自己否定も隠れていることもある。

 

 

誰かを「すごい」と思ったとき、

 

私たちは無意識に物差しを手にしていることがある。

 

実績、影響力、人気、収入、能力…。

 

その物差しは、他人を測ると同時に

 

自分自身も測ってしまう。

 

「私なんてまだまだだ」


「もっと努力しなきゃ」


「このままじゃダメだ」

 

そうやって、今の自分を置き去りにしながら

 

未来の「もっとすごい自分」を追いかけ続けてしまう。

 

 

でも本当は、存在しているだけで十分に「すごい」

 

私たち一人ひとりが、「今ここに生きている」こと自体が、

 

どれだけ奇跡的なことか・・・

 

私たちが、生まれてくる確率

まず、父親の数億の精子の中から

 

たった一つの精子が卵子と結ばれた確率。


その時点で、すでに数億分の1。

 

でも、それだけじゃない。

 

その前に、両親が出会っているという奇跡。


さらにその前に、祖父母、そのまた祖先たちが

 

何十万代も命をつないできたという歴史。

 

 

しかも、地球という星に命が生まれ、

 

人間という種が誕生し、

 

環境が整い、

 

現代という時代に生きているという

 

全ての条件が重なっている。

 

 

これらの条件をすべて掛け合わせると、

 

人が生まれてくる確率は、

 

1京分の1以上

 

もはや天文学的な奇跡!!!

 

 

だから、マジで、私たちって本当にすごいんですよ!!!

 

この確率を考えただけでも、

 

「私は大したことない」なんて思えなくなる。

 

 

私たちは、ただそこにいるだけで、

 

呼吸をしているだけで、本当はすでに「すごい」んだ。

 

何かを成し遂げなくても、

 

目立たなくても、特別なスキルがなくても。

 

 

生きているだけで、十分に価値がある。

 

 

 

「すごい人」なんて、本当はいないのかもしれない。


なぜなら、みんながそれぞれに、

 

すでに素晴らしい存在だから。

 

 

誰かの活躍も、今日をただ生き抜いたあなたも、

 

どちらも比べようがない光を放っている。

 

光は比べるものじゃない。


速さも、大きさも、色も、それぞれ違っていい。

 

どれもが、ただただ美しい。

 

「誰がすごくて、誰がすごくない」なんて、誰にも決められない。

 

 


「私は、私のままで素晴らしい」


「今日も、生きてくれてありがとう」

 

 

誰かを見上げる必要はない。


自分を見下げる必要もない。

 

ただ、自分をそのまま認めることができた時、

 

世界中が優しくなる。

 

 

みんなそれぞれに、かけがえなく素晴らしい。


あなたも、わたしも、この世界にあるすべてが、


すでに、そのままで美しい。






 

 

いつもありがとう🥰
愛を込めて❤️