あなたをサポートするブレスレット作りのワークショップにご参加いただきましてありがとうございました!


クリスタルからのヴァイブレーションを五感を使って、メッセージを受け取ったり石を組み合わせたり自分らしさがとても出たワークショップとなりました。

参加されたみなさんとても素敵なエネルギーの組み方をされていて、意図の仕方で同じ石とは、思えない違う一面を見せるのだなと驚きました。石のおもろしさは、限定しない無限の可能性をひめているところです。自然界の恩恵ですね。


今日は、中秋の名月です!

意識の焦点がはっきりとしてくるようなクリアではっきりとした美しい御月様がでていてびっくりしました。

お弁当を作り息子と夫と3人でクリスタルを連れてときがわの山のてっぺんにいきました。

行く時にグリーンの親指位のアンダラがポケットからちょうど出てきたので、一緒に浄化しようとタオルに包みなおしてカバンに・・・

山の頂上に着き

ベンチに石を置いた時アンダラのクリスタルがポロッと草むらに落ちた気がしたのですが、暗かったせいもありみあたらず気のせいかな?。。。

食欲には、勝てずお弁当を食べることにしました。しばらくして石の浄化も終わり山を降りようと歩きはじめました。

夫が来ない。。

私は、とてもせっかちなのでさっさと歩いていると夫がやっと降りてきて

ねーねー、グリーンのガラスが落ちていてさ懐中電灯でみつけたんだけどなんであんなところに落ちてんだろ??・

はっとその言葉でアンダラだと気がつき、やっぱり石が落ちてたんだ!きずいて良かったなーと取りに戻るとアンダラの石の一部分がかけてふたつになっていました。

どういうことだろう??

とさっそく瞑想してみると、欠けた方は、ここにいたいという事でした。

えー!行ってしまうのと何度も聞きなおしましたが、同じ答えでした。

夫に話すとすかさずいいとこあるよそこに埋めてくると言うので最後に息子と夫と3人で挨拶をしてアンダラは、旅立ちました。

アンダラは、

オブシディアンの一種と言われていますが、その正体は謎に包まれているようで1967年、レディ・ネリーという女性により発見された覚醒の石と言われて
いています。

ブルーやレッドやホワイトと様々な色がありますが、どれも吸い込まれるような透明さがあり宇宙意識をチューニングし身体とスピリットを統合し自分のもつ魂の偉大さを思い出させてくれるようなエネルギーです。アンダラという言葉の語源は、レムリアの寺院という意味があるようです。










家の玄関においてあるローズクオーツに虹が入っているのに、今日気がつき、いつの間に、入ったんだろうとうれしくなりました。

ローズクオーツは、言うまでもなく愛の石です。

気持ちがすり切れそうにおれている時、愛に関するトラウマ、自己愛に関することなどパーフェクトに働いてくれます。


最近つくずく、自己愛と自己信頼が大事だなと感じています。でもこの自己信頼を、生活の中で実践し続ける事は、とても難しいです。

他者と自分を比較したり、それなりに求められている事に結果を出して行かないと生き残れない現実を目の前にすると、自分を責めたり駄目な部分、不足な部分にフォーカスしすぎてしまうと、自分は、ダメだと葛藤を抱え込むことになります。

結果現実の流れをとめてしまうのです。


お寺の師匠に仏像では、なく自分の中にある神が、宇宙万物と繋がっているんだよ。

だから自分を信頼する事が自分の中の神の領域に繋がって流れを作るんだと言われてから日常の中に取り入れることに意識をおくようにしています。

自己愛と自己信頼

身近すぎてごくごく当たり前の事に目をむけて生活していくとおもしろいくらい流れが出て行きます音譜







今日から梅雨明け! 夏到来ですね。

 


飯田橋でのミニセッション、暑いところお越し下さりありがとうございました。

 



関東では、7月13日~16日までお盆時期に入っていますが、先祖供養についてやお墓にまつわる質問を受ける事があり今日もそんな内容が出てきていたので、少し書いてみようかなと思います。

 


 

様々な観点からの先祖供養の見方ありかたがありますよね。

 


私は、人の人生に先祖の家系がどのように影響するかとても興味があり、霊的法力に優れた密教のお寺で修行させてもらったり、修験で行をしたその中で体験したり、見てきた仏教寄りの見方が強いです。



 

ズバリ先祖供養は、お墓詣りなどがとても大切です。


私達の人生に影響します。


よく病気になったり人生がうまくいかないのは、先祖があがってないからだという事を言う人がいますが、先祖は、子孫である私達を痛めたり呪ったり基本しません。


 

でも、ご先祖さんの想いが残ってしまっていてわかってほしいという気持ちからサインを出したり格式やありかたが厳格な家系は、こうあるべきと主張する場合があります。

 


亡き霊に鎮魂の想いをこめて手をあわせるそれが先祖供養の基本です。



偉い御坊さんにお経を読んでもらわなくても日々の生活の中で心をむけることが供養になります。


手を合わせるという事は、心をむける慈しみの心を養うともいわれます。

 


これは全くの私的な想いですが、最近は、みな簡略式になってお墓わざわざいかなくてもエネルギーで行ったことにすれば通じるじゃない!というのも事実ですが、肉体をもってせっかく生まれてきているのだから身体を使って想いを伝えるという事を大切にしたいなと想います。







家に帰ると、ときがわではお祭りで花火があがっていました。

 


 


明日は埼玉県八潮でセッションを行います。

 


どうぞよろしくお願いいたします。

 


 


感 謝