12月になりました。本日もとっても寒い一日でした。雪

また最近、頭痛や胃腸がおかしくなって寝込んでいたりしたのですが、少し落ち着いたのでブログを書きます。

 

皆様も、お身体をご自愛くださいね。本当に体があまり強くない自分から言える事は、元気であることの素晴らしさ、有難さを感じています。えーん

 

今年度を振り返って見ると1月に辛い気持ちになってから、自信を失ってしまうとなかなか元に戻せなくて、ずーっと暗いところ、海の底みたいなところをぐるぐるしていたような日々でした。季節が変われば…と気を持ち直そうともしたのですが、なかなか気分が上向きにならず、あがいていました。

 

本日は、絶対に受けたいと思ったセッションに出向くことにしました。これでもかというほど着込んで、着膨れていましたが、それでも胃腸が時折痛くて、不安でしたがどうしても自分を立て直したくて。

 

すごく嬉しかったのは、大天使ラファエルさんからのメッセージでした。

私自身が、私らしく在ることが何よりも大切なことで、それは神(自然)に許されている、愛されているのだというような内容でした。

 

私は、昔から要領が悪くて、うわべだけの愛想を振りまく事も苦手だし、人に言われた言葉を真に受けてすぐに凹んでしまうし、人付き合いも苦手。思ったことも言いたい事も、我慢して飲み込んでしまって、ずっと自分の中にため込んで、どんどん自分を苦しめて、追い込んでしまう性格。

 

だから、友達も少ないし、誰にも理解されなくて孤独な存在だなぁと常々思っていますが、ちゃんと愛してくれている人はいる。そんな不器用さをも、愛しいと思ってくれている人がいる。

 

クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」も少し前に観たのですが、映画のタイトルにもなっているこの曲が自分の胸を打つのは、人間は誰しも罪を背負っている。それであがこうとするが、それでも自分らしく生きたいと願っている。そこに共感するからではないか、と思います。フレディ自身は、セクシャリティについて葛藤していたようで、前半は自分の存在意義を否定したり、懺悔と後悔のような歌詞、そこから後半では一転して開き直ったような調子になっていくのが実に人間らしい。

 

人ぞれぞれ、抱えている問題は違えども、このような心境になることは誰しもあるではないでしょうか。

わたしには、この曲がそのような人たちへの救いのような感じがして好きです。ジャンルは違うのに讃美歌のように美しい曲だと思いました。

 

全ての人に愛されなくても、自分がこれでいいと思えるような、自分の為の最良な生き方を模索したいと思います。

 

そしてもう少し、肩の力を抜いていけたらいいなと思っております。キョロキョロアップ

 

自分のペースで少しずつ頑張ります。拙い文章で、更新頻度も低く、申し訳ない限りですがそれでもお読みになってくださる方々に愛と感謝を。ドキドキ

 

 

どうぞ、みなさまにとっての良き年末と新しい年をお迎えくださいね。