前回の blog では、
キリスト教は沢山の殉教者を出したということ、
その後キリスト教は戦争と侵略の歴史を繰り返したこと、
日本の徳川家康は、キリスト教を、
「命を軽んじる教え」と批判したこと、
などについて書きました。
今回は、その前回書いた内容について、
もう少し深く、
自分なりに気になることを書いてみたいと思います。
まず、キリスト教においては、
「殉教」という行為は、
とても素晴らしい行為と思われています。
しかし私は、この点について、
どうにも引っかかる部分があるのです。
というのは、キリスト教では、
自殺を禁じていますが、
殉教とは、
ある意味自殺行為ともとれる行為なのではないかと感じるからです。
改宗してでも生きながらえれば、
残りの人生で、
いくらでも奉仕や隣人愛を実践できるのに、
自分が天国に行きたいから、
あるいは地獄に行きたくないからという理由で死を選び、
神様から与えられた尊い命を失ってしまうとしたら、
それが本当に親なる神に対する孝行になるのでしょうか?
親は子供に、出来るだけ永く、
幸せに生きて欲しいと思うのではないか?
本当に神が死ねと言ったのか?
そこには、
支配者達によるmind control が介在していなかったと言い切れるのか?
ここが私がこだわりたいところなのです。
そして、もし、もし仮に、
殉教した人々が、
実は天国に行ってなかったと仮定してみましょう。
自分の命を犠牲にしてまで、
殉教の道を選んだ人達の魂が行き着いた先は、
天国からは遠い所で、
そこにはイエスもいなかったとしたら・・・
自分の思いが叶えられず、
さりとて地上に戻ることも出来ない、
無念の思いを抱いた魂は、
その後恨霊となり、
地上にいる Christian 達に、
何らかの影響を及ぼしたということは、
全くあり得ない話でしょうか?
キリスト教は、
まず Europe において発展しましたが、
その Europe 各国では、
まるで血を求めるかのように、
闘争、殺戮、戦争、紛争の歴史を形成しました。
そればかりか、
Europe の Christian 達は、
世界進出を進めていく際、
多くの人々を殺しています。
キリスト教は、
その平和思想の故に、
一方では人の心に平安を与えるという側面もあるけれども、
その一方で、
何か、血や、命の犠牲を犠牲を要求し、
戦いを求め続けるという側面も持つようになりました。
その「神と正義の戦い」を求め続ける宗教は、
最終的に、
史上最大級の大量破壊殺戮兵器を保有し、
「世界の警察」を自称し、
平和と民主主義の為の戦いと称しながら、
勝手に他国へ度々軍事介入し、
民間人を含めて多くの人々を殺し、
その背後で莫大な利益を上げる、
America 合衆国を出現させることになりました。
この国が、
その後日本との大きな関わりを持つことになるのですが、
そのことについては、
来年に入ってからでも、
もう少し深く考察しようと思っています。
キリスト教国家群は、平和を叫びながら、
闘争と殺戮の歴史を繰り返しました。
皮肉にも、世界史上類を見ない、
「Miracle of Peace」と呼ばれる、
260年にも渡る平和国家の礎を築いたのは、
キリスト教を一番弾圧した日本で、
その中心人物は、
徳川家康でした。
この、家康のことを、
「古ダヌキ」とか、
権勢欲の塊のように言う人もいます。
確かに、天下人にまでなった人であれば、
人一倍の権勢欲はあったかも知れません。
しかし、私は、この家康という人物には、
「戦国乱世を終わらせ、
争い亡無い、
平和統一国家を実現したい。」
という、理想と願いがあったと思うのです。
日本は一度、戦乱の世を通過しています。
幕府の政治が極端に利己的で、
民衆を圧政で苦しめたなら、必ずや、
国家転覆の動きが起ったでしょう。
民を思いやる政治なくして、
平和国家の実現はありえません。
そして、この、
家康の理念に共鳴した日本民族が、
幕府を盛り立てていったのではないかと思います。
そして、この、日本民族の理念こそが、
イエスの平和思想の理念に、
一番近かったのではないかと思うのです。
では、なぜ、日本民族の理念は、
それほどまでにイエスの思想に近かったのでしょうか?
私は、その理由の一つは、
イエス自身が、
仏道を学んだからではないかと思っています。
イエスの教えそのものは、
ユダヤ教より、仏教の教えに、
遥かに近いのです。
イエスが公生涯を出発したのは30歳ですが、
不思議なことに、
それ以前にイエスが何をしていたのか、
聖書にはほとんど記載がありません。
一説には、イエスは真理探究のために、
Silk Road を通ってインドや中国に行って、
仏教を始めとする、
東洋思想を学んだという説もあります。
こう考えると、日本人は、
キリスト教に対して抵抗がある人が多いけれども、
イエスに対しては好感を持っている人が多いという点についても、
合点がいくことになります。
ただ、
もしイエスが実は仏教徒だったなんてことになったら、
キリスト教こそが世界一の高等宗教で、
他の宗教は偽物と説くキリスト教支配勢力の言い分は、
完全に破綻してしまうことになります。
神国であり、仏国土であり、
仏教も、イエスの教えをも融和させてしまう potential を備えた民族。
世界に真の平和思想と、
共存共栄教発展を持たらしかねない民族。
世界の人々を、
自分達の足下に置いてひれ伏させたい支配勢力にとっては、
これほど憎たらしい民族は、
他に無いんじゃないでしょうか。