神さまの前でどこか息苦しさを、束縛を、不自由を感じてたんだ。


そんな自分をごまかし、ごまかしやってました。


でも苦しくなって、神さまに叫んだんだ。


苦しいです。もっと自由にしてください!



叫びながら、自分自身に自問しました。


自分は、何のために頑張ってるのか?


もっと愛されるため。


もっと祝福されるため。



神のことばに従えるときは、調子にいいって感じ、


神のことばに従えないときは、神から程遠く感じ、自分はダメだと感じ、


愛される資格ないって感じてた。



あ、おれ、宗教やってる。。。




いつのまにか忘れちゃうんだ。


キリストに従えるか従えないかで神の愛は一ミリも変わらないこと。


もう愛されるために祝福されるために従わなくていいんだ。


どんなに愛されてるかどんなに祝福されてるかを知るためにキリストと歩むんだ。



神のことばに従えない。そんな自分は愛されない。救われない。それが宗教。


神のことばに従えない。そんな自分が愛され、救われた!それがキリストの救い。恵み。



わかっているはずなのに、すぐ、キリストの救いをただの宗教にしちゃう自分がいる。


キリストこそ、僕を宗教から解放してくれたのに。



今を、キリストが与えてくれた自由に生きるんだ。



『キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。


ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを


負わせられないようにしなさい。』(ガラテヤ5:1)




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