☆LOVE&PEACE☆~日々の出来事~ -267ページ目

第5章 覚悟

詰所に行くと、30代とおぼしき女医が、祖母のCTの写真を眺めていた。

私と父に気づくと視線を私達に移し、「本城綾子さんのご家族ですね。」と確認を取った。

「はい、そうです。」と返事をすると、女医は

「先ほど綾子さんのCTを撮らせて頂きました林村です。」と私と父に一礼をし、説明を始めた。

「綾子さんの左脳は、病院に搬送されて来た時より更に腫れています。打ち身と同じで、その日よりも、次の日の方が脳も腫れて来ます。脳の腫れが引く点滴を1本から2本に増やそうと思いますが、ただリスクを伴うため、かなり心臓へ負担をかけることにもなります。綾子さんの場合、不整脈もあり、かなり心臓も肥大していますので、脳の腫れが仮に引いたとしても、今度は心臓を圧迫し、呼吸が止まったり、肺炎になる可能性も出て来ます。どうしましょうか。」

藁にもすがる思いで私は、

「お願いします。おばあさんを助けて下さい。先生にお任せしますので、最善の治療をお願いします。」泣きながら林村医師に懇願した。

「分かりました。今のところ尿は出ているようですが、り尿剤も投薬してみます。」

「お願いします。」父と最敬礼をして、祖母の病室へと戻った。

病室へ戻ると、叔父や叔母、妹夫婦や何人か親戚の顔が目に入った。

「どうだった?」皆が一斉に心配そうに聞いて来る。

私は俯き加減に「最善の治療をお願いしますと言ったけど、でも…覚悟しないといけないのかな。」と涙声で言った。誰も何も言わなかった。皆、最悪のことを考えたに違いない。病状は一時も油断を許さなかった。

祖母は時々目を開けるものの、相変わらず焦点が定まらず、ここはどこなの?という顔をして、病室の中をキョロキョロしたり、酸素ボンベから出る音を探したりしていた。

「おばあさん!」呼びかけてもすぐ目を閉じてしまう。脳の腫れがひどいせいなのか、祖母の顔が片方だけ歪んで来た。それでも祖母は必死に瞬きをし、焦点を定めようとしている。しかし、明らかに左右の目にも違いが出て来た。梗塞がある方の左目は、視神経が麻痺してほとんど開かなくなっていた。

祖母が倒れて24時間が経とうとしていた。前の日から一睡もしていないのに、不思議と眠気に襲われることはなかった。神経が高ぶっていた。昼から来てくれた叔母と私で、祖母の病室に昨晩から引き続き泊まることにした。

皆が帰った後は、病室に置いてある心電図のモニターの音だけが、部屋の中で響き渡っていた。

「また夜が来たね。」叔母が言った。

2日目の夜は看護師が病室に入って来ても、祖母にどんな処置を施すのか少し様子が分かって来て、気分的には叔母も私も幾分落ち着いていた。しかし1分1秒、モニターから目が離せなかった。血圧が急に下がっていないか、酸素飽和度は正常か、呼吸の数値は乱れていないか…。モニターは詰所でも医師や看護師にチェックしてもらっていた為その点は安心だったが、異常を知らせるアラームが鳴り、モニターが暗闇の中で赤く点滅すると、叔母と私は固唾を飲んで祖母を見守った。

看護師は誤嚥性肺炎を起こさないように、2時間おきにカテーテルで祖母の痰を吸引し、体位を換えてくれた。祖母は相変わらずいびきをかいたまま、意識は戻らなかった。
叔母は昨晩に引き続きの徹夜で、疲れているようだった。私は叔母に、
「休んでいいよ。私、おばあさん見てるから。」と声を掛けた。一睡もしてないとは思えないほど、眠くはならなかった。

叔母は笑って、「大丈夫よ。理緒ちゃんも少し休んだら?」と言った。

0時を過ぎ、日付が変わった。私の脳裏には、2~3日が山と医者に言われた言葉が依然として消えることはなかった。

今日で祖母が倒れて3日目を迎える。緊張の連続だったが、私は一縷の希望も捨てなかった。

ひたすら祖母に向かって、「おばあさん、おばあさん」と呼び続けた。

第4章 入院

祖母は88歳にして初めて病院に入院した。しかも命に関わる救急病棟に。本人も思いもしないことだっただろう。

看護師が何人かで、ストレッチャーで祖母を個室に運ぶのが見えた。

「本城様のご家族の方は、こちらの待合室でお待ち下さい。」

看護師に促され、詰所真向かいの待合室に案内される。その時看護師に、祖母が救急車で運ばれて来た時に身につけていた衣服や入れ歯、お守りを渡された。

私はビニール袋の中から、そっとお守りを取り出した。お正月に私が初詣に行った時、祖母に長寿のお守りを買って渡したものだった。祖母は紐をお守りに結び、首からかけられる長さにし、いつも身につけてくれていた。

「おばあさん、長生きしてね。」と祖母にお守りを渡した時のことを思い出し、ぎゅっと両手でお守りを握りしめた。

祖母の病室は315号室で、詰所に最も隣接している個室だった。部屋が詰所に隣接してる時点で、祖母の状態が危険であることは一目瞭然だった。待合室でも私は落ち着かなかった。心の準備も身辺の準備も出来てはいなかったが、私は病院に泊まり祖母に付き添うことにした。

「私、今日病院で泊まるから。」と両親に告げた。しかし祖母に万が一のことがあったらと考えると心許なく、結局叔母の幸子にも一緒に残ってもらうことにした。

「本城様、どうぞ部屋にお入り下さい。」看護師が待合室に呼びに来た。恐る恐る中に入り、私と両親、そして叔母と叔父と従兄弟の10人で祖母のベッドを囲んだ。

祖母の口から鼻にかけて酸素マスクが施され、腕には夥しい点滴の数が1本の針先へと向けられていた。血圧や心電図、呼吸数が一目で分かる機械もベッド脇に設置されていた。

「おばあさん」皆が口々に声にする。祖母は何も反応しないが、時々無意識に酸素マスクを左手ではずそうとしたり、左足を動かしたりしていた。右手右足は全く動かなかった。2人の看護師が手際よく祖母の血圧や体温を測る。

「熱は38.7度です。」看護師の言葉に、再び皆が心配そうに祖母を見守った。

1時間ほど経っただろうか。父が口を開いた。

「皆さん色々と有難うございました。今日はもう遅いですので、そろそろ…。後は理緒が残ると言っていますので、万が一のことがあればまたご連絡します。」

叔父や従兄弟が祖母に「おばあさん頑張ってね。」と激励を送った後、病室を後にして行った。最後に両親と叔母の幸子と私の4人が残ったが、沈黙のまま、祖母を見守った。しばらくして父が、

「お父さんとお母さんはこれで一旦帰るから、後をよろしく頼むね。何かあったら電話しなさい。」と言った。「うん、分かった。」と私は頷いた。

両親が病室を後にした時、時計の針は22時50分を指していた。

いよいよ叔母と2人になった。どちらからともなく、「おばあさん」と祖母に声を掛けるが、相変わらず反応はないままだった。血圧の数字がモニターで161-103を示している。

今夜を無事越えられるか…。口には出さないが叔母も私も内心そう思っていた。

1分1秒祖母から目が離せなかった。1時間おきに自動で血圧が測定される。祖母の血圧は150を下ることはなく、高熱のままだった。看護師が2時間おきにやって来て祖母の体の向きを変えてくれた。その度に「本城さん!」と呼びかけるが、祖母の反応はないままだった。叔母と私は一睡もせず、祖母に呼びかけ続けた。心の中でただひたすら祈るだけだった。

祖母は何とか持ちこたえ、一夜が明けた。

叔母が「おばあさん頑張ったね。」と弱々しい声で私に言った。

「うん。」と私は答えたものの、私の頭の中で2~3日が山ですと医者に言われた言葉が反芻していた。危険な状態がどこまで続くのか、先の見えない不安に私の気持ちはどんどん曇って行った。

私は深呼吸をして窓際の方に向かった。カーテンを開け、外を覗くと雪が降っていた。いつから降っていたのだろう?朝の7時だというのに辺りは薄暗い。うっすらと雪をかぶった山や、民家の瓦、病院に隣接する道路を目にしながら、祖母のことを思った。

祖母の一日は365日、化粧をすることから始まっていた。「化粧をしないと一日が始まらないの。」それが祖母の口癖だった。いつもと変わらず今朝も祖母は化粧をし、一日を迎えるはずだった。祖母の枕元へ戻り「おばあさん」とまた呼びかける。相変わらず反応はないままだったが、心配していると思い、母に「おばあさん頑張って朝を迎えたよ。」とメールを入れた。すぐに母から「よかった。一晩中心配だったわ。お父さん、今病院に向かって出掛けたところだから。」と返事が来た。

普通なら家から20分で病院に着くはずだが、雪の影響で車が渋滞していたらしい。母のメールから1時間経って、父がようやく到着した。

「おばあさんどうだ?」

「まだ意識が戻らないの。」

「そうか…。」

叔母も前の日から徹夜をして疲れているようだった。

「お父さんがいるから、帰って休んでいいよ。私は大丈夫だから、ずっとおばあさんのとこにいる。」

叔母は私の体を案じてくれたが、全く眠気も疲れも感じなかった。私の神経はすべて祖母に集中していた。

「1回帰ってまた来るわ。理緒ちゃんも少し休みなさい。」

叔母は私にそう言って、病室を後にした。

父と二人になり、私は視線を祖母の方に落としながら口を開いた。

「おばあさんあんなに元気だったのに、本当は苦しかったんじゃないのかな。心臓もあんなに肥大してたなんて、全然気がつかなかった…。おばあさん我慢強いから、家族に心配かけまいと、何も言わなかったんだね。みんなのために頑張りすぎたんだね。ごめんね、おばあさん。」とめどもなく溢れる感情を抑えながら、祖母に謝った。

「おばあさん、本当によくやってくれてたもんな。」父がぼそっと言った。

その時、祖母が目を開いた。

「おばあさん!」祖母に大きな声で呼びかけたのも束の間、また祖母はすぐに目を閉じた。意識がいつ戻るのか、それだけが心配だった。

家に帰った叔母から、「おばあさんどう?心配で横になるけど眠れないわ。」とメールが入った。その後も、知らせを受けた親戚が祖母に面会に来てくれた。昼前になり、大阪から従姉妹の久美子も祖母に会いに帰って来た。

久美子は祖母を見るなり「おばあちゃーん!」と言って号泣した。久美子も、祖母のことが大好きだった。

不思議なことに、久美子が帰った直後から、祖母は目を開ける時間が長くなった。が、誰か分かっているのかいないのか、焦点は覚束なかった。久美子と私の顔を交互に見比べている。

「おばあさん、分かる?」私がそう言うと、祖母はうーっと声を出そうとして咳込み、少し嘔吐してしまった。素早くナースコールのボタンを押し、「すみません、すぐ来て下さい!」と看護師を呼んだ。

走って看護師が2人でやって来た。祖母が嘔吐した汚物を拭き取り、シーツを取り変えた。その後、「これからCTを撮ります。」と看護師の一人が言った。酸素流量5㍑の酸素ボンベを祖母のベッドに積んで、病室から検査室へと移動して行った。

緊張の糸が走った。

「おばあさん大丈夫かな。状態が何か変わったのかしら…。」久美子と顔を見合わせた。父は平常心を保っていた。

1時間ほどして、祖母が病室に戻って来た。

「本城さん、先生からの説明がありますので、詰所まで行って下さい。」看護師に促され、私と父で詰所に向かった。

第3章 青天の霹靂

父と廊下に出るやいなや、叔母や従兄弟が集まって来て、「おばあさんどうだった?」と心配そうに聞いて来た。

「一瞬目を開けるんだけどまたすぐ閉じてしまって、呼んでも反応ない。」

「そうなの…。」親族の表情が一気に曇る。

「もう少ししたら、先生から検査の説明があるんだって。」と私が言った直後に、

「本城綾子様のご家族の方、先生から説明がありますので、中へお入り下さい。」と看護師に誘導され、再び私は父と共に、祖母のベッドまで向かった。

そこには眼鏡をかけた40歳前後の女の先生がレントゲンのフィルムを左手に持ち、険しい顔をしながら椅子に座っていた。私と父を見るなり立ち上がって、

「本日当直の岡田と申します。よろしくお願いします。」と一礼する。

「よろしくお願いします。」私と父も岡田医師に一礼をした。

「本城綾子様は失礼ですが、どなたにあたりますか?」

「私の義理の母になります。」と父が言った後で「祖母になります。」と私も続けた。

「そうですか。」と岡田医師が続ける。

「それでは早速ですが、ご説明に移らせて頂きます。本城綾子様の頭部CTとMRIを撮った結果ですが、重度の脳梗塞と診断されました。左脳の1/3~2/3が黒くなってるのが見えますでしょうか?」と岡田医師が指さしたレントゲンは素人が見てもはっきりと、右脳とは全く違った色や形をした左脳が写し出されていた。固唾を飲む私に、容赦なく岡田医師が説明を続ける。

「これが呼吸を司る脳幹ですが、綾子さんの場合、かなりの心臓肥大で不整脈も出ています。脳幹が圧迫され、その結果呼吸が止まるのも時間の問題でしょう。残念ですが、2~3日が山です。逢わせたい人に逢わせてあげて下さい。」

2~3日が山。逢わせたい人に逢わせてあげて下さい。目の前が真っ暗になり、その言葉だけがリピートして両耳の奥でこだましている。私の聴力はそこで限界を告げるかの如く耳栓をしたように蓋をし、岡田医師の声が次第に遠くなっていた。しかし、岡田医師の説明はまだ終わってはいなかった。

「通常であれば、1週間もすれば脳の腫れは治まります。それからリハビリが始まります。しかし今回綾子さんの場合は、右手右足が麻痺した状態ですので、なかなかリハビリまでは・・・」岡田医師が口をつぐんでしまった。そして僅かな沈黙の後、岡田医師が再び口を開いた。

「あっ、それから延命措置についてご家族の方でよく話し合っておいて下さい。これから、3Fの救命病棟に入院手続きを取ります。治療上、患者さんが暴れることがあるため、手足を軽く縛ることがありますが、それについての同意書を頂きたいと思います。よろしいでしょうか。」

「はい、お願いします。」

返事をしたのは父だけだった。

生まれて初めて青天の霹靂という言葉に遭遇した一瞬だった。