介護を終えて、改めて介護の難しさを考えてみた
一番しんどかったのは心も身体もしんどかったけどやっぱりその要因でもある、「時間の拘束」かな

多分窓口が「私ひとり」だったからだと思う
ケアマネさんをはじめ施設も病院からも窓口を絞るように言われた……
そうなると当時母と同居の姪っ子(妹の子)より必然的に当時住む階は違う長女の私に来るわけです。
そうすると自ずとなんでも頑張って、張り切ってこなしてしまっていました
電話もカンファレンスも全て私じゃないと駄目でした。
サ高住に入ってからも、カンファレンスをはじめ、消耗品の確認(買ってもいいか?とか持って来て下さいとか)、病院の受診についても判断を迫られた
その為、買い物の日も○曜日と○曜日に決めて連絡を極力避けてもらうようにしたり、行きたいライブも遠慮せずに行くようにした
これが唯一の逃げ場だったけど結局何かあると容赦なく電話はかかって来るし、頭の中はずっと母の事でいっぱいだった
なので、今介護頑張ってる方には口先だけではなく、心置き無く休めたり自分のやりたい事が出来るサポートを周りがしてあげて欲しいです。
本人はとにかく自然に張り切ってしまっているので、周りが見えなくなるんです
だから「私が見てるから行っておいで」
の一言が有難いです。
次にしんどかったのは
受け入れる施設が少ない事
特に母は病人だったので、入退院の繰り返しで、昨年病状が悪化してからは基本施設は「バルーン駄目」だけどそうかと言って療養型は「常に点滴してないと駄目」
とか本当に行く所が無くて家でも結局ヘルパーさんも一時間のみとなると絶対無理で困りました。
今の日本は年寄りはボケて元気な人しか入れない施設しか無くて、国が療養型を無くそうとしている所が間違ってると思う
次にしんどかったのはお金です



今考えたら良くやったと思うのですが、サ高住は月々22万円
これは安い方らしく、でもサ高住入居中、病院に入院しても部屋代7万円は支払わないと駄目でした
特養なんて何処もだいたい100人待ち
入れる頃には亡くなってますよ
その証拠に本当に入れる頃には母も敗血症になり、結局契約だけして、入居せず他界しました
そしてリハパン、パット、オムツ等の日常生活品が高額な上、かさばる物ばかりで、車いっぱい一人で積み込んだり、入院する度に施設から一人で運んだり……
控除が受けられるのも亡くなる数ヶ月前に知って、母が亡くなった時既に母の通帳はほとんど残高が無くなっていました
自分の年金と遺族年金だけでは
「施設入居」「毎月の受診と入院」「日常生活用品」等
は払えません
貯金しっかりしなきゃね

介護申請も三年に一度ですが、遅いです
認知症も進むし、出来なくなる事もあっという間です。
介護度で特養の順番も決まるらしいですが、三年なんて待てませんし、要介護4以上優先って、本当にその頃には間に合いませんから
こう考えたら
本当に介護って難しい
介護する方は時間、心、体力、お金を奪われます


その期間が短ければ良いけど、長年この状態が続くと、介護が終わった時、自分自身も歳をとり、周りとの距離を感じてしまいます。
その為には
国が動いて欲しいけど
周りの家族の一言
「今日は私がみるから」でも良いので声をかけてあげて欲しいです
