「足」は「必要量がある」という原理

→つまり、生命には、その状態に応じた「足りる量」がある。

 (日本に生息する植物の中で水を必要以上にため込むものはないように思う。また植物を育てるときに「水のやりすぎ」ということがある)

 これは「水」だけではなく、

  • 栄養

  • 温度

  • 酸素

  • 空間

などにも当てはまる。

そして人間にも、

  • 食事

  • 睡眠

  • 運動

  • 情報

  • 所有

  • お金

  • 刺激

  • 人間関係

などに「多ければ多いほど良い」とは言えない領域がある。

 そこから発展させて、

「足」とは、幸福感は絶対的なものではない、ということが言える。

(普段ほとんど水しか飲まない人が麦茶を飲むとおいしいと感じる。いつも高級な緑茶を飲んでいる人が「中価格帯の緑茶」を飲んでも普通の緑茶だな、と感じる)

 これは味覚だけではなく、

  • お金

  • 食事

  • 旅行

  • 人間関係

  • 娯楽

  • 地位

  • 情報

など、ほとんどすべてに当てはまる。

 人間の幸福には、絶対的な「もっと良い」という尺度がない。

→(当然に僕たちは、どこかの王様ではないのだから、欲しいものを無制限に手に入る、と言う環境にはいない。手元にあるもの、また手に入る範囲のもので満足する態度は必要になる。)

 少欲知足、足るを知る。またここから、「貪瞋痴」(特にむさぼる心)から離れることも加えられる。

 

★このようにも考えらえる、

「善」は与えることにおいて足りている。

「足」は受け取ることにおいて足りている。

☀「足」ということを人が意識するとき、根本創造主の流れに逆らうことがなく、無事に人生を送れるという事ですね。