ノーベル平和賞の受賞を始め85歳で他界されるまでの無私無欲な奉仕活動は、キリスト者のみならず世界の良心の基準点を確立された御生涯は驚嘆に値しますが・・・
しかしながら、死後発見された5人の信仰の指導者達への信仰告白の膨大な書簡は大反響をもたらしました。
今後、すこしづつ明らかにして参りますが・・・
先ずは、 マザーテレサとの書簡集 “Come Be My Light” より・・・・・
(ブライアン・コロディエチェク神父によって、マザーが霊的指導者(カトリックの神父)たちとの間で交わした40通以上もの手紙が、一冊の本として出版された(*2007年・DOUBLEDAY RELIGION発行)
ホンの一例として・・抜粋にて・・・
◆1959年(マザー49歳)……ピカシー神父への告白
[この手紙の中で、マザーは次のような神(主)への祈りを綴っている]
「主よ、あなたが見捨てなければならない私は、いったい誰なのでしょうか? あなたの愛する子供は今、最も嫌われ者になっています。あなたから求められず、愛されず、私はあなたから捨てられてしまいました。私はあなたを呼び求め、すがりつきますが、あなたは応えてくれません。闇はあまりにも暗く、私は孤独です。求められず、見捨てられて、私は独りぼっちです。愛を求める心の寂しさに耐えられません。
私の信仰は、いったいどこに行ってしまったのでしょうか? 心の底には、虚しさと闇しかありません。主よ、この得体の知れない痛みは、何と苦しいことでしょう。絶えず私の心は痛みます。私には信仰がありません。私の心に次々と湧いてくる考え、私を苦しめる言葉にできない苦悩を口にすることはできません。答えを見い出すことのできない多くの疑問が、私の中に存在しています。私はそれを打ち明けるのが怖いのです。それが神を冒涜(ぼうとく)することであると思うと……。もし神がおられるのなら、どうか私を許してください。すべてがイエスとともに天国で終わるという希望を、信じさせてください。(中略)
愛――その言葉は何の喜びも私にもたらしません。神が私を愛していると教えられてきました。しかし闇と冷たさと虚しさに満ちた現実があまりにも大きいため、私の心は何の喜びも感じることができません。私が(奉仕の)仕事を始める以前には、愛も信仰も神への信頼も祈りも犠牲精神も私の中にありました。主の呼びかけに忠実に従う中で、私は何か間違いをしでかしたのでしょうか? 主から与えられた奉仕の仕事に、私は疑いを持ってはいません。その仕事は私個人のものではなく、神ご自身のものであると確信しています。(中略)
彼等(*同じ奉仕に携わるシスターたちや世の人々)は、私の心の中には神への信仰と信頼と愛が充満し、神との深い交わりと神のご意志との結びつきが心を駆り立てているに違いないと思っています。彼らは、私が表面上の明るさという仮面によって、どれほどの虚しさと苦悩を覆い隠しているのかを知りません。(中略)神よ、あなたはあまりにも小さき者に何をしておられるのですか?」
参考 : マザーテレサの心の闇
にほんブログ村
