家では犬を飼っていた。
7歳になる、メスのビーグルという種類の犬だ。
人懐っこい犬で人が来ると誰にでもお腹を出して喜んだ。
番犬には向かないが、とても愛嬌があった。
近所の人達からも可愛がってもらって、よくモモに会いに近所の人たちが家にきてた位だ。
トイレだって教えたところ以外でしたことがない、初めのうちは散歩途中でもおしっこを我慢していて、家に着いてからダッシュでトイレに行っていた、時もあった位だ(笑)。
ほんとに、可愛くて、賢い犬だった。
私の家では当然家族だったし、トイレからなにから、しつけた私は娘の様にも思っていた。
しかし、モモはある日突然死んだ。
お盆の日だった。
自分で玄関のドアを開けて(親父がそう言っていたので事実かはわからないが、確かにモモは自分でドアを開ける事があった。)道路に飛び出し、そこで運悪く車にひかれたらしい。
なんで、鍵をかけなかった、とか、ほんとは開けっぱなしにしたんだろ。とか心の中で思ったが、口には出さなかった。
親父も同じだけ悲しい思いをしてると思ったから。
仕事が終わり家に帰るとモモはいつもの自分のベットで眠っていた。
今でもその顔が頭から離れない。多分、一生忘れることはないだろう。
腕が折れたり、内臓が出てたりしてる事はなくて、ありきたりな言葉だが眠っている様だった。
ただ一ついつもと違うところは体が、固くなってしまっていた所だ。瞼まですっかり固くなっていた。
その夜は、一晩中泣いた、次の日も思い出して泣いた。今もこのブログを書きながら涙がでてくる。
一週間もして気持ちも落ち着いてくると、そのうちに、モモはなんで死んだんだろう。と考えるようになった。
私がモモの死により一番に感じた事は、人生は限りなく有限だという事だ。
後10年くらいは生きるだろうと思っていたモモが、急にいなくなった。
親父がよく自分が食べているモノをモモに、あげていて長生きできなくなからやめろ、なんて言っていたが、まさかこんなに早くに亡くなるなんて・・・
神様は、本当に誰にも明日を約束なんかしてくれていない。
今を生きて、今できる事を全力で取り組む。
今までの私はかなり自堕落的な生活をしてきた、休みの日になれば、パチンコしたり、日帰り温泉行って昼間からビールを飲んで一日中寝たり、やりたい事をやりたいようにやってきた。
親に敷かれたレールの上を快適に走り、時間はまだまだ、ある。なんて錯覚もしていた。
そんな、私を変える為にモモは亡くなったんじゃないかと、今では本気でおもっている。
私が変わる事が出来たら、モモの死は無駄じゃなく、私の中で生き続けるし、逆にこれで変わらなければ本当に申し訳ない、そして自分に失望する事だろう。
モモが自分の命を賭してまで、私に気づかせてくれた事、私は残りの人生、たった一度きりの人生を後悔なく生きる為に、今動き出す決意をしたのである。
最後に、モモ本当に、本当にありがとう、なんど感謝の言葉をいっても足りないくらいのありがとうが、私の中にはあります。
ありがとう。 またね。