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文部科学省詣で?いや記者クラブまで

看板がなんか寂しいです。
旧建物をうまく利用して建てられているのがわかります。





新学部の申請とかがあるとそれこそ事前相談で詣でることになるのですが、最近はとんといってないなあ。東日本大震災後のこども心理学科も完成年次を迎えるのです。本学は震災直後から子どもたちの心のケアが大切になる、それは1年とか2年のスパンではなく10年、20年のスパンで考えていかなければならないと考え新学科を作りました。

何よりも時間との勝負だと思い、教職などの申請は一年目は間に合わないままスタートしました。その一期生が就職します。文字通り手探りで就職活動をしましたが、おかげでかなりの手ごたえです。

大学院に進み研究者を目指す者もいるようです。

新学科を設立するにあたって東北6県を回り、ニーズ調査したのを懐かしく思い出します。雪の降る中を宮城、岩手の幼稚園とか役所とかを歩きました。いろいろな方に紹介を受けながら支援活動をしている方々にもあいました。岩手県立大学にも行き話を聞きました。センター試験の前日で構内立ち入りは制限されていたので、市内の居酒屋で話を聞きました。おかげでその時の関係はいまでも続いています。

一年目の春、NHK特報首都圏で二人の学生を取材してもらいました。一人は4年間釜石のボランティアを続け、今年の春、卒業します。もう一人は仙台で被災して新聞奨学生で大学に進んだ学生です。NHKのクルーが朝の3時に新聞配達に出るその学生を取材しました。その時に将来の夢を語っていました。

実際には新聞奨学生はかなりハードで、人のいい彼は集金までやらされて、大学の授業に出れない状態が続きました。ずっと気にかけた学生でしたので、いろいろな奨学金を紹介してなんとか新聞奨学生をやめられないか職員と教員で道を探りましたが、なかなか道は開けずにいましたが、ある時本学の理事長に会ってもらう段取りをつけました。あわよくば大学の奨学金を出してもらえないかという魂胆があったのですが、事務の壁は厚く、成績基準ではねられました。

ただ理事長は一言「寝なさい」といわれました。
「君は睡眠不足で自分で考えられなくなっている、今必要なのは十分に寝て、よく考えることだ」

その後彼はその言葉で新聞奨学生をやめ、アパートでの生活を始めました。生活は厳しかったのですが、なんとかアルバイトでつなぎながら授業にでるようになったようでした。

その彼がこの前ふらりと訪ねてきました。なんとか卒業できそうだ、地元の役場の試験も受けているというのです。うれしくなりました。勉学を続けてほしいと思いましたが、正直、留年なしの卒業は無理かなと思っていただけに本当に驚きました。

彼を救った一言は「寝なさい」だったんだなあと改めて思います。

ブラックバイトが問題になっていますが、もし変だなと思ったら、立ち止まって考え相談することかもしれませんね。相談してもらえば我々はなんとか考えます。