駅のポスターにはっとした。

妖艶な美女に。

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日本のミケランジェロと称される運蝶という人らしい。

少し調べて見ましょうか。

石川運蝶(Wikipedia)
1814年(文化11年)江戸の雑司ヶ谷で生まれた。本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。 二十代で幕府御用勤めになり、「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。江戸での製作記録は確認出来ていない。 三条の法華宗総本山本成寺の修築のため、檀家総代の金物商 内山又蔵の招きに応じて、三国峠を熊谷の源太郎と越え、越後の国に入る。 やがて当時から鑿(のみ)などの金物の町として知られた三条へ婿養子に入り、酒井姓となった。一男一女を儲ける。現在 雲蝶は本成寺本堂脇の墓所に眠る。

越後国では、永林寺の欄間などの彫刻群や「越後日光」と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)、秋葉神社奥の院(現長岡市)、瑞祥庵金剛力士像(湯沢町)など、多くの彫刻を各地に残した。後に三条に戻り、1883年(明治16年)70歳で死去した。法名は観具院真性日安信士。墓は三条市本成寺にある。 作品は越後に千点近く残る。弟子に北村久助、川村徳治という者がいたという。

石川雲蝶には「酒好き」「興が乗らなければ鑿を握らなかった」等様々な人物像が語られているが、写真や記録等のはっきりとした資料は無い。その彫刻の多くは色鮮やかで彫りが深く、何層にも彫り重ねられた精巧さと大胆な構図が特徴であり、それらの作品からは多識で真面目な人柄がうかがえる。