お題が私って変!ということで、まっさきに思いついたこと。変であることを認め合える社会が大切ということだ。日本では人と違うことを極端に嫌う。今年の夏、仕事で聞いた話。外国から帰って小学校に入った子どもがいじめにあうらしい。その理由がいかにも日本的で驚いた。「英語がうまいから」とか「どんどん意見を言うから」ということらしいのだ。そしてこの傾向は日本社会全体のものでもある。「出る杭は打たれる」ということわざを引き合いに出すまでもなく、人と違うことを嫌うし、恐れる。粒としての個性がなくなり、もちのように均質化した社会だ。
もし、徹底して異質なものを排除しようとするこの子どもたちの反応は、日本人に生まれたことによる文化の継承ではなく、こどもが本来持つ性質だとすると、日本人は未熟だということになるし、互いの違いを認めて共存しようとする国は、社会として成熟しており、文化として子どもにまで、個性(違い)を尊重するように教育していることになる。
このような見方が正しいかどうかわからないが、地球上で人類が共存していくためには、異質なものを、変なものを認めていく心の幅、寛容とというものを持たなければうまくいかないような気がする。