ルフェラン・シドルが学舎に入るのは二度目だった。
最初に入舎したのは、例にもれず十二歳のとき。
近所の幼馴染みが入るのに自分は行けなんてどういう了見だと父親に噛み付き。
男の子は外に放り出すべきよ、と逞しい母の一言を応援歌に。
強引に入舎した。
しかし、十七歳で中等生になろうかというとき、母が倒れ、姉が急に嫁に行くと言い出し、父の額面積が三割増した。
勉強どころではなかった。
もうダメだと思い、自主退舎した。
母の看病をしながら、姉の結婚を思い止どまらせようと必死だった。
父も何気に反対していた。
だって、相手が父より年上の萎びたおっさんだったのだ。
それが誤解であることに双方気付かなかった約一年間。
彼氏と思っていたのは彼氏の父親で。
わざわざ「息子の嫁にください」と言いに来てくれたらしいが、突然のことに右から左だった模様。
血は争えないなー、とまとまった。
無事に嫁した姉を祝福し、「孫の顔を見るのよ!」と元気になった母に安堵。
禿げ散らかした父は放っておくとして。
ふと思い出して、ルフェランは学舎に再入舎した。
当然、最初の同室生はすでに別の生徒が同室になっていた。
新たな同室生の名には、家名がなかった。
ティセット――ただそれだけ。
おそらく農村か漁村、あるいは小さな町から来たのだろうと何気なく訊くと、聞いてもわからないような町の出身だった。
田舎町でちやほやされて町長にでも気に入られて、鼻高々に都に来たのだろう。
かわいそうに。
今から彼は、自分がただの田舎者だと嫌でも知るのだ。
初等部を終えることができたら大したもんだ。
せっかく同室生になったのだし、その時はお祝いしてあげよう。
そんなルフェランの考えは、半年でひっくり返された。
「え?」
「あ、だから、算学の中級、教えてほしいんだ。
時間あるときでいいからさ」
ルフェランは耳を疑った。
「初級は?」
「この前ので合格したんだ」
俺言ったよな、と苦笑するのはまだ垢抜けない少年。
聞いたような気もするが……。
右から左だったかもしれない。
「語学は初級もうすぐだけど、大丈夫なのか?」
「あ、うん。講師から、準備してろって言われたんだ」
「マルコス講師から?」
いいや、と首を振るティセット。
「ケーラン講師から」
「…………」
ルフェランの記憶の限り、ケーラン講師は算学の講師だ。
しかも上級の。
不審な顔をするルフェランに、ティセットが言う。
「俺は語学より算学のほうがあってるからだってさ。
マルコス講師と相談して、そっちに集中させたいって」
「…………」
それはもしや、飛び級をさせるかもしれないと言うことだろうか。
田舎から来たばかりの、冴えないこの少年が?
自分は間が空いていたとしても、それでも五年目で。
作法と算学の初級はすでに合格しているが。
このぽやっとした田舎者は、半年でもう合格を取っただと!?
信じられない!
「ルフェラン?」
明るい瞳の色が見上げてくる。
百人中九八人はいそうな平凡な顔が、気まずそうに笑っている。
気付いたのだろう、失言に。
自分は頭が良いから期待されてるんだよ、とばかりの発言をしたことを。
「忙しいなら、いいんだ。
講師に訳話して、待ってもらえるように頼むから」
「……授業、出たらいいのに」
「…………」
うん、とティセットは頭をかいた。
「俺、学費だけ伯父に貰っててさ、生活費は自分で稼いでるんだ」
「え……?」
「だからこれ以上、増やせなくてさ……」
知らなかった……。
ルフェランとティセットは同室生といっても、寝る時と起きる時くらいしか顔を合わせない。
同じ教室になっても、これといって話すこともなかった。
だからルフェランは、ティセットが最後の授業は受けずに仕事に行っていることも知らなかった。
「そう、なんだ……。
何かやりたいこととかあるのか?」
ティセットは頷いた。
「俺の故郷さ、徴税がデタラメなんだ。
二回取ったり、割り増ししたりさ。
そういうの、止めさせたいなって……」
「文官ってこと?」
「うん、まぁ……」
笑われると思ったのか、ティセットは力無く頷いた。
ふーん、とルフェランは頷いた。
表情は少しも変えなかったけれど、内心焦っていた。
何だか、恥ずかしかった。
田舎者だからって、馬鹿にしていた自分の幼さに気付いて。
まともにティセットの顔を見れなかった。
「呼び止めてごめん。
俺これから仕事あるから」
と、玄関口に向かおうとする腕を掴む。
「え?」
「おいラン、始まるぜ!」
仲間の声が背中に響く。
首だけ振り返って「さき行っといて」と返すと、何だよあいつ、とあからさまに聞こえた。
無視した。
「……?」
「も、戻るの遅い?」
「あ、今日はそんなに……」
「参考書、集めとくよ」
「え……?」
不思議そうに返す瞳に笑いかけて、ルフェランはその肩を叩く。
「僕は厳しいよ。
覚悟しといて」
言った途端、破顔したティセットの右の八重歯を見つけた。
何だか嬉しかった。
「じゃ、後でね……ティス」
手を振って、初めて同室生の愛称を口にした。
口の中がくすぐったくて、笑い出しそうになったので、すぐに背中を見せて歩き出す。
その背中に。
「ありがとう、ラン」
その日、永年の友となる二人が改めて出会った。
【終】
最初に入舎したのは、例にもれず十二歳のとき。
近所の幼馴染みが入るのに自分は行けなんてどういう了見だと父親に噛み付き。
男の子は外に放り出すべきよ、と逞しい母の一言を応援歌に。
強引に入舎した。
しかし、十七歳で中等生になろうかというとき、母が倒れ、姉が急に嫁に行くと言い出し、父の額面積が三割増した。
勉強どころではなかった。
もうダメだと思い、自主退舎した。
母の看病をしながら、姉の結婚を思い止どまらせようと必死だった。
父も何気に反対していた。
だって、相手が父より年上の萎びたおっさんだったのだ。
それが誤解であることに双方気付かなかった約一年間。
彼氏と思っていたのは彼氏の父親で。
わざわざ「息子の嫁にください」と言いに来てくれたらしいが、突然のことに右から左だった模様。
血は争えないなー、とまとまった。
無事に嫁した姉を祝福し、「孫の顔を見るのよ!」と元気になった母に安堵。
禿げ散らかした父は放っておくとして。
ふと思い出して、ルフェランは学舎に再入舎した。
当然、最初の同室生はすでに別の生徒が同室になっていた。
新たな同室生の名には、家名がなかった。
ティセット――ただそれだけ。
おそらく農村か漁村、あるいは小さな町から来たのだろうと何気なく訊くと、聞いてもわからないような町の出身だった。
田舎町でちやほやされて町長にでも気に入られて、鼻高々に都に来たのだろう。
かわいそうに。
今から彼は、自分がただの田舎者だと嫌でも知るのだ。
初等部を終えることができたら大したもんだ。
せっかく同室生になったのだし、その時はお祝いしてあげよう。
そんなルフェランの考えは、半年でひっくり返された。
「え?」
「あ、だから、算学の中級、教えてほしいんだ。
時間あるときでいいからさ」
ルフェランは耳を疑った。
「初級は?」
「この前ので合格したんだ」
俺言ったよな、と苦笑するのはまだ垢抜けない少年。
聞いたような気もするが……。
右から左だったかもしれない。
「語学は初級もうすぐだけど、大丈夫なのか?」
「あ、うん。講師から、準備してろって言われたんだ」
「マルコス講師から?」
いいや、と首を振るティセット。
「ケーラン講師から」
「…………」
ルフェランの記憶の限り、ケーラン講師は算学の講師だ。
しかも上級の。
不審な顔をするルフェランに、ティセットが言う。
「俺は語学より算学のほうがあってるからだってさ。
マルコス講師と相談して、そっちに集中させたいって」
「…………」
それはもしや、飛び級をさせるかもしれないと言うことだろうか。
田舎から来たばかりの、冴えないこの少年が?
自分は間が空いていたとしても、それでも五年目で。
作法と算学の初級はすでに合格しているが。
このぽやっとした田舎者は、半年でもう合格を取っただと!?
信じられない!
「ルフェラン?」
明るい瞳の色が見上げてくる。
百人中九八人はいそうな平凡な顔が、気まずそうに笑っている。
気付いたのだろう、失言に。
自分は頭が良いから期待されてるんだよ、とばかりの発言をしたことを。
「忙しいなら、いいんだ。
講師に訳話して、待ってもらえるように頼むから」
「……授業、出たらいいのに」
「…………」
うん、とティセットは頭をかいた。
「俺、学費だけ伯父に貰っててさ、生活費は自分で稼いでるんだ」
「え……?」
「だからこれ以上、増やせなくてさ……」
知らなかった……。
ルフェランとティセットは同室生といっても、寝る時と起きる時くらいしか顔を合わせない。
同じ教室になっても、これといって話すこともなかった。
だからルフェランは、ティセットが最後の授業は受けずに仕事に行っていることも知らなかった。
「そう、なんだ……。
何かやりたいこととかあるのか?」
ティセットは頷いた。
「俺の故郷さ、徴税がデタラメなんだ。
二回取ったり、割り増ししたりさ。
そういうの、止めさせたいなって……」
「文官ってこと?」
「うん、まぁ……」
笑われると思ったのか、ティセットは力無く頷いた。
ふーん、とルフェランは頷いた。
表情は少しも変えなかったけれど、内心焦っていた。
何だか、恥ずかしかった。
田舎者だからって、馬鹿にしていた自分の幼さに気付いて。
まともにティセットの顔を見れなかった。
「呼び止めてごめん。
俺これから仕事あるから」
と、玄関口に向かおうとする腕を掴む。
「え?」
「おいラン、始まるぜ!」
仲間の声が背中に響く。
首だけ振り返って「さき行っといて」と返すと、何だよあいつ、とあからさまに聞こえた。
無視した。
「……?」
「も、戻るの遅い?」
「あ、今日はそんなに……」
「参考書、集めとくよ」
「え……?」
不思議そうに返す瞳に笑いかけて、ルフェランはその肩を叩く。
「僕は厳しいよ。
覚悟しといて」
言った途端、破顔したティセットの右の八重歯を見つけた。
何だか嬉しかった。
「じゃ、後でね……ティス」
手を振って、初めて同室生の愛称を口にした。
口の中がくすぐったくて、笑い出しそうになったので、すぐに背中を見せて歩き出す。
その背中に。
「ありがとう、ラン」
その日、永年の友となる二人が改めて出会った。
【終】