ヨウスと視線があった。
 ほほ笑んでいた。
「ティスは学舎に戻れる。
 俺はティスが戻ってきて嬉しい。
 ちょうどいいと思うけど?」
「…………」

 あまりにあっけらかんと言われ、ぐうぅっと顔が赤くなった。
「バカっ!」



 ティセットは走った。
 ルフェランの家までの近道を駆けた。

 大きな家の玄関扉の前で急停止。
 ちょうど扉を閉めようとしていた家人と目が合う。
「ギルスさんはお帰りですか!?」
「へ、は、はぁ……」
 家人はそそくさと中に入り、ティセットはその場で呼吸を整えた。

 すぐにギルスはやって来て、中に上がるように勧める。
 それを断わって、ティセットは頭を最大限に下げた。
 ふくらはぎの後ろがジンと痛んだ。
「ごめんなさい!
 違うんです!」
「はい?」

「ホントは俺じゃないんです。
 俺はただ言われたようにしただけで、ホントはヨウスが助けたんです。
 俺じゃないんです。
 ヨウスが下に降りて、女の人を布に乗せて上げようって考えたんです。
 俺は足ケガしてたから妊婦さんに触れなくって、人呼んで、道具集めただけなんです。
 ヨウスはすぐに助けに行ったけど、俺は足ケガしてて、どうしていいのかもわかんなくて、ただヨウスが言うとおり、人と道具を集めただけなんです。
 俺じゃないんです!
 奥さん助けたの俺じゃないんです!
 ヨウスなんです!」

 自分の荒い息が自分の耳元で聞こえた。
 もう声はひとつだって出ない。
 膝はガクガクと笑っているし、汗が目に染みて手で拭った。

 クスリと、誰かが笑った。
「……へ?」
 ティセットがそろりと頭を上げると、ギルスは腹と口を押さえて笑いを堪えていた。
「?」
「いや……ごめんよ、はは、ふ……」

 今度は足音がして振り返る。
「……ヨウス」
 こちらも走って来たらしいが、ティセットほどの汗もかいていない。

「あー、役者が揃った!
 中に入りなさい!」
 さぁさぁと涙目のギルスに手を引かれて二人は玄関を潜る。
 そのまま応接室に通された。

「種明かしをしよう、ティセット」
 何のことだか、ティセットにはもうわからなかった。
 とりあえず出された水を一気飲みして、お願いしますと混乱する頭を下げる。

「実は君と会うまえに、その隣りの彼と会ったことがあってね」
「は?」
 ティセットが隣りを振り返っても、ヨウスは視線を合わせようとしなかった。
 相変わらず俯いている。

「お礼をさせてほしいと言ったのに、いらないと返されてね。
 しかたないから、もう一人の居場所を尋ねたんだ。
 もちろん、君のことを義父に訊いたのも本当だよ。
 君が学費に困ってると聞いて、あの店に飛んで行ったのさ!」

 知らなかった。
 ルフェランの姉を助けたのも知らなかったが、ヨウスが先にそのことを知っていたことも知らなかった。
 悪いことでもないのだから、ヨウスも教えてくれたら良かったのに。
 こんな繋がりがあると知っていたら……

(知ってたら?)
 きっとティセットは学費を貸してくださいと言っただろう。
 ギルスは恩義があるからと貸してくれただろう。

 でも、違う。
 ルフェランの姉を助けたのはヨウスであって、ティセットではない。

「わざと、教えなかったんだな?」
 ヨウスは小さく頷いた。
「俺がウソをついてまで学舎に戻れるかもしれないから」
「違う」
「何が違うんだよ?」
「俺が……」
 ヨウスを振り返る。
 俯いたままヨウスは、自分の拳を見つめながら続ける。
「……俺から、ティスの学費を貸してほしいなんて、言えなかった」

「…………」
 まだ続ける言葉はないのかとヨウスを見つめたが、ヨウスはそれ以上は沈黙してしまった。
 ふふ、とギルスが笑った。
「彼はね、自分から言ったのでは友人の意志をねじ曲げかねないから、それとなく切り出してほしいと言ったんだ」
「え……?」

 自分の意志で戻って来てほしいと願った。
 出会いは偶然だったかもしれないけれど、それから行く先は自分で決めてもらいたかった。

 誰かに示されたのではなく。
 何かに流されたのではなく。

「……戻るかどうか、ティス自身に決めてもらいたかった」

「ヨ…………」
 何と言っていいのかわからなかった。
 ありがとうなんてものでもいいのだろうか?
 でもきっと、それでは足りない。
 いくつあっても返せない。

「…………バカ、だなぁ」
 強く叩いたはずのヨウスの肩。
 ペタン、と気の抜けた音がした。
 今のティセットの気持ちと同じ、脱力していた。

「ありがとう」
 意外と厚い肩に置いた手に額を付けて、ティセットは呟いた。

「…………ごめん」
「ぶっ」
 ヨウスのあまりの勘違いにティセットは吹き出した。
「だから謝るのは俺だって!」
「え?」
 わかっていない。
 まったくもって、この鈍感な友人はわかっていない。