その日ヨウスがひょっこりと顔を出した。
 豪雨の晩から会わずにいたから、久しぶりだ。
「ルフェランたち、どうだった?
 大丈夫だっただろ?」
 ヨウスは頷いた。
「心配して損したな!」
 ティセットが笑うと、ヨウスも小さく笑った。

「これ……」
 ヨウスは何やら小さな包みをティセットに差し出した。
「ル………………ルリから預かってきた」
 また恐ろしいブツを製造したようだ。

 ティセットは、一度だってルリの手料理をまともに食べたことがない。
 ルリには悪いが、彼女が作るものはまともな味がしたためしがなく、最悪の場合寝込んでしまうほど体に悪いのだ。
 今回も一つ食べたところで悶絶するだろう。
 一応、全部食べるが。



 ティセットが小麦粉を水で練った生地を薄く延ばし、ヨウスがそれに魚の練り物を詰めていく。
 相変わらず器用だ。

 手を動かしながら、ヨウスはトルクが同室になったことを告げた。
「少し過保護な気がするんだ」
「今は過ぎるくらいがいいって。
 また謹慎になって、授業に追いつけなくなったらどうするだよ」
「うん……」
 頷いたヨウスだが、表情は納得していない。

「でもトルクが同室ってことは、耳栓がいるな」
 話題を変えようとわざと明るく言って、ティセットは意地悪に笑った。
「いびきはないけど、試験前は腹ペコのクマみたいだ」
「……クマ」
 ヨウスも小さく吹き出した。

「あんまりうるさかったら、ランに言えよ?」
「うるさいのには慣れてるよ」
「へー、トルクみたいに腹ペコ熊になるヤツがいた?」
「……そうだな」
 少し、ヨウスの声が小さかった。
 触れないほうが良いと思って話題を探したが、意外にもヨウスは続けた。

「手紙……たまに俺が手紙を送ってる相手」
「うん?」
「トルクを見てると、似てるな、って思うことがある」
「……腹ペコ熊に?」
「うん、そう。
 もっと悪人面だけど」
「あくにん…………」
 どんなお知り合いなんだ、ヨウス。

「故郷のほうには連絡してないのか?」
「え……?」
「友だちとか幼馴染みとか……心配してないかな?
 一度連絡してみろよ」
「……全員が字を読めるわけじゃないから」
「そう、なんだ」
 それには驚いた。

 だがよく考えれば、東大陸の南部は『国』としてあるわけでもなく、いくつかの部族によって構成された集合民族だ。
 古くからの風習を守り、新興国の手を拒んで来た。
 読み書きや数の数え方など、彼らにとっては二の次かもしれない。



 それからヨウスは黙々と食材を作り、大皿いっぱいになるまで付き合ってくれた。
 これだけ作っても一晩で無くなるのだから不思議だ。

「実はさ…………俺も、お知らせがあるんだ」
「お知らせ?」
 流し台で手を洗うヨウス。
 前より少し、砕けた感じがするのはきっと気のせいではない。
 少し、歩み寄れた。

 でもこれは、裏切りではなかろうか?

「学費、貸してくれる人が見つかって……」
 ヨウスの大きな目がもっと大きくなる。
「学舎に……」
「戻るよ」
 ティセットは頷いた。

 ヨウスは破顔した。
 ティセットの胸がズキンと痛むくらいに。

「おめでとう!」
「……う、うん……ありがとう。
 まだ、俺も信じられないんだけど……」
「いつから戻れる?」
「あ、一応、来季から」
「ランたちにも伝えておくよ。
 きっとみんな喜ぶ」

 言わなければ、とティセットは思った。
 本当はヨウスが受けるはずだった礼を掠め取って、学舎に戻ろうとしているのだ。
 そんなに、心の底から嬉しそうな顔をされるほどのことではない。

「ヨウス……実はさ……」
 はっきりと言って、ヨウスが嫌だと言えば学費は諦めよう。

 また探せばいい。
 最初が上手くいったものだから、安心するのが早過ぎた。
 それだけだ。

 厨房にお女将さんが顔を出した。
「おや、べっぴんさんいらっしゃい。
 ティス、お客さんだよ」
「は、はい」
 急いで手を拭いていくと、ルフェランの義兄――ギルスが来ていた。

「やぁ、ティセット。
 学費の件で、明日にでも手続きに行きたいんだけど、時間は取れるかい?」
「あ、あー、はい。
 午前中なら」
「良かった」
 ぽんぽんと手早く時間を打ち合わせて、ギルスは帰っていった。

 客が帰ったところを見計らって、ヨウスも厨房から出て来る。
「あぁ、あの……ランのお姉さんの、旦那さんだよ」
「ランの……」
「じ、実はさ……」
 ティセットは包み隠さず、学費を貸してもらえるようになった経緯を話した。
 話し終えた時ティセットの喉はカラカラに乾いていて、大皿の上には肉串が山盛りできていた。

 ヨウスの顔をまともに見れなかった。
 きっと呆れた顔をしているのだろう。
「ごめん、俺……」
「良かったじゃないか」
「は?」