諦めたはずなのに。
 なぜ戻るのか?

 理由を聞かれたら、「諦めきれないから」と答えるだろう。
 間違いではない。
 実はもうひとつ、できた。

 ヨウスに負けたくない。



 戦場と学舎は別物だろうが、どちらにも勝敗がある。
 ティセットには想像もできないような場所から生き延びて来たヨウスに習って、諦めないことにした。
 生き残りたかった。

 家出を決めた時より勇気がいった。
 あの時はまだ、気持ちの半分は都会への憧れが占めていたから。

 今は違う。
 憧れなんてなく、嫉妬にも似た気持ちが気持ちを高ぶらせている。
 今なら何でもできそうだ。

 しかし。

「できん」

 青年の熱い気持ちに氷柱を突き刺したのは、輸入業を営むシドル氏――ルフェランの父親だ。
 前にもルフェランが話してくれたらしいが、今度は自分で頼んでみた。
 一言で切られたが。

 シドル氏は煙草に火を点けて一息する。
 客の前では吸わないが、商談中は必ず一本は吸うという。
「確かにおまえの頭は認めるが、本当にモノになるのは大勢の中の一握り。
 確実にその一握りのなかに入れるというなら貸してやろう」
「…………」

 はい、と言えばいいのに。
 ティセットは変なところでバカ正直だった。
「……わかりません」
 地方官になるのが夢だった。
 実家のある領地の二重徴税を止めたいから。

 今はどうだ?
 ……変わらない。
 でも「成りたい」と「成る」は別物だ。
 何のコネも伝もないティセットが「成る」なんて大きなことは言えない。

「……でも」
「…………」
 膝の上の拳をギュッと握り締める。
 叩きつけるように視線を前に飛ばす。
「俺は諦めません」
「……ほう」
 シドル氏は目を細め、三日月に曲げた唇の間から煙を吐き出す。
「その意気込みで他を当たるんだな」

 ティセットはシドル宅を追い出された。



 ティセットはうーんと唸った。
 簡単に行くとは思っていなかったが、こんなにあっさりと追い出されるなんて、前途は思いやられた。
 他に誰か貸してくれそうな知り合いを頭に浮かべては消え、浮かべては消えて行く。
 うーん、と何度も唸って立ち止まった時には、仕事に戻る頃合になっていた。

 明日もあるさと自分を励まし、ニッチの店に戻る。
「戻りましたー!」
 店内を見渡すと、まだ開店していない客席に、誰か座っていた。
「あの、開店までまだ」
「ティス、戻ったのかい?
 お客さんだよ」
 厨房から顔を出したニッチのお女将さんは、早い客を指した。

 声に気付いた客が立ち上がって振り返る。
「君がティセット?」
「は、はい、そうですが……」
「良かった見つかって。
 待っていればじきに戻ってくると言われてね」
 客は爽やかな青年の笑みを浮かべた。

 あ、とティセットはおもわず指差してしまう。
「あぁ、覚えててくれたんだね!」
 覚えている。
 ヨウスと出会ってすぐに、川縁に落ちていたのを助けた妊婦の、夫だ。

「満足にお礼もできずに、気になっていたんだ。
 こんなところで会えるなんて!」
 あの時と同じようにティセットの手を強く握りしめる青年は、ギルスと名乗った。

「子どもが無事に産まれたんだ!
 これはぜひ知らせたくてね」
 ティセットは飛び上がって喜んだ。
 ニッチのお女将さんも聞きつけてきて、祝いだからと急いで鳥の蒸焼きを作り出した。


「本当にありがとう。
 どうか今度は、お礼をさせてほしい」
「あ、いや、それは……」
 あの時ティセットはただ、言われるまま人手と道具を集めただけ。
 本当に助けたのはヨウスだ。

 そう言おうと口を開いたが、青年の言葉におもわず喉に塞き止めた。
「学費に困ってるそうだね?
 奨学金のことも聞いたよ」

「…………。
 あなたは、誰、ですか?」
 まじまじと見つめるティセットに、青年は苦笑した。
「わたしの妻は、シドル商会の娘だよ」
「シドルって……ラ、ランの!? お姉さん!?
 じゃぁ、あの時、が、崖に落ちてたのも……」
「君の友人のお姉さんだよ」

 何と言う偶然か。
 そういえばルフェランが「姉が出産のために帰って来た」と言っていた。
 まさかそんな繋がりがあったなんて、思いもしなかった。

「今日、義父のところに来ただろう?
 帰って行く君を見て、あの時の二人組の一人だと気付いたんだ。
 それで義父に訳を聞いて、飛んで来たってわけさ」
「そう、だったんですか……」

「父にも訳を話して、了解をもらったんだ。
 受け取ってくれるよね?」
「あ…………はい」
 青年の真摯な眼差しと、学舎に戻れるという誘惑に、ティセットは頷いていた。

 学舎に戻れる。
 また勉強ができる。
 友人たちと一緒に……。

 嬉しいはずなのに、ティセットの笑顔は強張っていた。