「まさか…………」
 でも、いくつか思い浮かぶことがある。
 ティセットの挫いた足に湿布を貼り、川縁の崖に落ちた妊婦と子どもを迷いなく助けたとき。
 乗り合い馬車でぼったくられそうになり、値段交渉してくれたとき。
 ……いかにも旅慣れた一人の青年だった。

 二階建ての屋根から壁を伝って降りて来たときなんて、トルクも驚いてぽかんと口を開けていた。
 まだ他にもいくつか見逃しているかもしれない。
 内気で無口なやつ……早くその考えを改めなければならなかったのかもしれない。



「…………ヨウスは……誰、何ですか?」
 ギュッと固く目を閉じる。
 何が来てもいいように身構える。

「……ヨウス殿は……」
「…………」
「君にとって」
「?」
「どんな位置にいるのかな?」
 視線をクワイトル司祭に合わせると、彼は穏やかに微笑んでいた。

「エイトルに、友人と仲直りするにはどうするべきかなんて尋ねるくらいだ。
 ヨウス殿にとって、君という友人は、貴重な存在なのではないかな?
 革袋と騎獣だけが財産だった彼にとって、初めて抱えきれないものが、君ではないのかな?」



「…………」
 ふと、ティセットは息苦しさに胸に手を当てた。
 視線は老司祭から外れないが、その脳裏には俯いたヨウスの姿が映っていた。

 怖いなんて、思わなかった。
 ヨウスはただ距離をおいて立っていただけだ。
 ティセットの言葉を待っていただけだった。

「……ヨウスは……」
 喉が乾いた。
 お茶が半分残っている。
 飲めばいいのに、手が動かなかった。
 二本も腕はあるのに、両手で自分の胸倉を掴んでいた。

「ヨウスは……と、友だち、です。
 俺にとって、大切な、友だちです」
 それ以上、言葉が出なかった。
 息苦しさはなくなり、手の平に汗をかいていることに気付いた。



 衣擦れの音がした。
「聞こえましたか、ヨウス殿?」
「!?」
 クワイトル司祭の視線を追いかける。

 応接室の出入口。
 ヨウスがそこに、ずぶ濡れの外套を持って立っていた。
 ……俯いて。

「…………」
「何かありましたか?」
「……豪雨になるからと、街からの外出を禁じられました」
 それはそれは、と言いながらクワイトル司祭が立ち上がる。

「冷えられたでしょう。
 今、火を起こしましょう」
「大丈夫です。
 濡れたのは外套だけですから」
 クワイトル司祭はヨウスのそばまで近付くと、その肩をポンと叩く。
「訊いてわからないのなら、実践あるのみです」

 おやすみなさい、と消えていくクワイトル司祭。
 その背中を見送った二人は、一歩も動かずにいた。



 雨は次第に強さを増し、風が轟々と鼾をかきだした。

 帰れなくなったティセットは、クワイトル司祭宅に泊まることになった。
 寝台の上で仰向けになって天井を見ていると、開けたままだった扉の向こうに、いつの間にかヨウスがいた。
「……毛布を」
「あー、そっか」

 ヨウスは中に入ろうとしない。
 起き上がったティセットが、扉の前まで受け取りに行く。
「ありがと」
「……うん」

「…………」
「…………えっと……」
「……おやすみ」
 踵を返したヨウスの腕を掴まえた。
「少し、話さないか?」
 腕を引いてヨウスを中にいれると、扉を閉める。

 寝台の隅に毛布を放り、ヨウスの部屋の時と同じく寝台に座る。
 ヨウスは指定席まで行かず、立ち尽くした。
 相変わらず俯いたまま視線を合わせようとしないので、ティセットはじっと見つめてみた。
 意外と肩幅がある……。

 なぁ、とティセットは話しかけた。
「昼間は、ごめん。
 さっきも俺が謝るほうだったのに……」
「…………」
 ヨウスは首を横に振った。
「……もう、忘れよう」
 幾分大人びた、苦い顔でそんなことを言う。

 こうなったら、とことんまで話してみたい気もしたが、ヨウスはそれを許してくれるだろうか。
 これは、残酷なわがままだろうか。



「あのさ…………」
「……休んだほうがいい。
 明日も早いだろうから」
 いつでも人のことを気にかけるヨウス。
「眠れないんだ」
「…………」
 わがままを叶えてくれるヨウス。
 溜め息をついて、椅子に座る。

「雨、ヒドいな。
 明日の仕入れが大変だ」
「……うん」
「雪の日よりいいけどさ。
 地面が凍ってて、滑って商品全部落としたことあるんだ」
「……そうか」

「実家は山裾でさ、ここよりも雪は積もるんだ。
 よく家が埋まってた。
 ヨウスの生まれたところはどんなとこ?」
「…………」
「俺の町はホント小さくてさ、伯父貴の家に遊びに行くのがスッゲー嬉しかった。
 ここ来たときは、別世界だった!」
「……――……」
 ボソリと、ヨウスが何か言った。
「え? 何?」

「…………サウ……」