最近、部下の様子がおかしい。
 おかしいというか、変わった。

 部下は、ガラが悪いと言われる彼に怯えることなく、言われたことはしっかりとやり遂げる男だ。
 大きな事件が解決すれば打ち上げと称して呑むことも何度かあった。

 たまに意見が食い違うときがあるが、たいてい、解決する。
 ま、お互い大人だし。
 そんなことはどこでもあることだ。

 お互い、今年になって配属された身で、ほとんど面識はなかった。
 それでもいい関係が築かれたと思っている。



 その部下が、一人、悩んでいるようだ。
 目の前でエビフライをちらつかせても視線すら動かさない。
 前なら猫のように飛びついてきたのに。

 心配だ。
(半分おもしろそうだ)
 上司として、ここはひと脱ぎしてやろう。
(気分転換に)



「おい、レオ」
「…………」
「どうした。本、逆さまだぞ?」
「………………」

 ダメかもしれない。
 視線があらぬ方向を見ている。



 顔色はもともと色黒でわかりずらい。
 食事はしっかり食べるし、夜中に徘徊している噂もない。
 周りの人間にそれとなく聞いてみたが、外出が増えたくらいだそうだ。

 何があったのだろうかと、彼は部下の顔を見つめた。
「……ん?」

 何か、発見した。
 うっすらとした線。

 蚯蚓腫れにもならないくらいの薄い傷跡が、部下の頬にある。



「レオ、それ、どうした?」
 これこれ、と頬を指差して訊ねてみる。
「はぁ?」
 指された指先を見つめ、部下は思い出したように呟く。
「あぁ……。じゃれ付かれて……」

 女か。

 じゃれ付かれてついた爪痕と思えなくもない。

 ということは、恋煩い!?
 このまえおまえの兄ちゃんが来たとき彼女もできないってぼやいてたじゃん!
 あれは何だったんだ!?

 男の少ないこの業界で恋煩いまでなら許されるが、付き合いだしたとなると上司としては許せん。
 自分だって独り身だ!



「レオ!
 どこのどいつだその女は!?」
 部下の胸倉を掴んで揺さぶると、意識を取り戻したのか目をしばたかせた。

「……え? は?
 お、おんな?」
「その爪痕の相手だ!」

 部下はため息をついた。
「残念ながら、男です」
 ふぅ、と重いため息。

 そうか。
 男か。
 男なら安心だ。
 男にじゃれ付かれて付いた爪痕なら……



 男に?
 じゃれ付かれて?



「……………………………………………………」
 好みが変わったのだろうか。
 訊ねてみたいが、勇気がない。
 意気地なしといわれても良いから、この件からは手を引こう。





 今日はこれ以上仕事に身が入らないからと、彼は書類の整理にかかった。
 乱雑に積み上げられた本も、いつもは気にせず散らかし放題だが、今日はとりあえず本棚に戻しておこう。

「おい、レオ。
 今日はもう下がれ」
 振り向きざまに彼が言うと、部下は生気のない声で「はい」と答えて退室した。


「………………」
 背を見せる部下の後頭部。
 燦々と輝く日暮れの陽射しにさらされて。

 硬貨ハゲが眩しかった。





 世界一忙しいと言われる、事実忙しい魔導士の組合総支部に、新しい総支部長が就任した。
 柄の悪そうな総支部長には、似たような補佐役が新しく着いた。

 二人とも外見に似合わず(失礼)仕事熱心で、言葉はぶっきらぼうだが人情は当人の胸板ほどにも厚い。
 部下たちは良い上司に恵まれたことを日々感謝していた。

 が。

 ひとつだけ問題があった。
 優秀な補佐役には恋人がいるのだが、誰も見たことがないのだ。

 これは一大事とあの総支部長に訊けば、真っ青な顔で
「知らん。
 おれは絶対に知らん!」
 と断固拒絶されるばかり。

 部下たちの間では、補佐役の恋人は彼が引退するまで永遠に、噂のままだった。





 部下たちの昼食の話題が補佐役の『噂の彼女』か、あるいは総支部長の別れた奥さんが大半を占めるころ。
 彼は気づいた。

「……総支部長」
「あ?」
 隣で上司が大きな顔を冷や汗で濡らしている。

「噂の出所がどこかはお尋ねしませんが」
 びくぅっと大きな体が横で揺れる。
 昼食の汁物が少し零れた。

「始末はつけてください」
「…………」
「のちのち、支障をきたされたくなければ……ですが」
「お、おう。わかった」

 怒らせちゃいけないやつなんだな、と総支部長は記憶した。