先代は少々、変わり者だった。
身近に血縁者を置いていた。
あるまじきことだと、長老たちは毎日、口癖のように言っていた。
彼には羨ましい限りだった。
たった一人で高見の席に座ってうんうん、そうそう、とうなずく毎日は退屈で、せめて話し相手がほしい。
と、言えない臆病な自分。
うんざりだ。
例に漏れず、彼も十五歳で継承した。
これから、どれだけの年月、長老たちのお小言を耳にするのだろう。
がっかりだ。
そういえば、魔導士組合の総支部長が先年、引退された。
高齢を理由にしていたが、彼女はこっそり教えてくれた。
『わたくし、結婚しますのよ』
羨ましい限りだ。
彼も寿退位したい。
いや、彼の場合、結婚しても立場は変わらないだろう。
残念なことに。
「どちらへ行かれるのですか?」
監視役、もといお目付け役が彼の背中に問い掛けた。
「森だ」
彼は振り向かずに答えた。
表の広い廊下を横切り、狭い通路をひたすら進む。
小さな扉に突き当たり、薄汚れた鍵で開錠する。
やや腰をかがめて外に出れば、目に痛いほどの青空が広がっていた。
「いい風だ」
彼はうん、と背伸びをした。
急に伸びた背丈。
低くなった声。
大人の仲間入りをしたはずなのに、自分は一人で用足しにも行けない。
気晴らしに庭を散策しようとすれば大勢がついてくる。
嫌でも目立つ。
ただし、彼にはとっておきの魔法があった。
『森に行く』
ただそれだけで目付け役たちは押し黙り、彼を見送ってくれるのだ。
街中を避けて森へと続く獣道。
慣れたものだ。
鬱蒼と茂る草木。
大人が両手を伸ばしても届かないほど太い幹を持つ樹木たち。
向こうを見通そうとしても、あまりの濃い緑に巨大な穴蔵かと思うほどだ。
彼は嬉々として森に入った。
彼は森で生まれ育った。
森は庭で、木々の間が道で、川は水路だった。
それが、ほんの少し外れただけだ。
でも同じ森なのだ。
なのに……。
「迷った…………」
自覚したときにはすでに遅く、日が暮れていた。
森の日暮れは早い。
そうと気づいたときにはもう夜だ。
あたりは真っ暗で、巨木が四方に伸ばした枝と茂った葉で月明かりもない。
自分の指先だって、目の前に持ってきてやっと爪が見える。
こんなことは初めてだ。
きっと、お目付け役たちは真っ青になって彼を探していることだろう。
長老たちは、それ見たことかとがなりたてているだろう。
「…………。
ま、たまにはいいか」
じっとしていても仕方がない。
だからといってこれ以上歩くのは危険だ。
彼は野宿の準備を始めた。
手探りで乾いた地面の草を取り除き、そこに枯れ枝と落ち葉をかき集める。
腰に下げていた袋から火打ち石を取り出して火をつけた。
視界がひらけたのに安心して腹が鳴った。
明るいうちに干し肉を水筒の水で喉に流し込み、外套に包まって横になった。
明るくなってから今後の行き先を決めよう。
そう思って、まぶたを閉じた。
「おい」
どす、っと衝撃が来て、背中に鈍痛がした。
何事だろうかとハッキリしない頭をかかえて起き上がる。
「何してるんだ、ぼうや」
「………………」
ぼうやとは自分のことだろうかと、彼は首をかしげた。
「よく一晩、無事だったな。
足の指とか無くなってないか?」
「……………………」
「………………。
根性の座ったやつだ」
男は、くすぶっていた焚き火に小枝を放り込んで火を大きくした。
腰に下げている小さな鍋に水筒の水を注ぎ、火にかける。
お湯が沸くと鍋に茶葉を放り込み、鍋を揺らして中をかき混ぜる。
反対側の腰に下げてあるカップにお茶を半分注ぎ、まだボーっとしている彼に差し出した。
「飲め。熱いぞ」
カップを受け取っても、彼はしばらくはボーっとしていた。
男は鍋に直接口をつけて「あちち、あち」といいながらお茶を飲む。
「で、どこのものだ?
迷子か? 家出……じゃなさそうだな」
「………………」
「探検が楽しいって年でもないだろうし、無茶するな。
途中まで送ってやるから、おとなしく帰るんだぞ」
ぺちゃぺちゃ
「…………ヘンなやつ」
彼がカップに舌を差し入れて飲んでいるのをみて男が言った。
「……ヘン?」
「熱いなら冷まして飲めよ。
犬じゃあるまいし」
それはそうだ。
だって自分は……と彼はそこまで考えてはっと気づいた。
自分は今。
“両手”でカップを持っている!
「……………………」
「……なんだ?」
「い、いいえ。あの、……失礼、しました」
「別に」
「朝がニガテで」
「あぁあそう。飲めよ」
「は、はい…………」
ずずー
ずずー
ずー……
「…………」
無意味な沈黙が流れる朝。
見知らぬ男に蹴り起こされ、温かいお茶を向かい合って飲んでいる。
なんておもしろい一日の始まりだろう。
こんな朝は生まれて初めてだ。
その後、男は本当に、彼を家の近くまで送ってくれた。
森を抜けて町にはいり、家の門に到着したとき、男が怪訝な顔をした。
「どうかしましたか?」
「…………いや。
ここ、城、だよな?」
「そうです。
わたしの城です」
「……!」
口をあんぐりと開けた男の指がゆっくりと持ち上がる。
指先がぷるぷると震えていた。
「……おまえ」
「…………ュウー!!」
遠くから彼を呼ぶ声がする。
応えようと振り返った彼の肩を男が掴んで引き戻す。
「おまえ!?」
「はい?」
「まさか!?」
「アー……!」
「どうかしましたか?」
「おまえまさかっ!?」
「ア……シュー!!」
「はい?」
「おまえ、もしかして!?」
「あ」
彼は思い出した。
そういえばお互い、名乗っていなかった。
「ご親切に送っていただいて、ありがとうございます。
わたしは…………」
深い深い、森。
広大な森林。
その中央に神殿をいただく大国がある。
神殿にはいることの許されるのは王のみ。
王は単身、森にはいり神殿を目指す。
一人で礼拝に行くことが王の役目でもあった。
神殿までは多くの獣に出会うこともある。
だが王は傷ひとつ負わず、笑顔で戻ってくる。
獣すら従えさせる王として、民は『獣のアキシュ』と呼んで敬った。
またその由来は、ときおり聖獣の姿を取る者が誕生することにもよる。
聖獣は、美しい森色の毛並みをもつというが、その特別な姿を見ることができるものはわずかである。
「そうですか、新しい副総支部長殿でしたか」
目付け役と長老のお小言から逃れようと、彼は男を自室に招きいれた。
王と呼ばれようと獣と称されようと、彼はまだ十代の遊び盛り。
朝からお小言なんで聞きたくない。
「……どうしました?」
「あ、いや。
……毛深くないですね」
どうやら、勘違いされているようだ。
「獣の姿は新月にしかとれません。
残念ながら」
「そ、そうですか」
失礼しましたと、男が頭を下げた。
「いいえ、お気になさらず。
それより……レオ導師」
「はい」
彼はにっこり微笑んだ。
もしかするとこの男は、自分のいい気晴らし相手になってくれるかもしれない。
いや、絶対になる。
「わたしと、お友だちになっていただけますか?」
「は……………………?」
男はポカンと口を開いて彼を見つめた。
身近に血縁者を置いていた。
あるまじきことだと、長老たちは毎日、口癖のように言っていた。
彼には羨ましい限りだった。
たった一人で高見の席に座ってうんうん、そうそう、とうなずく毎日は退屈で、せめて話し相手がほしい。
と、言えない臆病な自分。
うんざりだ。
例に漏れず、彼も十五歳で継承した。
これから、どれだけの年月、長老たちのお小言を耳にするのだろう。
がっかりだ。
そういえば、魔導士組合の総支部長が先年、引退された。
高齢を理由にしていたが、彼女はこっそり教えてくれた。
『わたくし、結婚しますのよ』
羨ましい限りだ。
彼も寿退位したい。
いや、彼の場合、結婚しても立場は変わらないだろう。
残念なことに。
「どちらへ行かれるのですか?」
監視役、もといお目付け役が彼の背中に問い掛けた。
「森だ」
彼は振り向かずに答えた。
表の広い廊下を横切り、狭い通路をひたすら進む。
小さな扉に突き当たり、薄汚れた鍵で開錠する。
やや腰をかがめて外に出れば、目に痛いほどの青空が広がっていた。
「いい風だ」
彼はうん、と背伸びをした。
急に伸びた背丈。
低くなった声。
大人の仲間入りをしたはずなのに、自分は一人で用足しにも行けない。
気晴らしに庭を散策しようとすれば大勢がついてくる。
嫌でも目立つ。
ただし、彼にはとっておきの魔法があった。
『森に行く』
ただそれだけで目付け役たちは押し黙り、彼を見送ってくれるのだ。
街中を避けて森へと続く獣道。
慣れたものだ。
鬱蒼と茂る草木。
大人が両手を伸ばしても届かないほど太い幹を持つ樹木たち。
向こうを見通そうとしても、あまりの濃い緑に巨大な穴蔵かと思うほどだ。
彼は嬉々として森に入った。
彼は森で生まれ育った。
森は庭で、木々の間が道で、川は水路だった。
それが、ほんの少し外れただけだ。
でも同じ森なのだ。
なのに……。
「迷った…………」
自覚したときにはすでに遅く、日が暮れていた。
森の日暮れは早い。
そうと気づいたときにはもう夜だ。
あたりは真っ暗で、巨木が四方に伸ばした枝と茂った葉で月明かりもない。
自分の指先だって、目の前に持ってきてやっと爪が見える。
こんなことは初めてだ。
きっと、お目付け役たちは真っ青になって彼を探していることだろう。
長老たちは、それ見たことかとがなりたてているだろう。
「…………。
ま、たまにはいいか」
じっとしていても仕方がない。
だからといってこれ以上歩くのは危険だ。
彼は野宿の準備を始めた。
手探りで乾いた地面の草を取り除き、そこに枯れ枝と落ち葉をかき集める。
腰に下げていた袋から火打ち石を取り出して火をつけた。
視界がひらけたのに安心して腹が鳴った。
明るいうちに干し肉を水筒の水で喉に流し込み、外套に包まって横になった。
明るくなってから今後の行き先を決めよう。
そう思って、まぶたを閉じた。
「おい」
どす、っと衝撃が来て、背中に鈍痛がした。
何事だろうかとハッキリしない頭をかかえて起き上がる。
「何してるんだ、ぼうや」
「………………」
ぼうやとは自分のことだろうかと、彼は首をかしげた。
「よく一晩、無事だったな。
足の指とか無くなってないか?」
「……………………」
「………………。
根性の座ったやつだ」
男は、くすぶっていた焚き火に小枝を放り込んで火を大きくした。
腰に下げている小さな鍋に水筒の水を注ぎ、火にかける。
お湯が沸くと鍋に茶葉を放り込み、鍋を揺らして中をかき混ぜる。
反対側の腰に下げてあるカップにお茶を半分注ぎ、まだボーっとしている彼に差し出した。
「飲め。熱いぞ」
カップを受け取っても、彼はしばらくはボーっとしていた。
男は鍋に直接口をつけて「あちち、あち」といいながらお茶を飲む。
「で、どこのものだ?
迷子か? 家出……じゃなさそうだな」
「………………」
「探検が楽しいって年でもないだろうし、無茶するな。
途中まで送ってやるから、おとなしく帰るんだぞ」
ぺちゃぺちゃ
「…………ヘンなやつ」
彼がカップに舌を差し入れて飲んでいるのをみて男が言った。
「……ヘン?」
「熱いなら冷まして飲めよ。
犬じゃあるまいし」
それはそうだ。
だって自分は……と彼はそこまで考えてはっと気づいた。
自分は今。
“両手”でカップを持っている!
「……………………」
「……なんだ?」
「い、いいえ。あの、……失礼、しました」
「別に」
「朝がニガテで」
「あぁあそう。飲めよ」
「は、はい…………」
ずずー
ずずー
ずー……
「…………」
無意味な沈黙が流れる朝。
見知らぬ男に蹴り起こされ、温かいお茶を向かい合って飲んでいる。
なんておもしろい一日の始まりだろう。
こんな朝は生まれて初めてだ。
その後、男は本当に、彼を家の近くまで送ってくれた。
森を抜けて町にはいり、家の門に到着したとき、男が怪訝な顔をした。
「どうかしましたか?」
「…………いや。
ここ、城、だよな?」
「そうです。
わたしの城です」
「……!」
口をあんぐりと開けた男の指がゆっくりと持ち上がる。
指先がぷるぷると震えていた。
「……おまえ」
「…………ュウー!!」
遠くから彼を呼ぶ声がする。
応えようと振り返った彼の肩を男が掴んで引き戻す。
「おまえ!?」
「はい?」
「まさか!?」
「アー……!」
「どうかしましたか?」
「おまえまさかっ!?」
「ア……シュー!!」
「はい?」
「おまえ、もしかして!?」
「あ」
彼は思い出した。
そういえばお互い、名乗っていなかった。
「ご親切に送っていただいて、ありがとうございます。
わたしは…………」
深い深い、森。
広大な森林。
その中央に神殿をいただく大国がある。
神殿にはいることの許されるのは王のみ。
王は単身、森にはいり神殿を目指す。
一人で礼拝に行くことが王の役目でもあった。
神殿までは多くの獣に出会うこともある。
だが王は傷ひとつ負わず、笑顔で戻ってくる。
獣すら従えさせる王として、民は『獣のアキシュ』と呼んで敬った。
またその由来は、ときおり聖獣の姿を取る者が誕生することにもよる。
聖獣は、美しい森色の毛並みをもつというが、その特別な姿を見ることができるものはわずかである。
「そうですか、新しい副総支部長殿でしたか」
目付け役と長老のお小言から逃れようと、彼は男を自室に招きいれた。
王と呼ばれようと獣と称されようと、彼はまだ十代の遊び盛り。
朝からお小言なんで聞きたくない。
「……どうしました?」
「あ、いや。
……毛深くないですね」
どうやら、勘違いされているようだ。
「獣の姿は新月にしかとれません。
残念ながら」
「そ、そうですか」
失礼しましたと、男が頭を下げた。
「いいえ、お気になさらず。
それより……レオ導師」
「はい」
彼はにっこり微笑んだ。
もしかするとこの男は、自分のいい気晴らし相手になってくれるかもしれない。
いや、絶対になる。
「わたしと、お友だちになっていただけますか?」
「は……………………?」
男はポカンと口を開いて彼を見つめた。