酒杯を返そうと差し出した腕を掴まれた。
 引き寄せられ、肩をひっくり返すように持ち上げられて視界がグルリと回る。
 体勢を保とうと踏ん張った足も払われた。

 ドスン、と自分の体が鳴った。
「……っ」
 後頭部が何かに当たった。
 痺れた手から酒杯が転がり落ち、猫足椅子の足に当たって止まる。

 痛む後頭部に手を添えながら、迫ってくる何かを反対の手で阻止する。
 それは暖かく、骨張っていた。

 横倒しになったヨウスの肩を掴み、脚に乗り上げる。
 重みに呻いたヨウスの髪を鷲掴みにし、酒臭い口を押し当ててきた。
「っぐ………」
 喉の奥から何かが競り上がって来そうだった。
 かなりの酒量を超している。

「……っは、ふ」
 唇が解放されて息を吸い込むが、空気までが酒臭く、咳き込んだ。
「じっとしていられるか?」
 咳き込むヨウスの髪を掴んで顔を上げさせた青白い青年は、血走った目が見える近さで囁く。

「じっとしていられないのなら、もっと酒をやろう」
 酔って潤んだ瞳が夢うつつに笑う。
 何も言わずじっとしたままのヨウスを緊張していると思ったのか、熱い舌で頬を舐めた。

 ゾッとした。



 押し倒された寝椅子の横に、小さな机があった。
 青白い青年はそこにある酒瓶を鷲掴みにすると、直に口を付けて呑みだした。
 ゴクリ、ゴクリと音がするたび青白い青年の喉が上下する。

 呑み切れずに口から飛び出した酒がヨウスに降り注ぐ。
 制服を今から洗濯して乾くだろうかと、ヨウスの頭は冷静だった。

 残念なことに、この顔のせいで、今と似た状況は何度も体験して来た。
 今回はまだ優しいほうだと思うくらい酷い目にも遭って来たし、監視のように遠くから見られているより判りやすいとさえ思う。
 驚いたり、怯えたりするには肝が据わりすぎていた。



 青白い青年は逆さまに酒瓶を呷り、最後の一滴を舌に乗せると、惜しむように舌なめずりする。
 その顔はトカゲに似ていた。

 酒瓶は手から離れ、重い音を立てて絨毯に落ちる。
 酒に濡れた手がヨウスの制服の帯を解く。
 しゅるりと、音が室内に響いた。

 肘掛けに打ち付けられた後頭部は、ズキズキと痛みを訴える。
 伸し掛かられた脚も痛い。
 密着した下腹部は熱く、汗でもかいているのかと思うほどだった。
 そして、酒臭い。



「ふふ…………」
 ゆっくりと制服の前が開かれる。
 青白い青年は楽しそうだ。

 実はヨウスは、酒はあまり好きではない。
 だから前後不覚になった酔っ払いも好きではない。
 酒場で働いて、ほろ酔いぐらいは許容範囲になったが、それも状況によってはかわる。

 今、ヨウスはまったく楽しくなかった。


   *  *


 学舎の正門前。
 ウロウロと落ち着かない青年が一人。

 青年が右へ行けば門番の顔も右を向く。
 左へ行けば左を向く。
 明らかに不審な人物だ。
 だが、門番は青年の顔を覚えていたので咎めなかった。

 ずっと見られていることに気付いて、ティセットは足を止めた。
「すみません、仕事の邪魔して」
「あー、いいさ」
 大切な用があるのだろうと、門番は笑って言ってくれる。

「でっかい馬車とか来たけど……大会の打ち合わせかな?」
「さぁあ?」
 落ち着かないティセットの気を紛らわせようとしてくれたのだろうが、あまり効果はなかった。

 ヨウスが襲われたと聞いて飛んで来たのだが、学生でもないティセットは学舎内に入ることができない。
 一緒に走ってきたトルクが様子を見に行った。
 自分だけ行けないのがもどかしい。

 しばらくそうして気ばかり焦っていると、中から大きな馬車が出て来た。
 もちろん中は見えないが、本体に意匠された家紋で人物が想像できる。
 槍と、花びらが一枚欠けた花――シーラット侯爵家。

「…………」
 知らずにゴクリと喉が鳴った。
 ヨウスとは無関係だ……思う一方、胸騒ぎがした。

 それからまた待ったが、なかなかトルクは戻ってこない。
 学生が何組か出て来たが、知らない顔だったので話しかけずにいた。
 知った顔が通った時、ヨウスのことについて尋ねようとしたが、騒ぎが大きくなりそうで、当たり障りのない会話で別れた。。

 落ち着かない。
 じっとしていられない。

 中では騒ぎになっているのだろうか?
 ヨウスは無事だろうか?
 トルクはいつ戻って来るのだろう?

「……くそっ」
 地面を蹴って学舎の柵を殴る。
 柵のそばに座り込んで、自分の髪を握り締めた。

 何もできない。
 思い描いた道は脆く、組み立てても組み立てても壊れてしまう。
 違う道を歩けば何度も躓く。
 立ち上がって歩きだせば、また転ぶ。

「何なんだよ!」
 ためていた我慢は苛立ちとなって口から出た。