マリーの胸はいっぱいになっていた。
 何度聞いてもすてきなお話だ。
 あと百回聞いても飽きないだろう。

「楽しんでくれた?」
「えぇ、とっても!
 あなたお話が上手なのね。
 わたしのお話し相手になってくれたらいいのに」

「お話する人はいないの?」
「いっぱいいるわ。
 でもみんなあなたみたいなお話ししないわ」
 女の人は首をかしげた。
 細い金髪がふわりと揺れ、マリーはうっとりと見惚れた。

「どこかおかしいところがあった?」
「うぅん。
 そうじゃなくてね、みんなね、『ございます』とか、『であるからにして』とかね、おかしな言いかたをするのよ。

 そのお話は好きなのに、ちっともおもしろくないの。
 みんなのお話しのしかたがイヤなの。

 それにね、軍師さまと聖女の騎士が、仲が悪かったなんて、初めて聞いたわ」
 ふーん、と女の人はうなずいた。



「ね、ほんとうに、お城にこない?」
「お城に? わたしが?」
「そうよ。
 わたしがお父さまにお願いしてみるから」

 ね、とマリーは笑った。
 兄たちが大好きな顔だ。
 だが女の人は苦笑して、それはできないと言った。

 マリーは驚いた。
 願いが通らないことはたまにあるが、城勤めを断られたことはない。

「わたしね、あるお屋敷に勤めてるの。
 奥様はお足が悪いから辞められないわ。
 奥様のことが心配だもの」
「そ、そんなに悪いの?」
「雨の日はずっと臥せっていらっしゃるの」

 女の人は泣き出しそうな顔をした。
 でも涙は出なかったのでマリーは安心した。
 慰めてもらったことはたくさんあるが、慰めたことはない。

 小さなため息をついた女の人はあごを上げて、木漏れ日のまぶしさに目を細めた。
 ちょっとした仕草やささやかな風に揺れる髪は初めて見るくらい細く、艶やかだ。
 黄金でできているように美しい。



「お家はどこなの?」
「わたしの家?
 ここよりずっと東よ。
 どうして?」

「あのね、あなたみたいなキレイな髪の人、初めてなの。
 お城の外からくる人にだって、こんなキレイな人いなかったわ」
「そう? ありがとう。
 あなたはお城に住んでいるの?」
「そうよ。
 だって王女だもの」

「…………。
 お姫様なの?」

 心底驚いたような顔をされ、マリーはがっかりした。
 今日は汚れるだろうと思ってちょっと古いドレスを着てきたからだろうか。
 それとも地味に三つ編みで済ませた髪のせいか。
 城仕えをあっさり断ったのは、マリーを王女だと思いもしなかったからだろう。

「ごめんなさい、姫様。
 失礼なことばかりしたわ」
「いいの。
 だってお澄まししなくていいもの。
 怒ることなんてないわ」

 女の人はくすりと笑った。
「友だちにそういう人がいたわ。
 その人もお姫様なのに、下手だけど料理をしたり、水のお風呂に入ったり、敷布の敷き方がわからないって言ったり」
「お姫様なの、その人?
 お姫様と友だちなの?」

 敷布のなんて侍女が毎日取り替えてくれるから、自分でしようなんてちっとも思わなかった。
 言われてみればどうするのか知らないし、厨房なんてどこにあるのかもわからない。

「そう。
 大切な友だちなの」
「その人のところにいるの?」
 女の人はちょっと困った顔をして首を振った。

「彼女は、もう……遠くへ行ってしまったの」
「あ………………ご、ごめんなさい」
 いいの、と女の人は言った。

 女の人は俯いて、膝の上においた手を眺めている。
 その視線が少しあがって地面を見、もう少しあがって草を見、さらにあがって木を眺めた。
 ずっと遠くを見通すような眼差しをして。

「きれいなお庭ね。
 森みたい」
「気に入った?
 だったら、また来てもいいわ。
 お父さまには内緒にしておいてあげるから」
「内緒に?」
 二人の視線が合うと、おかしさがこみ上げて笑い声を上げた。



「ねぇ。
 あなたの名前を聞いてもいいかしら?
 わたしはマリーナよ。

 マリーナ・ウィリアナっていうの」

「……マリー、ナ?」
「そうよ。
 シュワルド国王家の長女だもの。
 ウィリアナはね、お祖母さまからいただいたのよ。
 だからね、わたし、毎日このお庭に種をまくのよ」

「種を?」
「あのね、お祖母さまが王さまだったときにね、食べものがなくなってしまったんですって。

 畑をたがやしても、嵐がぜんぶ持ってちゃったんですって。
 それでお祖母さまはね、この森にみんなをいれてね、木の実やお花をとってもよいって、お許しになったの。
 それでその年はよかったんですって。

 でもね、次の年には木の実もお花もなくって、やっぱり畑では食べものがつくれなくて、しかたがないから木を切って、おとなりの国に売ったの。
 それで食べものを買って、みんなで分けたんですって。
 それでまたその年もよかったの。

 でね、次の年には畑から食べものができたの。
 でもちょっとしかなかったから、やっぱり木を切って、おとなりの国に売ったの。

 それでね、その次の年にはね、たくさん、食べ物ができたのよ!
 もうこのお庭から食べものや木を持っていかなくてもよかったの。
 でもね、お庭にはね、お花も木の実もならなかったの。
 次の年も、その次の年もお花は咲かなかったんですって」

 マリーは西のほうを指した。
「あっちには行ったことがある?」
 女の人は首を振った。

「あっちもお庭なの。
 でもね、ここみたいに木がなくて、森には見えないの。
 むかし木を切って売ってしまったからなんですって。

 だからね、お祖母さまはずっと毎日、お花の種をうえていらしたの。
 いつか元どおりになるようにって。

 でもね、もうお祖母さまはお歳だから、わたしがかわりに種を植えるの。
 わたしはお祖母さまとおなじ名前だから、きっと森が許してくれるわ」

 マリーは誇らしげに胸を張って見せた。
 けれど女の人は悲しそうな顔をしていた。
「森に、許しをいただかなくてはいけないことなの?」

「ばあやがいつも言ってるわ。
 使ったあとは直しなさいって。
 それが自然なことなのですよ、って。

 だからたくさん庭師をいれて、森を元どおりにするのよ。
 そうすれば森の番人が、木の実やお花をつけてくれるのよ。
 きっと、お祖母さまのお願いがつうじたから、きのこもできたのよ」

 女の人にじっと見つめられる。
 その人の瞳の色はとても深い青色で、兄たちと星を数えた夜の空のような色だ。



「ねぇ。
 あなた、なんていうお名前なの?」
 もう一度尋ねると、女の人ははっとしたように肩を震わせ、苦笑した。

 目に涙を浮かべて。
「シルヴィアよ、姫様」

 嬉しそうに微笑んだ。