満開の花園。
目も眩むような色とりどりの花。
むせ返るような甘い香り。
ポプラの木立に囲まれた庭。
野ばらの道を抜け、鉄扇の門をくぐり、花びらも流れる小川に架かる橋を渡ると、金木犀に囲まれた小道が現れる。
緩やかな上り坂をゆっくり登ると、小道の終わりには開けた場所があった。
周囲は小さな花を咲かせる背の高い木々に囲まれ、屋敷も見えない。
反対側は庭の半分が見渡せた。
リースの迷路、ポピーとスイートピーの海、雪柳の白い滝、三色スミレの絨毯。
小さな広場には、猫足の白い机に揃いの椅子が二脚。
そして客人をもてなす人。
「ようこそいらっしゃいました、マリー様」
慎ましいながらも美しく結い上げた髪は淡い金髪の、女主人。
父王からウィンストン王公爵を任されたコレッタ王女は、美しい淑女へと成長していた。
「お久しぶりです、コリィ様」
念願の子を出産したシュワルド国女王マリーナは、薄い空色の瞳で微笑んだ。
先年、マリーナは、先代ウィンストン王公ウィリアムの実子であることが立証され、グロバー国との友好的な結びつきを強くすることとなった。
この吉報に誰もが驚き、いかにしてそれが立証されたのか詳しく探ることをしなかった。
いや、できなかった。
グロバー国王姉の喜びように、誰も疑いをもてなかったのだ。
また、グロバー国の片隅でひっそりと最期を迎えた先代シュワルド国王とその家族は、人々の記憶の片隅に追いやられた。
今日の平和を築いてくれたのは聖女であり、逃亡先で倒れた愚王ではないことは誰もが知っている。
二人の婦人が席に着く。
女王公爵の後ろにひっそりと従っていた侍女は、爽やかな香りのする花茶を差し出した。
一口飲んで、マリーナは驚いた。
「あぁ、美味しい」
「でしょう?」
女王公爵は嬉しそうに言う。
「王姉殿下の薔薇園も見事だとお聞きしますが、こちらもとても美しいですね、コリィ様。
花園と呼ばれるだけのことはおありです」
「マリー様がくださった木も、じきに花を咲かせますわ。
スライの贈ってくれたものと、どちらが早く咲くのかしら」
和平が終結されると、あれほど活躍してくれた盗賊団はあっさり故郷に帰ってしまった。
と思いきや、なんと彼らのねぐらは、このウィンストン王公領のすぐ近くなのだ。
シュワルド国で知り合ったことがきっかけで、ときどき女王公爵に会いに来るらしい。
王族以外の金持ちしか襲わないというのが彼らの信条らしく、女王公爵も気兼ねせず彼らを迎える。
ふふ、とマリーナは笑った。
今日、マリーナがウィンストン王公爵邸を訪れたのは、いくつか理由がある。
父の家に里帰りすること、友人との約束があったこと、そしてその友人におめでたいことがあったから。
結婚六年目にして、やっと王公爵家にも天からの恵が訪れた。
男子か女子かと、王公爵夫君は一日一日の長さにやきもきしているという。
「男子ですか? それとも女の子?」
「わたしはどちらでもかまわないんですけど、夫は女の子がいいなんて言うんですよ」
「いけないのですか?」
「だって女の子だったら、わたくしに構ってくれなくなりますわ」
ぷん、と頬を膨らませる友人の顔に、マリーナはおもわず声をあげて笑った。
自分でも恥ずかしかったのか、女主人は頬を赤らめる。
「お子方はお元気ですか? もう大きくおなりでしょうね」
「やんちゃ盛りで、クラウスが毎日追いかけています。
特にフォスには手を焼いているみたいで」
「あの軍師さまみたいですわね」
「本当に」
二人の貴婦人は笑い声を上げた。
マリーナがグロバー国王家の血縁者であることの証明のひとつに、子どもがあった。
グロバー国王家では双子の出産が多く、しかもマリーナの子は二人とも目の色がグロバー国王家特有の、薄い空色の瞳だったのだ。
双子の一人にはフォスターと名付けた。
もう一人はシルヴィン。
あの軍師フォスターと、金糸の髪のシルヴィアから貰ったものだ。
我が子に友人の名をつけたいと言ったとき、クラウスはちょっと嫌な顔をしたが、結局うなずいてくれた。
べつにクラウスだって心の底から嫌っているわけではない。
あの口調と態度が気に入らなかっただけで、シュワルド国への貢献には心から感謝している。
シルヴィアは友人を助けたいと、フォスターはそのシルヴィアに泣きつかれたからとマリーナたちを助けてくれた。
結果、シュワルド国という大きなものまで救ってくれた。
祖国を守り、兄弟国を得、クラウスと結ばれてかわいい子にも恵まれた。
人々の笑い声と新しい絆、懐かしい思い出───彼の命の重たさが手に取るようにわかる。
いいや。
手にすることもできないほど重い。
もし彼が生きて今ここにいてくれたら、きっとマリーナはその手に接吻しただろう。
感謝してもし足りない。
涙も見せず最後まで自分を励ましてくれたシルヴィアの存在はほかに代えることもできず、手紙の送り先さえ聞かなかった自分が愚かしい。
彼女は今、泣いているだろうか?
「マリー様?」
手を握られ、マリーナははっと気づいた。
「……コリィ様。
コリィ様は、居所の知れない人に、どうやってお気持ちをお伝えになりますか?」
バカなことを聞いたとマリーナは自嘲したが、意外にも答えが返ってきた。
「風に伝えますわ」
「……え?」
俯けていた視線を上げると、友人は微笑んでいた。
マリーナが何を悲しんでいるのか知っているような目だ。
「風にお願いするのです。
思いを伝えてほしい、と」
「風に……?」
「昔からの謂れです。
風は思いを運ぶものだと。
太古、すべての国が戦に明け暮れ、戦う理由さえ忘れ、戦いに疲れたとき、人々は多くのものを失っていたことに気づき、涙したそうです。
神々にすら見捨てられ、生きる気力も失った人々は、この世の終わりだと嘆いたと。
今は御伽噺にしかいない魔法使いたちは、泣き暮らす人々のために、風に思いを乗せて運ばせ、死を選ぶ人を諭し、取り乱す人を静め、嘆く人を励まし───そうやって、多くの心を慰めたと言います。
風には、神々とともには還らずにいた精霊が宿っていて、それが人々の希望になったと」
彼は、風の使者なのです───
ウォーレン宰相の言葉が頭のなかに甦った。
風のように訪れて、名残だけを残して消えていく風のようだと。
誰もが彼をそういう。
マリーナもそう思う。
彼の故郷が森にあったと
なにものにも捕らわれず、飾らず。
森のなかで、森とともに生きていく方法を知っていたのだろう。
彼らは本当に必要なものだけを手にしていた。
それを手にいれる方法をマリーナたちにも教えてくれた。
新アインス国を許し、逃げたシュワルド国王を追いもせず、暗殺を謀った従兄弟ポルターを丁寧に埋葬した。
すべて時が経てば自然が飲み込んでくれると知っていた。
憎み返すことだけがすべてではないと、教えてくれた。
最初に出会ったとき、光が飛び出してきたのかと思った。
明るい日差しの庭の端に彼女は転がり込んできた。
マリーナを見上げて、微笑んだ。
マリーナの手を強く握りしめ、この身の不遇を嘆き、怒り、抱きしめてくれた。
柔らかな手が背をなで摩り、暖かな食事をご馳走してくれた。
最初に出会ったとき、彼の瞳は光の加減で金色に見えた。
蝋燭一本だけの明かりのなかから自分を導き、夜空にはキラキラと輝く星が無数にあることを教えてくれた。
その輝きを一生忘れないだろう。
彼も故郷を離れるときは悲しかっただろうか。
彼にとって半年は長かっただろうか。
今、彼の魂は、故郷の森の大きな木の枝に腰掛け、昼寝でもしているのだろうか。
森に帰るの
わたしたちの家があるの
そこからずっと
姫様のこと
想っているからね
これから彼らを思い出すたび、その後ろには森を思い浮かべるだろうと、マリーナは思った。
あの庭はそっとしておこう。
彼の眠りが穏やかであるように。
また、金糸の髪の少女が、訪れてくれるように。
聖女は、一粒だけ、キラキラと輝く涙を流した。
目も眩むような色とりどりの花。
むせ返るような甘い香り。
ポプラの木立に囲まれた庭。
野ばらの道を抜け、鉄扇の門をくぐり、花びらも流れる小川に架かる橋を渡ると、金木犀に囲まれた小道が現れる。
緩やかな上り坂をゆっくり登ると、小道の終わりには開けた場所があった。
周囲は小さな花を咲かせる背の高い木々に囲まれ、屋敷も見えない。
反対側は庭の半分が見渡せた。
リースの迷路、ポピーとスイートピーの海、雪柳の白い滝、三色スミレの絨毯。
小さな広場には、猫足の白い机に揃いの椅子が二脚。
そして客人をもてなす人。
「ようこそいらっしゃいました、マリー様」
慎ましいながらも美しく結い上げた髪は淡い金髪の、女主人。
父王からウィンストン王公爵を任されたコレッタ王女は、美しい淑女へと成長していた。
「お久しぶりです、コリィ様」
念願の子を出産したシュワルド国女王マリーナは、薄い空色の瞳で微笑んだ。
先年、マリーナは、先代ウィンストン王公ウィリアムの実子であることが立証され、グロバー国との友好的な結びつきを強くすることとなった。
この吉報に誰もが驚き、いかにしてそれが立証されたのか詳しく探ることをしなかった。
いや、できなかった。
グロバー国王姉の喜びように、誰も疑いをもてなかったのだ。
また、グロバー国の片隅でひっそりと最期を迎えた先代シュワルド国王とその家族は、人々の記憶の片隅に追いやられた。
今日の平和を築いてくれたのは聖女であり、逃亡先で倒れた愚王ではないことは誰もが知っている。
二人の婦人が席に着く。
女王公爵の後ろにひっそりと従っていた侍女は、爽やかな香りのする花茶を差し出した。
一口飲んで、マリーナは驚いた。
「あぁ、美味しい」
「でしょう?」
女王公爵は嬉しそうに言う。
「王姉殿下の薔薇園も見事だとお聞きしますが、こちらもとても美しいですね、コリィ様。
花園と呼ばれるだけのことはおありです」
「マリー様がくださった木も、じきに花を咲かせますわ。
スライの贈ってくれたものと、どちらが早く咲くのかしら」
和平が終結されると、あれほど活躍してくれた盗賊団はあっさり故郷に帰ってしまった。
と思いきや、なんと彼らのねぐらは、このウィンストン王公領のすぐ近くなのだ。
シュワルド国で知り合ったことがきっかけで、ときどき女王公爵に会いに来るらしい。
王族以外の金持ちしか襲わないというのが彼らの信条らしく、女王公爵も気兼ねせず彼らを迎える。
ふふ、とマリーナは笑った。
今日、マリーナがウィンストン王公爵邸を訪れたのは、いくつか理由がある。
父の家に里帰りすること、友人との約束があったこと、そしてその友人におめでたいことがあったから。
結婚六年目にして、やっと王公爵家にも天からの恵が訪れた。
男子か女子かと、王公爵夫君は一日一日の長さにやきもきしているという。
「男子ですか? それとも女の子?」
「わたしはどちらでもかまわないんですけど、夫は女の子がいいなんて言うんですよ」
「いけないのですか?」
「だって女の子だったら、わたくしに構ってくれなくなりますわ」
ぷん、と頬を膨らませる友人の顔に、マリーナはおもわず声をあげて笑った。
自分でも恥ずかしかったのか、女主人は頬を赤らめる。
「お子方はお元気ですか? もう大きくおなりでしょうね」
「やんちゃ盛りで、クラウスが毎日追いかけています。
特にフォスには手を焼いているみたいで」
「あの軍師さまみたいですわね」
「本当に」
二人の貴婦人は笑い声を上げた。
マリーナがグロバー国王家の血縁者であることの証明のひとつに、子どもがあった。
グロバー国王家では双子の出産が多く、しかもマリーナの子は二人とも目の色がグロバー国王家特有の、薄い空色の瞳だったのだ。
双子の一人にはフォスターと名付けた。
もう一人はシルヴィン。
あの軍師フォスターと、金糸の髪のシルヴィアから貰ったものだ。
我が子に友人の名をつけたいと言ったとき、クラウスはちょっと嫌な顔をしたが、結局うなずいてくれた。
べつにクラウスだって心の底から嫌っているわけではない。
あの口調と態度が気に入らなかっただけで、シュワルド国への貢献には心から感謝している。
シルヴィアは友人を助けたいと、フォスターはそのシルヴィアに泣きつかれたからとマリーナたちを助けてくれた。
結果、シュワルド国という大きなものまで救ってくれた。
祖国を守り、兄弟国を得、クラウスと結ばれてかわいい子にも恵まれた。
人々の笑い声と新しい絆、懐かしい思い出───彼の命の重たさが手に取るようにわかる。
いいや。
手にすることもできないほど重い。
もし彼が生きて今ここにいてくれたら、きっとマリーナはその手に接吻しただろう。
感謝してもし足りない。
涙も見せず最後まで自分を励ましてくれたシルヴィアの存在はほかに代えることもできず、手紙の送り先さえ聞かなかった自分が愚かしい。
彼女は今、泣いているだろうか?
「マリー様?」
手を握られ、マリーナははっと気づいた。
「……コリィ様。
コリィ様は、居所の知れない人に、どうやってお気持ちをお伝えになりますか?」
バカなことを聞いたとマリーナは自嘲したが、意外にも答えが返ってきた。
「風に伝えますわ」
「……え?」
俯けていた視線を上げると、友人は微笑んでいた。
マリーナが何を悲しんでいるのか知っているような目だ。
「風にお願いするのです。
思いを伝えてほしい、と」
「風に……?」
「昔からの謂れです。
風は思いを運ぶものだと。
太古、すべての国が戦に明け暮れ、戦う理由さえ忘れ、戦いに疲れたとき、人々は多くのものを失っていたことに気づき、涙したそうです。
神々にすら見捨てられ、生きる気力も失った人々は、この世の終わりだと嘆いたと。
今は御伽噺にしかいない魔法使いたちは、泣き暮らす人々のために、風に思いを乗せて運ばせ、死を選ぶ人を諭し、取り乱す人を静め、嘆く人を励まし───そうやって、多くの心を慰めたと言います。
風には、神々とともには還らずにいた精霊が宿っていて、それが人々の希望になったと」
彼は、風の使者なのです───
ウォーレン宰相の言葉が頭のなかに甦った。
風のように訪れて、名残だけを残して消えていく風のようだと。
誰もが彼をそういう。
マリーナもそう思う。
彼の故郷が森にあったと
なにものにも捕らわれず、飾らず。
森のなかで、森とともに生きていく方法を知っていたのだろう。
彼らは本当に必要なものだけを手にしていた。
それを手にいれる方法をマリーナたちにも教えてくれた。
新アインス国を許し、逃げたシュワルド国王を追いもせず、暗殺を謀った従兄弟ポルターを丁寧に埋葬した。
すべて時が経てば自然が飲み込んでくれると知っていた。
憎み返すことだけがすべてではないと、教えてくれた。
最初に出会ったとき、光が飛び出してきたのかと思った。
明るい日差しの庭の端に彼女は転がり込んできた。
マリーナを見上げて、微笑んだ。
マリーナの手を強く握りしめ、この身の不遇を嘆き、怒り、抱きしめてくれた。
柔らかな手が背をなで摩り、暖かな食事をご馳走してくれた。
最初に出会ったとき、彼の瞳は光の加減で金色に見えた。
蝋燭一本だけの明かりのなかから自分を導き、夜空にはキラキラと輝く星が無数にあることを教えてくれた。
その輝きを一生忘れないだろう。
彼も故郷を離れるときは悲しかっただろうか。
彼にとって半年は長かっただろうか。
今、彼の魂は、故郷の森の大きな木の枝に腰掛け、昼寝でもしているのだろうか。
森に帰るの
わたしたちの家があるの
そこからずっと
姫様のこと
想っているからね
これから彼らを思い出すたび、その後ろには森を思い浮かべるだろうと、マリーナは思った。
あの庭はそっとしておこう。
彼の眠りが穏やかであるように。
また、金糸の髪の少女が、訪れてくれるように。
聖女は、一粒だけ、キラキラと輝く涙を流した。