「フォスター!」

 聖女の騎士の叫びが遠ざかる。

 何度名前を呼ばれても、青年軍師は振り向きもしなかった。
 周囲を囲む男たちを注意深く見回している。

 一人はすでに倒れていた。
 乗り主を亡くした馬が男たちの気迫に怯えていななく。
 その怯えようはまるで捕らわれの姫君のようだ。
 その姫君はきっと馬面だろうけれど。

 残った味方は八人。
 当初の予定通りだ。

 青年軍師は、クラウスの隙を見計らって、護衛の騎士たちにこの事態が起きた場合の対処を話しておいた。
 仲間思いの騎士たちは二つ返事でうなずき、身軽で乗馬に長けた者が聖女の騎士を無事に帰す役目を負った。
 残ったのは剣の腕に自信のあるものだ。

 クラウスは怒るだろう。
 それでもやらなければならない。
 聖女の騎士は傷ひとつつけず、主のもとへ返さなければならない。

 事情は後からシルヴィアが話してくれるだろう。



「『我ら一行がシュワルドの聖女の使者と知ってのことか!』」

 青年軍師はとりあえず、この事態を予想していなかったという芝居を続けた。
 思ったとおり鎧を着崩した男たちは口元を緩め、舌なめずりまでした。

「『今下がるのなら剣を収めてやろう』」

 ならず者の男たちは一向にその気配は見せない。
 当然だろう。
 雲の上にいるような人物からたっぷりの褒章や破格の昇格などを約束されているはずだ。
 せっかく囲んだ獲物を逃がすわけがない。

「おまえたちは適当に潰したらクラウスを追え。
 ほかにも伏兵がいるかもしれない」
 護衛たちはうなずいた。

 余計な相談はさせまいとするかのように、それ以上の会話はできなかった。
 二人目の敵は青年軍師の左手にいた騎士が剣を横薙ぎにして首を落とした。

 青年軍師は一歩下がって、動きの妨げにならないように味方の輪の中にはいった。

 剣を抜きはしたが、最初の一人を斬ったあとは向かって行こうともしない。
 身軽に敵の剣先を避け、跳ね返すくらいだ。
 これまでも軍師が剣で手柄を立てたことはないのだから、専門家に任せたほうがいい。

 十名ほどかと思われたならず者たちの半数が倒されると、雄叫びを上げて横手の林から増援が向かってきた。
 陽に焼けた赤黒い肌の男たちは乱杭歯を剥き出しにして、その視線は護衛たちの中央に向けられる。

 青年軍師は傷を負ったものと一番小柄なものの二名に先に行くように指示した。

 これも申し合わせていたことで、二人は視線を寄越すこそで了承し、徐々に前線から離れていった。
 さすがに土地の者。
 敵が出てくる森に恐れもせずにはいり、次々に出てくる敵を避けていく。



 敵は斬っても斬っても出現した。
 まるで林の木がならず者に変身して襲ってくるようだ。
 青年軍師はまた二人を逃した。

 どれだけ経ったのか、敵に切れ目が見えた頃、残りの味方にも疲れが見えた。
「クラウスを追え!」
 四人の味方も視線で了解した。

 それから三人が斬られたが、ならず者たちは増えなかった。
 どうやら林は人間を出し尽くしたらしい。

 兵士の一人が前線を離れた。
 それを追おうとしたならず者を倒し、さらに一人の騎士が離れる。

 残りは二人と、青年軍師。
 それを好機とみなしたのか、ならず者たちはいっそう大きな声をあげて斬りかかってきた。

 あまりの雄叫びに驚いた騎士の馬がいななき、態勢を崩した。
 ならず者が斬りかかる。

 後ろにいた青年軍師が滑り込むように前に出る。
 馬の顔すれすれで剣戟を受け止め、そのまま流れるように払った。
 ならず者が態勢を崩したところを逃がさず斬る。

 細い銀の糸が一瞬燃えるような赤になり空気を切り裂いて舞った。
 ひゅん、と薄いものを切り裂き、ざくりと重い肉を斬る。

 騎士の一人が下がり、続いて最後の一人は……。
「下がれ!」
「お供します!」

 怒りを含んだ声に負けず叫び返すのは、最後にこの案を呑んだ騎士だった。
 特に反論はしなかったが、最後までうなずかなかった。

 引かないのを見て、青年軍師が舌打ちした。
「前に出すぎるな」
「騎士はっ、前のめりに、死ぬものです!」

 息を弾ませながらも言い返すくらいの余力はあるらしい。
 剣の腕前は人並みだが体力があるらしく、剣先のぶれもまだ大きくはない。

 青年軍師は三度以上刃を合わせなかった。
 急所を狙い、確実にひと斬りで倒す。



 最後の一人を倒したとき、さすがに青年軍師も息があがっていた。

「お見事でした」
「なにがお見事だ。
 命令違反だぞ、ロイビー」

 ローイング伯の補佐をしているはずの騎士ロイビーは、いらずらの成功に喜ぶ子どものような顔をした。

「あなたに、ぎゃふんと言わせて、みたかったのですよ」
 荒い息の下で騎士は悪びれずに言った。
「ぎゃふん」

「そっけない人だ。
 もっと、驚いてくださらないと。
 最後なのですから」
「…………」

 さらりと言われた別れの予兆に、青年軍師は無言で答えた。
 騎士は仕留めた大きな獲物の顔に満足した。
 咎めもせず微笑する。

 風が沈黙する二人の隙間を埋め、離れた。
 癖のひどい黒髪を、まっすぐな茶髪をなぶり、風の向きの代わる季節を教えていった。

 あれから───聖女誕生から一つの季節が過ぎ、収穫の頃を迎えた。
 六年前の今は、二人の立つ道を農夫たちが収穫のために忙しなく歩いていただろう。
 ならず者たちを産み終えて沈黙した林の向こうは延々と続く田畑なのだ。

 南を見れば王都への道。
 西を向けば商業大国への、北を向けば賢明王の国へ続く。
 東は不毛の森。

「行かれますか」
「……あぁ」
「聖女さまが寂しがられましょう」
「……クラウスがいる」

「あなたは聖女さまのお友だちでしょう。
 きっと寂しがられます。
 せめてシルヴィア殿がいてくださればよいのですが……無理なのでしょう?」

 軍師は答えなかった。
 騎士がその答えを知っているから、わざわざ形にしてやることもなかった。
 そんなことをしなくても騎士は自分で答えを導く力があることを見抜いていた。



「住まいは海ですか、山ですか……それとも、天?」
 軍師の視線が動いた。
 東へ。

「森、ですか……」
 くすりと軍師が笑った。
「森に見えるか」

「わたしには森にしか見えませんが……。
 あの森は軍師どののお住まいでしたか。
 噂では賢者が住まうと言われていたのですが。

 ……なるほど。
 入って行った人間がことごとく戻らないはずです。
 軍師どのの家の周囲で骨になっていては、戻るに戻れませんな」

「人を人喰いか何かと一緒にするな。
 行き倒れはちゃんと外に捨てている。
 おおかた、大見得を切ったばかりに戻るに戻れなかったんだろう」

「そうですか。
 わたしはまた、あなたの美しさの虜になって戻れなくなったものかと」
「いやなヤツだ」
「軍師どのほど口が悪いとは思いませんが」

「これは昔からだ。
 ロイビー」
「はい」

 軍師は腰に差していた、ついさっき人を切ったばかりの剣を鞘ごと抜き、騎士に向かって放り投げた。
 騎士の目は右手で掴んだ剣と元の持ち主を交互に見る。



「騎士の表すものは誠実と正義だそうだ」
 ゆっくりと、彼は語りだす。
「俺も昔ちょっとやってみたが、大したものじゃなかった。

 英雄王の剣がなかなか持ち主を選ばないくらい、正義というものはそうあるものじゃない。
 礎の錫杖が姿を消したくらい、人は平和のつくり方を忘れてしまっている。

 民に豊かな暮らしをと戦を起こしたって、本当に豊かになれるわけじゃない。
 それで周囲に警戒され、交易が切れて交流が途絶えれば孤立する。
 戦をするよりも、いかに繋がりを持ち、いかに交友を深め、いかに互いを思いあうことが、余計な災いを呼び込まない方法だ」

「……アインス国と手を組めとおっしゃられるか?」

「すぐには無理だろうな。
 国の一部は取られたままだ。
 この先ずっとこの事実は変わらない。

 シュワルド人は国を取られた悲しみを、アインス人は最後まで戦えなかった悔しさを抱えていくだろう。
 だからって、もう一度戦争なんかしても、決着はつかない」

「シュワルド国が勝つかもしれません」

「勝ったとして、おまえの親兄弟、仲間たち、知っているものたちはそのときどれだけ生き残っている?
 すべてか?
 そのときおまえは、一人で何をする?
 何のために戦ったと言える?」

「…………」
 軍師は笑った。
 問題を解けないでいる生徒を見るような眼差しを、騎士の背後、遠くへと向ける。

「おまえたちがこれからどうするのか、予想はしても絶対に当たるわけじゃない。
 だから言っておく。
 ……生きていてこそ、できることがある」

 生きていなければできないことがある───

 生きてやり遂げなければならないことがある───

 生きて、その先に何があるのか。



「ロイビー・ウォーレン、剣を抜け」

 軍師が腰に差した短剣を抜いた。
 その刃を騎士は初めてみた。
 美しい銀の刃を持つ、飾り石のひとつもない剣は、とてつもなく神々しく輝いて見えた。

 騎士は手にあった剣を抜いた。

「なっ……!」
 斬られる、と思った。

 平凡な剣術の腕前しか持たないはずの軍師は、先ほど見せた本当の腕前をいきなり目の前で披露し、騎士を驚かせた。
 血糊で多少霞んでいた剣の刃を撫でるように短剣がすべり、まるで手品のように刃が燃え上がる。

 目の前に掲げた剣は騎士の頬を赤く照らしながらめらめらと燃える。
 ついさっき人を切ったはずなのに、どうして薪のように燃え上がるというのか。

「て、手品ですか!」
「実を言うと、そこまで器用じゃないんだ」
「な、だっ、だったら、な、なな…………」

 火を消そうと剣を振るが、衰える様子もない。
 馬が怯えるので遠ざけたいのだが、そのために手を離すという方法を思いつかない。

「燃え移るものじゃない。
 触ってみろよ」
「無茶を言わないでください。
 魔法使いでもあるまい、しっ……」

 自分の言葉に驚いた騎士は、燃える剣のことは横において軍師の姿をまじまじと見つめた。
 薄い茶色の長い髪に、深い緑色の瞳を精緻に並べた美しい青年は、呆然とする騎士を見てにや、と笑う。
 もったいない。

「……ま……………………」
 まさか、魔法使いだなんて、まかり間違ってもそんなことが……でも、本当に?

 いつから自分は御伽噺の中に組み込まれたのかわからないが、この状況で信じなければあとに響きそうだったので、騎士は無残にも己の信念を曲げた。

「ま、ま、魔法使い、です、か、あ、あなたは?」
 かなり上ずった声の質問に、
「いや、違う」
 現実の答えが返され、
「昔のことだ」
 再び御伽噺のなかに蹴り落とされた。

「ついでにいうと、それは手品とか魔法使いだとかには関係なく、持ち主に反応してそうなるんだ」
「持ち主?」

「少しのあいだ貸しておく。
 おまえが死ぬ少し前に取りに来るから、そのあいだ売ったり蹴飛ばしたりするなよ。
 一本しかないんだからな。

 あぁ、そうだ。
 一度鞘に収めれば火は消える。
 あとは普通に使えばいい」

 美しい顔がにっこりと微笑んだ。
 まるで地獄で見る天使の微笑みだ。

「こ、こ、こんな、こんなものを、わ、わたしに、どうして?」
「言っただろう?
 剣が選んだんだ」
「け、剣にい、意思が、あ……」
「ある。
 わからないなら、相性が良かったとでも思っておけ」

 いきなり燃える剣と相性が良いなど、ちっとも嬉しくない。

 どうやら軍師は好意で剣を貸してくれたらしく、それを断るほど根性は腐っていなかった。
 できれば燃えない剣が良かったが、軍師はこれ以上剣は持ち合わせていないようだ。

「じゃぁな」
「はぁ」
 軍師は一度も振り返らず、東へと馬を走らせた。