クラウスが全員を伴なって戻らなかったことに、モーガンは嫌な予感を覚えた。

 行くときは二二名いたはずの使者一行は最初に三人しか戻らず、遅れて帰還したものを入れても結局十五名だった。
 傷まで負っていて、誰の目にもそれが戦いの跡だと知れた。

 高位指揮官用の天幕でシルヴィアに手当てをしてもらいながら、クラウスに一名は戦死したことを告げられた。
 残りの六名については、しばらく沈黙があった。

 モーガンが口火を切った。
「軍師どのはどうなされた?」
「…………」
 クラウスは俯いたまま唇を噛み、傷を堪えるようにあごにしわを寄せた。

 そのとき、使者の護衛がまた一人戻ったと報告が入った。
 名前を聞くと、ロイビーという騎士だった。
「ロイビーが……?」

 彼はローイング伯の補佐をしているはずだった。
 モーガン将軍は疑問を顔にして振り向くと、ローイング伯はうなずいて答えた。

「確かに、ロイビーは使者の護衛として立ちました。
 しかし、どうしてもと本人が言うものですから、補佐には代わりのものを置いておりました」

 騎士ロイビーは天幕に呼ばれた。
 疲れた顔にも傷を負った彼は、高位指揮官たちの前で跪いた。

「ロイビー、おまえは軍師どのをみかけたか?」
「はい。
 最初の襲撃のとき、新手が出なくなりしばらくして、軍師どのと二人になりました。

 最後の一人を倒すと、軍師どのに途中の死傷者を見つけ、連れて行けるようなら一緒に帰還するようにと言われました。
 軍師どのは最初の襲撃者を調べ、後から参られるとのことでした。
 それ以後、お見かけしておりません。

 帰還中にも三度の襲撃現場がありましたので、死傷者の改めを行いましたが、仲間が二人戦死しておりました。
 三名は重傷もしくは足を負傷しており、動かすことができませんでしたので、今迎えのものを送りました」

「おまえが最後だったのだな」

「はい。
 軍師どのは敵の、わたしは味方の検めをしておりましたので、よほど遠回りをした者がいない限り、軍師どのかわたしが最後尾を務めましたかと思います。
 ───何かございましたか?」

 高位指揮官たちの様子に違和感を覚えたのか、ロイビーは遠慮がちに尋ねた。
 答えにくい質問で、ローイング伯とモーガンは顔を合わせた。

「使者の中には、ほ、本当に……フォスターは、いなかったのか?」
 聖女がか細い声で尋ねた。
「はい。
 ……あの、もしや、軍師どのは……まだ…………」

 沈黙が答えた。



 フォスターが戻ってこない───。

 モーガンは両手の指の先から冷えていくのを感じた。
 頭のずっと奥のほうで深い渦が巻いている。

 気が遠のきそうになったとき、何かがカタリと音を立てた。
 振り向くと、小さな少女が卓に手を着いていた。
 その虚ろな視線は何も移していない。
 卓に手をついたのも無意識のことだろう。

(なんということだ……)

 嫌な答えを振り払おうと頭を振った。
 まだ決まったわけではない。

「もう少し待ちましょう。
 敵に追われて、道を外れたのかもしれない」
「夜通し火を絶やさずにおきましょう」

 モーガンは天幕の外に控える騎士に伝令を走らせる。
 もちろん軍師が戻らないせいだとはいわず、会合後の用心のためだという。



 クラウスが小さな声で呟いた。
 どうして、と。

 あれだけ言い合いしていただけに、聖女の騎士の落胆は大きいようだ。
 まだ病み上がりで、さらに堪えるだろう。

 それでも聞かなければならないことがある。
「騎士殿。
 何があったのかお話し願えないか。
 ロイビー、おまえも見てきたことをすべて言ってくれ」
「は、はい……」

 あの、と控えめな声がした。
「わたしから、お話します」
 声は震えているのに、シルヴィアは挑むような目をしていた。

「シルヴィア……」
「騎士様はあとからお聞きになったはずで、混乱されておいでのようですから」

 モーガンはローイング伯と顔を見合わせ、ローイング伯が前に進み出た。
「どういうことかな、シルヴィア?」

 シルヴィアは両手を握りしめ、重々しくうなずいた。
「フォスターは、南からの圧力によって、アインス軍は攻守の二派に分かれるだろうと、言いました」

「南の圧力というのは、軍師どのが言っていた別戦力のことだな?
 それはいったい何なのだ?」

「海賊です」

「え?」
「か、かいぞく……?
 モーガン将軍、南の海に海賊がおりましたか?」
 ローイング伯が目をまん丸にして訊ねた。

 初耳だ。
「いえ、あ、いいえ。
 まったくいないこともないのですが、近海にはいないはずです。
 もっと西に行かなければ遭いません」

「シルヴィア。
 どういうことだ?」
「話せ……」
 マリーナの声に反応して、クラウスも頭を上げないまま言った。

 シルヴィアはうなずいた。
 全部お話しますと、いつもより低い声で話し出す。



「モーガン将軍がおっしゃったように、シュワルド国海域には海賊は滅多にいません。
 それはアインス軍が侵略をするにあたって、あってはならないものでした。
 海賊がいないからこそ、アインス軍は安心して本国を離れ、また本国との連絡を取り合うことが容易にできたのです」

 彼らにとって海は庭のようなものだったが、海賊だけは違った。
 追い払っても追い払っても湧き出る害虫のような存在だった。

 アインス軍は事前に調査し、シュワルド国海域、特に東から陸沿いはまったく海賊がいないことを知ったのだろう。

 アインス軍は安心して航海し、侵略を開始した。
 六年目になる。



「そこが、弱点でした。
 彼らは安心しきっていたんです」

 青年軍師は盗賊の頭と相談し、北の海賊と交渉して手を組んだ。
 大陸の東を沿うようにして南下し、アインス軍を奇襲したのだ。

 天候以外は怖いものはないと思っていたアインス軍船は、突然のことに対処しきれず本国に引き返した。
 驚きながらも、たまたまいた海賊なのだろうと決め付け、体制を整えて海へ出ると、二度目の襲撃。
 さらに海戦の態勢を整えたが敵わなかった。

 本戦力のほとんどは大陸に上陸しており、残っていたのは軍の頭脳派と戦う力のない者がほとんどだった。
 戦力を集めようとしても本国にはなく、戦力のいる大陸へは海賊が航路をふさいでいた。

 孤立したのは本国だけではなく、上陸した本隊もだった。

 持ち込まれた和平をどうすればよいのか、最終決定権をもつ者に使者を送るが、その使者も海賊に阻まれた。
 いつまでも来ない返事に焦れた本隊は港へ査察隊を送り、海賊によって本国との道を塞がれたことを知っただろう。



「先日行われた会合は、本隊単独によるものでしょう。
 向こうからは大した条件は提示されなかったはずです。
 ……どうですか? 騎士様」

「…………そう、いえば……。
 質問はいくつかされたが、和平条約についての異論は、返されなかった」

 シルヴィアはうなずいた。

「頭脳と戦力を切り離された彼らは、現在、混乱の最中にあります。
 本隊は、和平を結ぶべきか戦いつづけるべきか、決めることも決定を仰ぐこともできません。
 戦いつづけるべきだという攻派と、和平を進めるべきだという守派の最低二つには分かれたでしょう。

 その力は拮抗しているはずです。
 本隊のみの統率も取れず、今はただ、時間稼ぎをするだけです」

「時間稼ぎ?」
 モーガンが言った。
「本国と連絡が取れるまで、こちらを待たせるということか?」
 シルヴィアはうなずいた。

「そのために、シュワルドからの使者を処分し、会合の席には現れなかったというつもりだったのでしょう。
 もしくは、捕らえて人質にする気だったのかもしれません」

 モーガンは眉毛がぴくぴくと震え、唇が真っ赤に染まるのを感じた。
 こめかみの筋が蝋燭の明かりに浮かび上がる。
 それでもモーガンは堪え、大声で怒気しなかった。

「今のうちに、和平を結んでください」

「戦うこともできる」
 クラウスの冷めた声が言った。
「戦って、本隊を潰すこともできる」

「…………。
 誰が、戦うの?」
「もちろん我々だ」

「これ以上の血を流してまで、何を手に入れようとするの?」
「取り戻すんだ!」
 叫んで騎士が立ち上がる。
「取り戻す?」

「奪われた国を取り戻すため、汚された故郷の敵を討つため、我らのシュワルドを敵から取りもどぅ……っ!」

 一瞬、その音がしたことさえ気づかなかった。

 クラウスの大声が突然止んだことで、彼の顔が右に傾いたことで、シルヴィアの手が彼の頬を打ったのだと知った。

「敵を討つですって?
 結局戦うんじゃない!
 故郷を血で汚すだけじゃない!

 失ったものは戻ってこないの。
 無くしたことの事実は変わらないの。
 取り戻せないものはどうしても取り戻せないの。

 いつまでも駄々をこねて欲張って、もっともっと無くすだけよ!
 どうして今そばにあるものを守ろうとしないの!」

 クラウスはもう一度ぶたれたように目を見開いた。

「たった一つを守れない人が大きなこと言わないで。
 大切な人を悲しませてまで欲張らないで。
 恨みたい気持ちも、故郷を惜しむ気持ちも、わかるわ。
 でもね」

 ぐっとシルヴィアの喉が鳴った。
 唇を噛んで、潤む瞳から落ちようとする涙を堪える。
 濃い青色の瞳でクラウスを睨みつける。

「……でもね……でも、また人を、傷つけたら……。
 あなたが、その人に、う、恨まれるのよ。
 ……姫様が、悲しむわ」

「──────」

「あなた……ねぇ、騎士様。
 あなた、姫様の、騎士でしょう?」

 クラウスの視線がマリーナを捉えた。
 マリーナのすべてを見ようとするかのように深い色の瞳で見つめた。

 俯いて、彼は小さく、うなずいた。
 何度もうなずいた。
 まるで自分を納得させようとするかのようにうなずいて、シルヴィアを見下ろした。

「そうだな」

「そうよ」

 シルヴィアが微笑んで、涙が頬を伝った。

「あなたは姫様の騎士なの。
 あなたは姫様を守りながら、姫様のために、自分も守らなくちゃ」

 クラウスはまたうなずいた。

「わたしは、姫の騎士だ」


 彼女だけの騎士なのだ。