その少女は、唐突に現れた。

 兵士から報告を受けていたモーガンは、遠くから騒ぎの声が近づいてくるのに気づいた。

「何事だ?」
 周囲の部下よりも早く誰かが言った。
「馬が来ます!」

 見ると、人の声をかき分けて馬蹄の音が駆けて来るのがわかった。
 暴れ馬か。
 しかし目を凝らしても人垣で姿は見えず、騒ぐ声しか届かない。
 部下たちが右往左往する姿が映るばかり。

「誰か、網を……」
「お逃げください!」

 大きな黒い影が近づいてくるのが見えた。
 兵士たちが将軍を守ろうと背中を押す。
 さすがのモーガンも、六人もの男に押されては動かざるを得なかった。

 それでも止めなければと、網を掛けて馬を抑えるように指示を出そうとした。
「誰か乗っているぞ!」

「何? 乗っているのは誰だ?」
 目を凝らしてみれば確かに、暴れ馬はその背に人間を乗せていた。
 首に両腕を回してしがみついているが、今にも放り出されそうな細い腕。

「馬を止めろ!
 子どもが乗っている!」
 モーガンの叫びに六人の兵士たちも気づいた。
 だがこれまで何人もの味方を蹴飛ばしてきた暴れ馬に、六人だけで敵うはずがない。

「盾を持って取り囲め!」
「盾だ!」
「火を近づけるな!」
「迂闊に近づくな!」
「誰か盾を!」

 兵士たちが盾を持って右往左往している中に誰かが入り込んだ。
 モーガンは止めようと口を開いたが、その人物を見て声が出なかった。

 あろうことかその男は走る勢いを緩めもせず馬に接近し、その足の付け根を蹴って飛び乗った。
 子供の背後に腰を下ろす間もなく手綱を握り、力いっぱい手綱を引く。
「どう!」

 馬はその場で嘶きをあげ、二本足で立ち上がり抵抗した。
 男は子供の背に自分の体を押し付け、馬の背と挟み込んだ。

 ふんっ
 ぶふふんっ

 四本足を着けた馬は荒い鼻息とともに鼻水を飛ばし、足踏みした。
 ゆらゆらと揺れる尻尾が兵士の構える盾にあたる。

「…………」
「…………」
 ごとん、と盾の落ちる音がした。

 盾から顔を覗かせた兵士たちは同じように口を開け、同じように彼らを見ていた。
 モーガンは盾こそ持っていなかったが、兵士たちと同じ顔をしていた。

「良い子だ」
 男は馬の首を軽く叩いた。
 モーガンは彼を呼んだ。
「………………ぐんし、どの…………」

「モーガン将軍、ケガは?」
「ない、が」
「が?」
「そちらに、ケガ、は、ないのか?」
「ヴィア、ケガは?」
「うっ、うぅ、うむむう馬なんて!」
 馬にしがみついたまま子供───少女が叫んだ。

「だ、だ、だから馬はイヤだって言ったのに!」
「犬に乗ってく」
「イヤー!!」
 青年軍師の言葉を遮り少女が叫んだ。
 驚いて腰を抜かし、地面に座り込んだ兵士が三名。

「……ぐ、軍師どの、お知り合いか?」
「応援だ。
 ヴィア、掴まってろ」
「え? いやー!!」
 少女の叫び声だけを残して、青年軍師たちを乗せた馬は走り去った。

 慌ててモーガンは彼らを追って走った。



 追いついたとき、青年軍師のそばに少女はいなかった。
 聖女の騎士が運ばれた天幕の前で、おとなしくなった馬の手綱を兵士に渡す彼は一人だった。

「軍師どの、あの少女は誰だ?」
「応援だ。
 薬の調合ならできる」
「子どもだぞ?」
「腕は保証する。

 それより、何か変化はあったのか?」
「…………。
 静かなものだ」
「何よりだ。
 マリーは?」

「さきほどお目覚めになった。
 クラウス殿に会いたいと言われたのだが、今は無理だとわかると、ご自分の天幕で、人払いされてお一人だ」
「しばらくそっとしておこう」

「あの少女で大丈夫なのか?」
 モーガンは重ねて尋ねた。

 大切な騎士だ。
 聖女の支えなのだ。
 失うわけにはいかない。

 軍師は長い前髪をかき分けた。
 ひたいの左側から左耳に向かってうっすらと傷が見える。
 髪をかき分ける左手には大きな刺し傷。

「俺の顔をつなげ、手を蘇えらせた」

 そして彼はうなずいた。





 青年軍師の保証は成された。
 医師が騎士の背から矢尻を取り出し、少女が解毒剤を調合した。
 医師は少女の腕を褒め称えた。

 少女は笑いもせず、これからが長期戦だと厳しい声で言った。
 医師が傷の具合を話すあいだも少女は手を休めなかった。
 聖女の騎士の具合を確かめ、薬を調合し、汗を拭いた。



「名前は?」
 モーガンが隣に座って尋ねると、少女は隣に誰かが座ったことにも気づかなかったのか、驚いた顔で振り返った。

「名前? わたしはシルヴィア。
 ごめんなさい。
 まだ言ってなかったかしら」
 名乗る余裕もないほど聖女の騎士の容態は悪いのだろうか。

「わたしはモーガンだ」
「モーガン様ね」

「彼は助かるだろうか?」
「騎士様はまだは息をしているわ。
 息をしているってことは、生きたいって思ってるってことなの。
 だからわたし、諦めないわ」

 少女はモーガンを仰ぎ見た。
「あなたも、応援してあげてね」
 モーガンの腹までも背丈のない少女だ。
 けれどその瞳は頼もしい光を放っていた。



 そして。
 神のご加護か、医師と少女のおかげか定かではないが。
 聖女の騎士は命を取り留めた。