聖女の騎士に縋りついて泣く聖女を引き剥がしたのは青年軍師だった。

 暴れる聖女の腹を打って気絶させると、周囲を取り巻いていた騎士に渡した。
 左肩に傷を負ったモーガンとともに、聖女は救護用の天幕に連れて行かれる。

 男は絶命していた。

 見開いた目はまだ濡れて爛々としており、口元には笑みさえ残っている。
 首を貫通した矢の生々しさに、兵士の幾人かはおもわず目をそらした。

 騎士の一人に青年軍師は耳打ちした。
 耳打ちされた騎士は不信げな視線を返したが、軍師の瞳に威圧され、二人の仲間を連れて輪を離れた。

「医師はまだか?」
「来られました」

 大きな腹を揺らしてやってきた医師は、聖女の騎士を見てうめいた。
「かなり大きな矢じりのようですな。
 肉に食い込んでいるかもしれない。
 とりあえず、近くの天幕に運んでください」

 仲間の手により聖女の騎士は近くの天幕に運ばれた。

 青年軍師は騎士たちにいくつか指示を出した。
 仲間と将軍の負傷に騎士たちは少なからず動揺し、指示を出した相手があの青年軍師だと気づかないまま天幕を出た。
 青年軍師の冷静な声音が唯一、放心状態の彼らを動かすことができた。

 騎士たちは騒然とする兵士たちに仕事を与えていく。
 仕事を与えられた兵士たちは言われるまま役目に向かった。
 また騎士たちも、言われた仕事を淡々とこなした。

 誰もが、最悪の結末を考えないよう、与えられたことに没頭した。



 次第に周囲が静かになった天幕の中は、すでに運ばれた蝋燭のおかげで明るくなった。
「肉を切って取り出すしかありませんな」

 医師の言葉に、青年軍師は尋ねる。
「毒は?」
「調合してみましょう」
「できるか?」
 医師はけが人の状態を診て、いくつか思い出すようにうなずいた。

「えぇ。
 ひとつはおそらく猟師がよく使うものです。
 しとめた獣が死んでから、いくつかの薬を調合した壷にいれて毒を抜くのです。
 もうひとつも見覚えがありますので、なんとかなるでしょう」

「切るのと同時にできるか?」
「それは……少々、難しいですな。
 毒はわかっているとはいえ、たくさんの材料が事細かに決められたものなので、集めて調合すると時間がかかります」

「ほかにできる者は?」
「ここまでの傷を、ですか……」
 医師は難しい顔で考えた。
「残念ながら、うちの弟子には無理でしょう。
 調合はやらせてみますが……」

「一人で切るとどれくらいかかる?」
「半日はかかりませんが、長くかかるでしょう」
「調合は?」
「材料を探していれば、おそらく半日かそれ以上に」
「わかった。
 やってくれ」

 立ち上がった青年軍師を医師が見上げる。
「……ひとつだけ」
「なんだ?」

「昔、同じように背に矢を受けた者がいます。
 彼は、二度と……立ち上がれなかった」

 医師はそれ以上何も言わなかった。
 目だけで、それだけは覚悟してほしいと訴えた。

 軍師はうなずいた。
「応援を呼んでみよう。
 それまで任せる」
「全力を注がせていただきます」

 青年軍師が表に出ると、見張りに立っていた騎士たちが振り返った。
 物言いたげな表情の二人に軍師はうなずいて見せ、警戒を怠らないようにとだけいう。

 それから彼は近くの兵士を捕まえて盗賊の頭を呼ぶよう言いつけ、自分に与えられた天幕に入った。
 一時もしないうちにでてくると、どこからともなく飛んできた鳥の脚に紙をくくり付けて飛ばした。

 鳥を見送る間もなく聖女たちの連れられていった天幕を目指す。
 途中で盗賊の頭が合流した。

「どうだ?」
 スライは周囲を憚りながら小声で尋ねた。
「何とかする。
 そっちは?」
「消し終わったぜ。
 森の向こうはまだ燃えてるみてぇだがな」

「東側の天幕をたたみ始めろ。
 聖女が動かせるようになり次第、西に移動する。
 西側の天幕はそのまま、中心と東側だけ動かすんだ」

「あいよ。
 それで、首尾はどうなんだ?」
 救護天幕の前で二人は立ち止まった。
「そっちの準備は?」
「今日あたり南東に着いて、やりだすだろうよ。

 なぁ、ホントにこんなんで巧くいくのか?」
「おまえたちが巧くやれば、な」

 盗賊の頭は頭ひとつ分低いところにある茶髪をみた。
 旅疲れかくすんだ色をして埃っぽく白い。
 このあたりの手入れを抜かりなくやれば、きれい好きな女だっていちころで落とせるのに、と惜しむ。

「ひでぇ軍師サマだ」
 言いながら、盗賊の頭は目だけであたりを窺い、軍師に長い耳打ちをした。

 盗賊の頭が離れると二人は無言でうなずく。
 それ以上のやりとりは何もなく、青年軍師だけが天幕に入った。



 聖女は眠っていた。
 少女が一人、付き添いに付いている。
 秘密事の多い聖女のために選んだ口の堅い者だ。

「軍師どの」
 聖女のそばにそっと佇むモーガン。
 彼は傷を負った肩に包帯を巻かれていた。

「容態は?」
「眠っておられるが、呼吸は穏やかだ」
「いや、将軍の傷の具合はどうなんだ?」
 モーガンは目をしばたかせた。

「あ、いや、これは失礼。
 わたしにはこれくらいかすり傷だ。
 心配ない」

「剣は握れるか?」
「二・三日もすれば片手でも存分に使えるだろう」
 それを聞いて青年軍師はうなずき、将軍を伴なって天幕を出た。
 一番大きな天幕へ向かうと、すでにほかの者は来ていた。

「おぉ、モーガン将軍。
 聖女どののご様子はどうですかな?」
 ローイング伯がふさふさした眉を心配げに寄せて尋ねる。
「大丈夫です。
 落ち着かれていますよ。

 それより、裏は取れましたか?」
「はい。
 大事に書状を抱えておりました」
 ローイング伯は一通の書状を差し出した。

 それには密偵の催促があり、巧くいくようならば聖女暗殺を試みるようにとの命令があった。
 残っているのは一番新しいこの一通だけで、その前に来ていた書状はすべて焼き捨てられていた。

 差出人は、ロイズ子爵。

 受取人は、ブルゲス伯爵───天幕の隅で縄をかけられている男だった。
 青年騎士が騎士に命じて内密に捕らえたのだ。
 聖女の騎士を矢で射った配下の兵士もまた別のところで身柄を拘束されているだろう。

 三人の間に重い沈黙が流れた。

 ローイング伯は政務界でそれなりの派閥を持った人物で、モーガンは多くの兵士を抱える人物で、そして一番若い青年は軍師の肩書きを持つ身だ。
 それぞれが今、目の前に転がり込んできた災難の重大性がわかっている。

 裏切り。
 聖女暗殺。
 王族派。

 ───嫌なものばかりが揃ってしまった。
 多くの兵たちを動揺させるのにはどれかひとつあっても覿面なのに、三つもある。

「どう処分されますかな、軍師どの?」
 試すような口調でローイング伯。

 青年軍師はものともせず答えた。
「王の居場所と真意を聞き出したあとは処分する。
 モーガン将軍、拷問に長けたものはいるか?」
「牢番を勤めたことのある兵士がいたはずだ。
 口の堅いものを選んで、騎士を一人つけた上でやらせよう」

「これまでアインス国側からの刺客はなかったが、これからも聖女の周囲はいっそう固める。
 モーガン将軍はクラウスが快復するまで聖女の護衛についてもらいたい。
 前線の指揮は俺が執ろう」
「軍師どのが、ですか……?」

 これまで軍師は戦場で前線に出てもその最後方にいた。
 けっして敵側と正面に向き合わなかった。
 軍師として申し分ない頭脳は持っていても、剣の腕前は人並みなのだろうと思っていた。

「先に話してしまうと、休戦が成った。
 ただし正式なものではない。
 返答は今日から二十日後だ」
 喜びの声をあげようとした二人は顔を見合わせる。

「正式な休戦、終戦までを確かなものにするためにひと芝居打つことにした。
 二十日もあればグロバー国の国境固めも終わるだろう。
 その間はアインス軍と取り決めた境界周辺の警備だけを残し、あとの戦いは休む。

 俺はその警備の指揮を執るだけだ。
 戦場に向かうわけじゃないし、クラウスの甲冑を借りて兜までかぶっていれば、相手にはわからないだろう」
 なるほど、とモーガンはうなずいた。

「一芝居とは何なのだ?」
「間者をやって調べたところ、アインス国軍は定期的に本国に連絡船を出している。
 これを断ち、海側から別の戦力でもって攻めて揺さぶりをかける。
 もちろん、こちらの仕業とは知られないように」

「別の戦力?」
 シュワルド国側には余力はないはずだ。
「まぁ、それはそのうちわかる。
 ほかの誰かに聞かれても、自分は知らないで通してほしいが、それくらいは芝居できるか?」
 さすがに頭脳派のローイング伯はすぐにうなずき、モーガンもなんとかできるだろうと言った。

「早ければ明日には動き出すが、しばらく……そう、五日はなんともないだろう。
 騒ぎに気づいて、こちらの陣営に連絡が入るのがさらに一日後としても、余裕を持って七日は待つ必要がある。
 その間にブルゲスからすべてを聞き出し、こちらの態勢も整えよう」

「ではわたしはすぐに尋問の用意と、警備の再編成を組もう。
 境界周辺への警備兵には何か要望があるかな?」
「目と鼻と耳の利く者を混ぜて、二十人ずつ三交代で連れて行きたい」

「ではわたしは、火事の後始末と、陣営移動を受け継ぎましょう」
「いや。
 ローイング伯には、俺のいない間の統制を執ってもらいたい。
 騎士と盗賊と兵士と民兵をまとめて、警備と始末と移動、加えて日常の動きが滞らず動くように調整してもらいたい。

 補佐にロイビーをつける」
「ロイビー?」
「ウォーレン子爵の次男です。
 彼は騎士だろう?」
 モーガンはさすがに配下の者は知っていた。

「ローイング伯の護衛も一緒に務まる。
 頭のほうも使えるやつだから、連れていて邪魔にはならないだろう」

 ローイング伯はしばらく考えたが、わかりました、と承諾した。
 これまでも若い軍師の言い分は必ず結果を出したのだから、今回の人選も間違いないだろう。

「火事の始末と移動はスライに任せる。
 民兵と盗賊を中心に使うだろうから、警備は兵士を中心にする。
 聖女の護衛には姿を隠して盗賊を配置しているが、これも現状を維持しよう。
 配置についてはスライと交渉してくれ。

 ほかに何か質問は?」
「個人的なことでよろしいかな?」
 ローイング伯がすかさず口を開く。
「……答えられることなら」

「戦術をどこで学ばれた?」
「戦場で」
 簡潔な答えに二人は目を丸くした。
「先の、大戦でか?」



 十数年前に終結した大陸全土の領地争いは、あまりの大きさに名も付けられず、ただ“先の大戦”と呼ばれている。

 幸運なことにシュワルド国王は八方美人を生かしたために火の粉程度で済んだが、北の国はグロバー国に吸収された。



「まぁ、そのあたり」
 青年軍師はあいまいにうなずいた。
 あまり聞かれたくないことなのだろう、と二人はそれ以上追及しなかった。
 未だあの大戦の傷はいえていないのだと、当時それぞれの渦中にいた経験者は知っている。

 地は屍で埋まり国庫は減りつづけ、最後の火種が消えたときも誰もが信じられずに呆然とした。
 本当に戦争は終わったのか信じられず、地に草木が萌え、国庫が膨らみだしてやっと終わったのだと安堵した。

 遅まきながら将軍の地位を与えられ、褒賞をいただいたとき、二度と戦争は起こすまいと一決王に誓った。

 百年前の英雄は嬉しさのあまり泣きながら調印したと伝えられる。
 王でさえそれほど平和を望んだのだ。
 自国を戦場にしてはならないと思った。

 それがまだ数十年しか経っていない。
 シュワルド国はすでに国土の三分の一を占領されている。



「軍師どの、もうひとつだけ。
 ……勝てるか、この戦いに?」
 数十年前にも同じところに傷を負った戦場帰りの男は、心から肯定の答えを望んだ。
 そして正体不明の軍師どのは強い声で答えた。

「勝てる」

 彼の不敵な笑みが、今そのとき頼もしく思えた。