外は軽い興奮状態にあった。
 そわそわとした空気が天幕から出たクラウスを包んだ。

「姫は午睡だ。
 静かにしておくように」
「はっ」
 見張りの騎士は疑わず敬礼した。

 アインス国軍に赴いた使者が帰途に着いたという報せは、すでに知れ渡っていた。
 人々は結果を待ちきれず、あちこちで噂話をしている。

 年若いながらも頭の切れるという軍師がわざわざ出向いて行ったのだから大丈夫だろう、と安堵するもの。
 いや強暴なアインス国軍は渋って無理難題を言ってきただろう、と憤慨するもの。
 どちらもつばを飛ばして論議している。

 かの青年軍師が素性のすれない人間だと知るものは少ない。
 聖女と面識のある令息か、クラウスと同じ学童だったのだろうと伝わっている。
 高位指揮官となった三大領主と数名の騎士を除き、あえて閉口した。
 余計な混乱や疑惑の目を起こしたくなかったからだ。

 だがここまで来ると、さすがに気になるものもいるようだ。
 将軍たちの口から出たのはこれで二度目だが、いつまでもかわしきれるものでもない。

 もし和平が成って、国の再興に手をつけるようになったら。
 青年軍師はどうするのだろう。
 帰ってしまうのだろうか。

 もし和平が成り立たず、結局シュワルド国が滅んだら……。

 クラウスは首を振った。
 その考えはどうやっても想像できない。
 クラウスの中ではすでに和平は成り立つものとして考えられ、再興への手を伸ばしていた。

 大丈夫だろうと言う安堵。

 悔しいが、あの男は朗報を持って還るだろう。





 従者を連れて歩いていたクラウスを呼び止めるものがあった。
 モーガン将軍だ。

 厳つい顔のモーガン将軍はやや表情を緩め、見回りを中断させる詫びを口にして、クラウスを自分の天幕に誘った。
 お互いの従者を下がらせると、彼は懐から布の包みを机に置いた。

「昨夜の騒ぎの片付け作業をしておりましたとき、兵士が見つけたものです。
 どうぞ、ご覧ください」

 言われるままクラウスが包みを開くと、そこには大ぶりの指輪がすすけた姿で現れた。
 王侯貴族が名乗るときに使用する、家紋の彫られた指輪だった。
 大きさからして男物と思われる。

「これは?」
「家紋をよくご覧ください」

 指輪は汚れを簡単に拭い去られただけで、彫り物部分にはまだ煤や泥が入り込んでいた。
 それでも判読できる程度だ。
 細い蔦と、三叉に分かれた葉。

「ロイズ家のものです。
 国王と逃亡したロイズ家の方は、この陣地にはお一人しかおられないでしょう」
 はっとクラウスは顔を上げ、将軍を見つめた。

 将軍の目には困惑と恐れがあった。
 けっして非難の眼差しではないのが救いだ。
「しかし、これは男物。
 もしや誰か戻ってこられたのではと」
 クラウスは目の前の問題を片付けるため、ひとまずうなずいた。

「ロイズ家の男子といえば、ご当主のご子息とお孫が七人おられるはずです。
 指輪を持つのはそのうちの成人男子だけですから、お孫は除いてよいでしょう」

「亡くなられた方はおられませんか?」
「国王が逃亡する時点では、四人ともご存命でした。
 そのあとの足取りはつかめておりません」

「聖女どのの噂を聞きつけ、誰かが戻ってこられたという可能性が高いでしょうな」
「そうですね。
 焼け跡の中から見つかったという理由はわかりませんが、盗まれでもしないかぎり、誰かが近くまでおいでのはずです。
 しかし……」

 それならそうと、姿を現してもよいはずだ。
 家紋入りの指輪は持つだけで正当性を表しているのだから、疑われるはずもない。

「聖女どのを怪しげな魔女として、警戒しているのかもしれません」
 魔女説は、敵方アインス国軍で始まった。
 か弱い女の身で戦場を駆け回りながら、落馬したこともない女丈夫を見て恐れを抱き、そう思ったのかもしれない。
 それが噂となって国王一行の耳に入った可能性もある。

「間者として来たのでしょうな」
「…………。
 そうですね」
 指輪を見つめているとクラウスの胸に嫌な記憶が蘇える。

 初めてロイズ家の当主にあったとき、酔狂なヤツだと冷笑された。
 怒りを抑えるのに苦労した。
 娘を王子の身代わりに仕立て上げるしか出世の望めない男に膝を折るのは屈辱だった。
 それも未来の主のためならばと、耐えられたことだが。

「警護を増やされますか?」
「…………いいえ。
 軍師の言葉ですが、かえって目立つでしょう。
 スライに伝えて、警戒させておきます。
 何がおきるかわかりません」

 モーガン将軍は肯定してうなずいた。

「しかし、将軍は……ご存知、でしたか」
「恐れながら……」

 日焼けした顔を苦笑させ、モーガン将軍は手を胸に当てた。
「四年前の出撃の際、謁見には王とお子全員が出席されました。
 お子は全員で四名……」

 そのときすでに嫁していた王女二人を除く数だ。
 その後二人の王子が死に、一人の王女が嫁した。
 残る一人は王とともに逃亡の身。

「内密の約定を取り交わしていただけるのなら」
 将軍は剣にかけて誓うと口にした。

「姫は王子ではなく、王子らの御いとこあたられる方です」
「では、ロイズ家の姫君のご息女で?」
「は? ……いいえ。
 ロイズ家当主の、庶子としてお生まれになりました。

 ……あの、ロイズ家の姫というのは?」
「お若い方はあまりお知りにならないでしょう。
 ですが……いや、かの姫のことは、噂のひとつしてお聞きください」

 モーガン将軍はひとつ咳払いをして、崩れてもいない居住まいを正した。
「ロイズ家は代々、男子ばかりの生まれる家系でして、嫁いで縁を持つということの滅多にできない家でした。
 それが、現当主には三人の姉妹がお生まれになったのです」
「三人、ですか……」

「はい。
 残念ながら、ご長女は夭折され、国王に嫁されたのは二番目の姫です。
 ご存知のとおり、お体の細い方で、王子を一人お産みになられて以降は、みな側室のお子ばかりでした。
 そして三番目の姫は、ご幼少のときすでに許婚のもとにおられたのです。
 それで知るものも少ないのですよ」

「許婚……」
 珍しいことではない。
 物心つく前から親同士が許婚を決めるのはよくあることだ。
 十歳くらいになると相手のもとへ行儀見習いとして送られ、正式な婚約を交わすと家に戻る。
 結婚してから、改めて同棲することになる。

「そうですか。
 では、その方は……」
 クラウスは期待を込めて訊ねた。
 今どちらにおいでなのか、と。

 だがモーガン将軍は首を横に振った。
「お亡くなりになりました」
「…………」

「相手方は、ひどく落胆されたという話ですが、もともとお体の弱い方でした。
 こればかりは……」
「そう……です、か」

 クラウスも落胆した。
 もし何か遭ったときその伯母を訪ねることができると、考えていたのだ。
 父親は役に立つどころか敵になりかねないが、伯母なら希望はあっただろうに。

「しかし、ロイズ子爵に庶子がいるとは存じませんでした」
「はい。
 庶子とはいえど、なにぶんあのご容姿ですので、小さな庵でつつがなくお暮らしでした。
 偶然お会いしたわたしを、唯一の友人として」

「そうでしたか」
 モーガン将軍は下向き三角形の髭を撫でながらうなずいた。
 何か青い思い出でもあるのだろうか、遠い目をしている。

「クラウス殿。
 わたしとしましては、聖女どののお生まれがなんであれ、最後までお味方いたします。
 おぉもちろん、再興のお手伝いもさせていただきますぞ」

 そう言ってモーガン将軍は、大きな口で笑った。





 モーガン将軍の天幕を出ると、外で待っていた従者に盗賊の頭を呼ぶよう言付けた。

 あの盗賊のことだから見つけるのは難しいだろう。
 巨漢の癖に身を隠すのに長けていて、自分からひょっこり現れるまで見つけることができないのだ。
 大声で呼び続けるしかない。

 自分の天幕に戻ると、布を濡らして顔と首を拭いた。
 常に甲冑を着込んでいるとはいえ、暑さに汗が流れないことはない。
 それもあと、ふた月もすれば昼間も過ごしやすくなるだろう。

 二人分のお茶の用意が終えた頃、盗賊の頭はひょっこり現れた。
「呼んだかい?」
「あぁ。まぁ、座ってくれ」

 クラウスが天幕に呼びつけるときは内密の話だと盗賊の頭は知っている。
 いつものように取り巻きは外に残して来たのだろう。

 砂糖をたっぷりと入れたお茶をひとつ差し出す。
 荒くれた男たちを取りまとめ指揮をする大男は、無類の甘党だった。

「で?」
「姫の周囲の警護を強化してほしい」
「厄介事かい?」
「あぁ」

 クラウスはうなずいて、モーガン将軍から預かった指輪を見せて事の次第を話した。
 聞き終えたスライは「ふーん」と興味のない相槌を打った。
 これもいつものことだ。

「お姫さんも大変だぁな。
 置いてきぼりくらったかと思ったら、戦場這いずり回ってよ。
 かと思いきや、昔のしがらみに狙われちまうとは」

 因果なもんだ、と盗賊の頭は呟いた。
 その口元には寂しげな笑みが浮かんでいる。

「お姫さんにはこのこと、話したのかい?」
「いいや。
 いまは午睡だ」

「使者が無事に帰ってくるってんだ。
 気が抜けたんだろうな。
 いくら変わりもんのお姫様でもなぁ」
 眉間にしわを寄せたクラウスはそれでも何もいわず、お茶で喉をふさいだ。

「知ってるかい? お姫さん、短弓が珍しかったらしくってな、それはなんだ、ってな感じで聞いてきたんだそうだ」
「いつだ?」
 それは初耳だ。

「ブルゲスの旦那に会う前だ。
 あいつらびびって、作り方から飛ばし方まで教えたらしいぜ。
 おもしろいお姫さんだよなぁ。
 なんかこう……ほっぺ突いてやりたくなる」

 ぶっとクラウスはお茶を吹き出した。
「きったね!」
「きっ、貴様がおかしなことを言うからだ!
 姫にそんなことをしてみろ!」
「うぎゃっ」

 唾を飛ばして怒るクラウスに向かって、スライは両手を上げて降参する。
 仰け反って、飛んでくるものを避けるのも忘れない。

「わかってるよ。
 わかってるって! んなこたぁしねぇよ」
「本当にわかっているのか!」
「しようもんなら、おまえさんが俺のケツに噛み付いてくらぁ」
「誰が貴様の尻など噛み付くか!」

「あぁ、たとえだよ、たとえ。
 言い方が悪かったな」
「妙な例えをするな!」
「古女房に浮気がばれたときみたいになるって言やぁいいのか?」
「誰が貴様の古女房だ!」
「じゃぁなんて言やぁ気が済むんだよ!」

 まったくおめぇはよぉ、とスライは脱力して肩を落とした。
「言っとくけどなぁ、クラウス。
 俺たちにはな、上品な女はどうもあわねぇんだよ。
 しな作ってなだれかかってくるような身軽なのが、気楽でいいんだな。
 わかるか?」

「町娘に手を出していたようだが」
 うっ、と盗賊の頭はうめいた。

「バ、バカっ。
 ありゃ、ザロはまだ入りたてで、若けぇからだよ。
 何にでも熱いれちまうんだ。
 ……いや、もしかしたら、足抜けするかもなぁ」

 強烈に甘いはずのお茶を飲み干し、スライは言い継ぐ。
「ま、かまわねぇけどよ。
 ちょっくら刺青いれて、仲間のことは死ぬまで口にしねぇって約束さえしてくれりゃぁ、どこへ行こうとかまわねぇんだ」

「いいのか、それで?」
 盗賊団によっては、仲間を辞めること自体死を意味することもある。
 命までとらなくても、生涯まともに動かない体にされることもある。

 いいんだよ、とスライは笑う。
「俺らはいつも、やりたいようにやってる。
 誰にも束縛されたくない。
 誰にも邪魔されたくない。
 だから、抜けようが入ろうが、勝手にしやがれってんだ」
 わははは、と盗賊の頭は笑った。

「緑のアルキスっての、知ってるかい?」
「いいや。
 聞いたことはないな」
「大昔の大盗賊だよ。
 国を造っちまったっていう」

「まさか!」
 クラウスはきっぱりと否定した。
 そんなこと、御伽噺でも聞いたことはない。

「いるんだよ。
 どっか遠い国のことらしい。
 この大陸じゃねぇって話だ。
 けどカッコイイじゃねぇか。
 大盗賊にして建国の父ってのはよ!
 憧れるんだよ、おれはよ!」

 大男は突然立ち上がった。
 ご機嫌な顔で訊ねてくる。
「なぁクラウス。
 俺たちもちったぁ、アルキスみてぇだろう?」

 答えを待つ間もなく鼻歌を謳いながら現代の盗賊は天幕を出て行った。
 クラウスにしてみれば建国の父だろうと盗賊であることが間違っている。

 机の上に置かれた首輪を手にとる。
 指にはめようとしたが、どうもクラウスには小さい。
 薬指にやっとはいるくらいだ。
 武の家柄の男ならばもっと指も太いだろうに、とクラウスは思った。

 クラウス自身は兄弟のなかで唯一の武官で、成人のときに貰った兄の指輪が小さかったくらいだ。
 当時は薬指になんとかはいったが、今では剣を握ることもあって紐を通して首に下げている。

(それにしても、まだ新しい……)
 一度補修したクラウスの家紋指輪よりも傷が少ない。

 マリーナの異母兄たちは三十歳近いはずだ。
 補修したてというならともかく、つい先日できあがった新品に思える。

「クラウス!」
「!」

 天幕の布戸を激しくあおり盗賊が戻ってきた。
 驚いてクラウスは指輪を落としてしまう。

「な……なんだ?」
 来たときとは打って変わって慎重に布戸を閉めると、スライはクラウスの腕をとって立ち上がらせた。
 天幕の中心まで移動すると、誰もいないはずの天幕内を見回した。

 顔を近づけ、小さな声で問う。
「モーガンの旦那んとこからも、火事の後始末の人手は出したのか?」

「いいや。
 おまえたちと民兵に任せたはずだ」
 スライが警戒するものはわからなかったが、クラウスも小声で応えた。

「だよな。
 じゃぁなんで指輪は、俺じゃなく、将軍とこにいったんだ?」
「…………」

「俺は午後いっぱい作業場にいたんだぜ。
 将軍はおまえたちと会議中だっただろう?」
 何度か休憩を挟んだとはいえ、その姿が集まった誰かの視界から消えたはずはない。

「それに、将軍は兵士といったんだよな?」
「あ…………」
 クラウスは愕然とした。

 確かにモーガン将軍は『作業をしていた兵士』と言った。
 だがそんなものはいないはずだ。
 いたのは盗賊と民兵だけだった。
 兵力が必要になるかもしれない警護や巡回に兵士を回すため、その配役となったのだ。

 クラウスは瞬きを忘れて盗賊の頭を見た。
 スライも額から汗を流して騎士を見ている。
 申し合わせたように、二人の視線が地面に落ちた指輪に移った。

 薄汚れた、いるはずのないロイズ家男子の、家紋指輪───。

「火事場のなかから見つかったにしちゃぁ、溶けた様子もねぇ」
「…………」
「どうする?」
 先ほどよりももっと小さな声でスライが囁いた。

「本人に聞くか?」
 クラウスはカラカラに乾いた喉にどうにか唾を通した。
 小さく首を横に振る。

「真意が、わからない」
「お姫さんが危険だ」
「警護を」
「増やした。
 あいつを特に注意するよう、言っといた」

 クラウスはうなずいた。
「わたしは、姫の、おそばに」
「それがいい。
 ケツにくらいついてろ」

 ぶっとクラウスは再び吹き出す。
「だから! 貴様はその口調を改めろ!」

 言い終える前にすでに盗賊は布戸まで逃げてしまった。
「イヤなこった!」
 盗賊は言いながら天幕の外に逃げてしまった。

「……!」
 クラウスは地団太を踏んだ。
 それでも、最後のやり取りでなんとか冷静さを取り戻している。

 地面の指輪を拾うと、クラウスは天幕を出た。

 主の下に。