お話には、一人の騎士が現れます。


 自国の民を鼓舞し、北上し続ける聖女。
 多くの民はその姿に胸を打たれ、涙を流しながら叫びます。
「おぉ! 救世主様!」

 国王に切り捨てられた貴族の心は奮い立ち、聖女の足元にひれ伏しました。
「聖なる乙女、我らが救い主よ。
 どうぞ我らをお導きください」

 いつしか、聖女を求めて集まった人々によって大軍ができあがっていました。

 手にするのは斧で鍬で、銛です。
 戦斧や剣や、槍をもつ者は少数です。
 それでも気持ちは豪傑な兵士でした。

 国の三分の一を完全に掌握したはずの侵略者たちは、足止めを余儀なくされます。
 あれほど簡単だった侵略は非常に手間取り、徐々に北進しているにもかかわらず攻め落とすことはできません。
 決定的な何かが足りず、聖女誕生から半年近く手を拱くことになりました。


 馬に乗り、剣を掲げる聖女。
 熱気を起こす民。


 聖女の傍らには騎士たちがいました。
 一人のときもあれば、十人のときもありました。

 彼らは常に聖女の後ろに控え、危険を察せばすぐさま主を取り囲んで盾となりました。
 聖女はよく、その陰になって隠れてしまうことがありました。

 聖女の傍らに、常に控える騎士がいました。
 いつ如何なるときも主が呼べばたちまち馳せ参じました。

 清爽な顔には漆黒の瞳。
 鍛えられた体を包む甲冑、一振りの剣。
 固い信念と、不器用な優しさを持った青年です。

 聖女が誕生した大聖堂で、そのときすでに彼は聖女の背後に控えていました。
 色付きガラスに照らされた神々しい姿を現した主を、眩しそうに見ていたのです。



「あの人は、いつもそうだ」
 いつからか聖女の騎士と呼ばれるようになった彼は、ポツリとこぼしました。

「人の心配ばかりなさる。
 ご自分がどんな立場にあるのか、ちっともわかってくださらない」

 その人の珍しい弱音に、若い神官は何も言えません。
 人の迷いや悩みを聞き、救いの手を差し伸べるのが役目だとしても、国の命運を背負う人の片腕にこんなことを言われては、なんの言葉も思い浮かばなかったのです。

 たぶん聖女の騎士も救いの手を期待してはいなかったでしょう。
 ただ話したいのです、彼は。
 言葉と言う形にしておきたいのです。

 だから若い神官は口を挟まず、じっと彼の話に耳を傾けました。
 けれど聖女の騎士はそれ以上何も言いませんでした。

 草原と低木の続く中にぽつんと現れた井戸と小さな小屋を中心に、朝食の用意に精を出す女たちを───そのなかに混じる主の姿を眺めていました。
 主の笑い声を耳にして薄く微笑みました。

 初めて会った頃の短いものではなく、膝まである長い外套が風に揺れます。
 聖騎士となったからには下位騎士の姿では格好がつかないと、同僚に言われたようです。

「軍師どのは巧くやっておいででしょうか」
 訊ねた途端、聖女の騎士はむぅ、と口を歪めます。
 まるで子どものようです。

「あの男が言うからには大丈夫だろう」
「外交のお上手な方なのですね」
「口先が巧いだけかもしれん」

 聖女の騎士と軍師の仲は良好とは云い難いものでした。
 それでも巧くやっているのですから、どちらかが耐えてどちらかが乗せているのでしょうか。
 もしかすると、その中心の聖女が取り持っているのかもしれません。

 そんなことを思いながら若い神官は、女たちのほうに視線を移しました。
 ちょうど聖女が振り返って騎士に向かって微笑まれました。
 聖女の騎士も微笑み返してうなずきます。

 そこにいてくれるのね、はい、ここにおります、と音のない会話が聞こえました。

 若い神官は心の中で神に許しを請いました。
 羨ましい、などと思ってしまったのです。
 聖職者にあるまじき感情です。

 けれど若い主従は誰の目から見ても清く、初々しいのです。
 そばで見ていれば恥ずかしさと羨ましさと、幸福を感じられるでしょう。
 それほど愛らしいものだったのです。
 こんなご時世でなければ、二人は今ごろひとつの家を持ったでしょう。

「そういえば、聖女の騎士殿。
 ひとつお尋ねしてもよろしいですか?」
「何か?」
「聖女さまはいったい、どういうお人なのでしょうか?」
 聖女の騎士は困ったように首を傾げました。

「難しい質問でしたか? 無理にお答えいただかなくても……」
 いや、と聖女の騎士が遮る。
「あの人は、そのままです」
「え?」

「あの人は誰の目にも、聖女として映ります。
 シュワルドの聖女です」
 そう言って聖女の騎士は口を閉じました。
 愛しげな眼差しを主に送って。

 ではあなたの目にはどんなふうに映るのですか───若い神官はその質問は口にしませんでした。
 彼の瞳が雄弁に語っていたのです。


 聖女の騎士。
 ───戦後、それはひとつの地位となりました。

 一人の王につき一人の騎士が選ばれます。
 常に王の側にあり、王を守る盾で王の剣で、王の良き理解者であり相談役となります。

 王が女性であった場合、夫か兄弟が選ばれます。
 王が男性であった場合、多くは親友でした。
 共に学び、共に遊んだ幼なじみが選ばれました。

 初代聖女の騎士の名は、クラウス。
 王の最初の友人であり、騎士であり、最愛の人です。

 二人のいつまでも初々しい仲は、純愛物語として多くの作家の手により書き綴られます。
 女性たちは恋人に向かって「わたしのクラウス」と呼びかけるようになり、いつしか恋の守護者として広まります。


 わたしのクラウス。
 女性に言われたら、男性はこう応えるのです。


 はい、わたしの姫君───