彼は目的の人を見つけて声をかけた。
「リプティ導師」
美しい魔導士は振り返って、彼を見て微笑んだ。
「まぁ、お久しぶりね。ずいぶんと会っていなかったわ」
「二季ほどです」
「そうだったかしら。
それで、どうしたの?」
「お忙しいところ申し訳ないのですが、お時間を少しいただけないでしょうか?」
「現大師のご用が終わったから、今ならいいわ。どうしたの?」
「仲間を診てやっていただけませんか?
腕を痛めて、しばらく痛みも我慢していたようなんです」
「大変な任務だったの? あなたはケガをしていない?」
「仲間がヘマをしただけです。わたしはなんともありません」
そう、と美しい魔導士は笑った。
「すぐに行くわ」
「ありがとうございます」
彼は丁寧に頭を下げた。
部屋に戻って平服に着替えた彼は、窓際の花瓶に気づいて眉を寄せた。
また幼なじみが変なものを発明したらしい。
花瓶に差された花は風もないのに揺れ、大きな唇をパクパクと動かしていた。歌っているらしい。
明らかに嫌がらせだ。
彼が、自分は特定の音が聞こえないということに気づいたのは子どものころだった。
同時期に孤児となった幼なじみと一緒に畑を耕していたら、後ろから声をかけられて、その人に言われた。
『この音が聞こえるか?』
聞こえなかった。
『この音はどうだ?』
聞こえた。
『わたしのもとへ来ないか?』
一度は断った魔導士への道を選んだ。声をかけてくれたのがその人だったから、その道を選んだ。
その人は師匠となって、今はもう亡くなっているが、自分はその人の後継者として任務にあたっている。
同門の兄弟となった幼なじみは院で研究に没頭している。何をしているのかよくわからないが、おもしろいらしい。
成功作なのか失敗作なのかわからないが、今日のように勝手に人の部屋に作品を置いていく。
兄弟弟子という理由から、扉一枚で続く二間部屋を割り当てられてしまったので、よく侵入されるのだ。
夜中に戻ると、たまに幼なじみが床に寝ているのに気づかず踏みつけることもある。
長期の任務で久しぶりに戻ると、壁という壁に呪文が描かれていたりした。読んでみたが、あまりの悪筆に解読不可能だった。
ほかにも、女性の下着が置いてあったり(人の部屋で何をやっているんだとこめかみの毛をむしってやった)、探さないでくださいという置き手紙が大量に散乱していた(もちろん探さない)こともあった。
作品は片付けるのも面倒なのでそのままにしているが、ときおり誰かがやってきて、良かったら譲ってくれといってくる。それくらい、幼なじみの作品は貴重なものらしい。
彼にはその良さがまったくもってわからないが。
ぐーうるるぅ
「…………」
彼は空腹を覚えた。
この時間なら何か作り置きが厨房にあるだろうと部屋を出ようとしたら、先に扉が叩かれた。
「誰ですか?」
「あの…………ゴ…………」
声が小さいのか、扉の向こうの声は聞き取りにくい。
面倒なので扉を開けると、そこには背の高い男が立っていた。
「……誰だ?」
下位の者だ。それくらいはわかる。
「あの、た、大師から、おびっ……」
舌を噛んだようだ。
「お、お呼びするようにと、いい言い付かってきました」
「大師? どなたが?」
男は廊下を見渡して、彼にだけ聞こえるように大師の名前を告げた。
彼は驚いた。
腹の音が鳴るところだった。
「すぐに行こう」
男に付いて行くと、客用の一室に案内された。
綿の詰められた椅子に腰掛けた人が一人。法衣を着、フードを深くかぶって顔を隠している。
「急に呼び出してすまなかった」
若い男の声だ。
「いいえ。お会いできて光栄です」
「……ディット、下がっていなさい」
大師は男を部屋から出した。
二人だけになると、大師は顔をさらした。
彼と変わらないくらいの年代の男だ。だが『大師』の肩書きを持つくらいだ、かなりの年配のはず。
噂どおり、目を閉じている。
高位の気配をまったく消し去り、見ただけでは魔導士とはわからない。
勧められて椅子に座ると、詰め込まれた綿に尻が埋まりそうになる。
なんてことだ綿に埋もれるなんて、と彼は衝撃を受け、小さく腹の音が漏れてしまった。
「座りにくいなら、あの椅子を使いなさい。あれにはあまり綿ははいっていないだろう」
大師の指先は部屋の隅に置かれた四角い椅子がある。背もたれもないその椅子は、おそらく簡易椅子なのだろう。
運んできて座ってみると、確かに先ほどの椅子より硬い。
大師が、目を閉じたまま壁向こうの部屋の間取りを読み取るという噂のは本当らしい。
彼はまた驚いた。
ぐるるぅ
「…………」
確実に聞こえただろうと大師を見るが、気づいた様子はない。
「単刀直入に言う」
「はい、大師」
「おまえの兄弟エットを、どうにかしてくれ」
「…………は?」
兄弟のエットといえば、幼なじみ一人しかいない。
「研究熱心なのは良いことだ。だが、行き過ぎれば査問会にかけられる」
彼は思った。
ぜひ一度、かけて欲しい。
できることならばじっくり、しつこく、執拗に詰問してやって更生してほしい。
「あれでもおまえの兄弟であり、わたしの孫弟子だ。破門だけはさせたくない」
「……お心遣い、感謝します」
今、聞き捨てならない単語がでてきたが、彼は気のせいだと思った。
「頭の固いレイは苦労しただろう。あの手の人間は苦手だったからな」
「…………そうですか」
レイ、とは確かに師匠の名だ。大師と師匠が知り合いとは知らなかった。
「おまえは確かに後継に適していたが……エットは、なぜ選んだのだろうな」
それは簡単だ。
彼が魔導士になるのなら自分もなるんだとわがままを言った十歳児は、師匠となる人にしがみついて離れなかったからだ。
「わたしから何度もたしなめたが聞かなかった。
悪いが、おまえからもきつく言ってやってほしい」
「それは……兄弟ですので、破門だけは避けてやりたいと思います」
心にもないことを言ってみた。兄弟が破門されたら二度と顔を見なくて済むのに。
大師にウソをついたことに胸が痛んだ。
「そうか。頼む。
レイもおまえに感謝していたが、わたしもおまえのような孫を持てて嬉しく思う」
「……………………………………………………………………………………………………………………」
彼はやっと、事の真相に気づいた。
なぜ、問題児の兄弟のことで大師自らが彼に頼み事をしに来たのか。
それは、兄弟は大師の孫弟子で、その兄弟と同門の彼もまた、大師の孫で師にあたるのだ。
初めて知った。自分は大師の孫弟子なのだということを。
驚いてお腹が鳴った。
盛大に。
ぐぎょっ、うごごごごっごごっ
大師がぽかんと口を開けている。律儀に目は閉じたまま。
「……失礼しました」
「腹が痛いのか?」
「戻ったばかりで、食事を摂っておりません」
「…………。そうか。急に、呼び出して、悪かった」
呼び出した詫びにと、大師が食事に誘ってくれた。
彼は喜んでご馳走になった。
何人もの見習い魔導士たちを泣かせた男がいる。
パン五斤をおやつに。
一度に二十人分のスープが作れる鍋を傍らに、羊一頭を食い尽くした。途中で栄養を考えて野菜を丸ごとほお張り、成猫ほどの大きさの魚を頭から齧った。
もちろん、食後には果物をひと籠抱えて丸呑み。
その男は、『空のゴロウッド』と呼ばれ、食事当番の見習い魔導士を泣かせ続けた。
厨房の伝説的男である。
自分が厨房の伝説と呼ばれているなど微塵も気づかない彼は、目の前の伝説的大師をまえに見事な食いっぷりを見せつけた。
大師は驚き、感慨深げに呟いた。
「レイのやつが、稼ぎに稼いでいた理由がわかった……」
「リプティ導師」
美しい魔導士は振り返って、彼を見て微笑んだ。
「まぁ、お久しぶりね。ずいぶんと会っていなかったわ」
「二季ほどです」
「そうだったかしら。
それで、どうしたの?」
「お忙しいところ申し訳ないのですが、お時間を少しいただけないでしょうか?」
「現大師のご用が終わったから、今ならいいわ。どうしたの?」
「仲間を診てやっていただけませんか?
腕を痛めて、しばらく痛みも我慢していたようなんです」
「大変な任務だったの? あなたはケガをしていない?」
「仲間がヘマをしただけです。わたしはなんともありません」
そう、と美しい魔導士は笑った。
「すぐに行くわ」
「ありがとうございます」
彼は丁寧に頭を下げた。
部屋に戻って平服に着替えた彼は、窓際の花瓶に気づいて眉を寄せた。
また幼なじみが変なものを発明したらしい。
花瓶に差された花は風もないのに揺れ、大きな唇をパクパクと動かしていた。歌っているらしい。
明らかに嫌がらせだ。
彼が、自分は特定の音が聞こえないということに気づいたのは子どものころだった。
同時期に孤児となった幼なじみと一緒に畑を耕していたら、後ろから声をかけられて、その人に言われた。
『この音が聞こえるか?』
聞こえなかった。
『この音はどうだ?』
聞こえた。
『わたしのもとへ来ないか?』
一度は断った魔導士への道を選んだ。声をかけてくれたのがその人だったから、その道を選んだ。
その人は師匠となって、今はもう亡くなっているが、自分はその人の後継者として任務にあたっている。
同門の兄弟となった幼なじみは院で研究に没頭している。何をしているのかよくわからないが、おもしろいらしい。
成功作なのか失敗作なのかわからないが、今日のように勝手に人の部屋に作品を置いていく。
兄弟弟子という理由から、扉一枚で続く二間部屋を割り当てられてしまったので、よく侵入されるのだ。
夜中に戻ると、たまに幼なじみが床に寝ているのに気づかず踏みつけることもある。
長期の任務で久しぶりに戻ると、壁という壁に呪文が描かれていたりした。読んでみたが、あまりの悪筆に解読不可能だった。
ほかにも、女性の下着が置いてあったり(人の部屋で何をやっているんだとこめかみの毛をむしってやった)、探さないでくださいという置き手紙が大量に散乱していた(もちろん探さない)こともあった。
作品は片付けるのも面倒なのでそのままにしているが、ときおり誰かがやってきて、良かったら譲ってくれといってくる。それくらい、幼なじみの作品は貴重なものらしい。
彼にはその良さがまったくもってわからないが。
ぐーうるるぅ
「…………」
彼は空腹を覚えた。
この時間なら何か作り置きが厨房にあるだろうと部屋を出ようとしたら、先に扉が叩かれた。
「誰ですか?」
「あの…………ゴ…………」
声が小さいのか、扉の向こうの声は聞き取りにくい。
面倒なので扉を開けると、そこには背の高い男が立っていた。
「……誰だ?」
下位の者だ。それくらいはわかる。
「あの、た、大師から、おびっ……」
舌を噛んだようだ。
「お、お呼びするようにと、いい言い付かってきました」
「大師? どなたが?」
男は廊下を見渡して、彼にだけ聞こえるように大師の名前を告げた。
彼は驚いた。
腹の音が鳴るところだった。
「すぐに行こう」
男に付いて行くと、客用の一室に案内された。
綿の詰められた椅子に腰掛けた人が一人。法衣を着、フードを深くかぶって顔を隠している。
「急に呼び出してすまなかった」
若い男の声だ。
「いいえ。お会いできて光栄です」
「……ディット、下がっていなさい」
大師は男を部屋から出した。
二人だけになると、大師は顔をさらした。
彼と変わらないくらいの年代の男だ。だが『大師』の肩書きを持つくらいだ、かなりの年配のはず。
噂どおり、目を閉じている。
高位の気配をまったく消し去り、見ただけでは魔導士とはわからない。
勧められて椅子に座ると、詰め込まれた綿に尻が埋まりそうになる。
なんてことだ綿に埋もれるなんて、と彼は衝撃を受け、小さく腹の音が漏れてしまった。
「座りにくいなら、あの椅子を使いなさい。あれにはあまり綿ははいっていないだろう」
大師の指先は部屋の隅に置かれた四角い椅子がある。背もたれもないその椅子は、おそらく簡易椅子なのだろう。
運んできて座ってみると、確かに先ほどの椅子より硬い。
大師が、目を閉じたまま壁向こうの部屋の間取りを読み取るという噂のは本当らしい。
彼はまた驚いた。
ぐるるぅ
「…………」
確実に聞こえただろうと大師を見るが、気づいた様子はない。
「単刀直入に言う」
「はい、大師」
「おまえの兄弟エットを、どうにかしてくれ」
「…………は?」
兄弟のエットといえば、幼なじみ一人しかいない。
「研究熱心なのは良いことだ。だが、行き過ぎれば査問会にかけられる」
彼は思った。
ぜひ一度、かけて欲しい。
できることならばじっくり、しつこく、執拗に詰問してやって更生してほしい。
「あれでもおまえの兄弟であり、わたしの孫弟子だ。破門だけはさせたくない」
「……お心遣い、感謝します」
今、聞き捨てならない単語がでてきたが、彼は気のせいだと思った。
「頭の固いレイは苦労しただろう。あの手の人間は苦手だったからな」
「…………そうですか」
レイ、とは確かに師匠の名だ。大師と師匠が知り合いとは知らなかった。
「おまえは確かに後継に適していたが……エットは、なぜ選んだのだろうな」
それは簡単だ。
彼が魔導士になるのなら自分もなるんだとわがままを言った十歳児は、師匠となる人にしがみついて離れなかったからだ。
「わたしから何度もたしなめたが聞かなかった。
悪いが、おまえからもきつく言ってやってほしい」
「それは……兄弟ですので、破門だけは避けてやりたいと思います」
心にもないことを言ってみた。兄弟が破門されたら二度と顔を見なくて済むのに。
大師にウソをついたことに胸が痛んだ。
「そうか。頼む。
レイもおまえに感謝していたが、わたしもおまえのような孫を持てて嬉しく思う」
「……………………………………………………………………………………………………………………」
彼はやっと、事の真相に気づいた。
なぜ、問題児の兄弟のことで大師自らが彼に頼み事をしに来たのか。
それは、兄弟は大師の孫弟子で、その兄弟と同門の彼もまた、大師の孫で師にあたるのだ。
初めて知った。自分は大師の孫弟子なのだということを。
驚いてお腹が鳴った。
盛大に。
ぐぎょっ、うごごごごっごごっ
大師がぽかんと口を開けている。律儀に目は閉じたまま。
「……失礼しました」
「腹が痛いのか?」
「戻ったばかりで、食事を摂っておりません」
「…………。そうか。急に、呼び出して、悪かった」
呼び出した詫びにと、大師が食事に誘ってくれた。
彼は喜んでご馳走になった。
何人もの見習い魔導士たちを泣かせた男がいる。
パン五斤をおやつに。
一度に二十人分のスープが作れる鍋を傍らに、羊一頭を食い尽くした。途中で栄養を考えて野菜を丸ごとほお張り、成猫ほどの大きさの魚を頭から齧った。
もちろん、食後には果物をひと籠抱えて丸呑み。
その男は、『空のゴロウッド』と呼ばれ、食事当番の見習い魔導士を泣かせ続けた。
厨房の伝説的男である。
自分が厨房の伝説と呼ばれているなど微塵も気づかない彼は、目の前の伝説的大師をまえに見事な食いっぷりを見せつけた。
大師は驚き、感慨深げに呟いた。
「レイのやつが、稼ぎに稼いでいた理由がわかった……」