それは見事なものだった。
作られた悪魔が氷漬けになっている。
背丈は小さいが横に広く、二本の爪は鋭い。通常の攻撃魔法を練っている間に体当たりでもされれば、ひとたまりもないだろう。
「ごめんなさい、忙しいのに。この子に、この氷の解き方を教えていただけるかしら?」
「あぁ、いいですよ。氷だけだし、すぐ解けますよ」
美しい導師の頼みを断れるはずがない。このおもしろい人工悪魔も興味深い。
このところ何もかもうまくいかなかったから、息抜きによさそうだ。
この前聞いた人語を解す剣も興味深いのだがどうしても手にはいらないし、空飛ぶバナナも泳ぐ枝豆も捕まえることができない。
髭の生えたイヌワシは本人からきっぱりと断られ、勝手に花を生み出すという魔導士からは毎回逃げられた挙げ句、しつこく追いかけていたらその筋肉隆々師匠に肘鉄を食らった。
おかげで今も首が痛い。
炎に飛び込んでも傷一つつかないという人はいつも火の中にいて交渉すらできない。
水をかけて火を消し止めると、相手は次なる火へと走り去ってしまう。その俊足は見事なもので追いつけなかった。
どうしようもないと泣き暮れていると、緑色の狼になる人間がいるというので行ってみたら、ものすごい警備で近づけなかった。
あんなに胸の筋肉をぴくぴく動かして見せ付けられたのは、生まれて初めてだった。
こうなったら大魔導師の聖光が欲しいと呟いたら、どこで聞いていたのか隠居したはずの師匠から絶対にだめだと言われ、だったら師匠の聖眼の目玉をくれといったら殴られた。
ひどい人だ。
そんなわけで、暇を持て余していた彼は快く、美しい導師の頼みを引き受けたのだった。
丁寧に礼を述べた美しい導師は、弟子を残して彼の部屋を後にした。
部屋をざっと片付け、氷漬けの人工悪魔を部屋の中心まで運び、彼は隅々まで観察した。おかげでしばらく少年のことが意識から外されてしまった。
「あ、ごめんね」
ふるふる、と少年は首を横に振った。
彼は唇を舐めながら、自分の癖毛に指を絡めた。
くる、くるくる
「…………」
「なに?」
少年が彼の指先を見ている。
「どしたの?」
「……………………」
くるくる、くる
「あ? これ?
ごめんね。これ、クセなんだ」
そうなんだ、と言いたげに少年がうなずいた。
少年も自分の髪を指に巻きつけようとするが、短い直毛はするすると指を滑ってしまう。
「…………」
「ま、座ってよ」
人工悪魔を真ん中に、周囲をその他研究材料に囲まれながら少年と向かい合うように椅子に座る。
「じゃ、まずこの悪魔の成分を解いていこうか?」
こくり、と少年がうなずいた。
「これ、持ってくるとき軽かったでしょ?」
こくり、と少年がうなずいた。
「中身がカラなんだ。卵のカラみたいなのを作ってね、外に色を付けてるだけなの」
へー、というように少年がうなずいた。
「絵の具は……匂いを嗅いだらすぐわかるんだけどね、たぶん草と木の実だね。爪は鶏の骨みたいだよ」
少年が目を丸くして、椅子から下りて氷付けの人工悪魔の手元を見た。まだ少年にそこまでわかるわけがない。
くるくる、と彼は癖毛を指に絡める。
少年は人工悪魔の爪を見ながら、指で自分の鼻の頭をなでた。
「何? その傷、それでやられたの?」
彼を見ずに少年はうなずいた。
「へー……。
あ、で、この悪魔の主な成分はね、ホントに卵のカラなんだ」
「…………え」
少年が初めて声を発した。
変声期前の高い声。
男にしては高い声の彼よりも高い。
「驚いたでしょ?
で、氷を溶かすには卵のカラが割れないようにしないといけないんだよ」
へー、というように少年がうなずいた。
「何がいいと思う?」
「……火じゃ、だめ?」
「うーん。卵を直火にかけると爆発しちゃうよ?」
「ぬるいお湯?」
「時間がかかっちゃうよ」
「…………割る」
「カラも割れちゃうよ」
ふふふふふ、と彼が笑うと、少年は頬を膨らませてそっぽを向いた。
「惜しいなぁ。ちょっと近かったんだけどなぁ」
「んー…………」
少年は床に座り込み、氷付けの悪魔と睨めっこしている。
どうしても解けない少年に、彼は優しく言った。
「じゃ、ボクがやってみるから。しっかり見ててね」
数分後、復活した人工悪魔が院内を闊歩しだした。
教室内の修業生は逃げ出し、導師たちが慌てて人工悪魔を破壊した。
そして人工悪魔の向こうから現れた彼の姿を見つけた導師は、彼の襟首を掴み、謹慎室に放り込んだ。
理由も原因も言い訳も聞かない。
まさに問答無用だった。
その部屋の主は『謎のエヴィエット』と呼ばれていた。
なぜ謎なのかと言うと、彼の研究対象は物珍しいものに集中していたからだ。
どこから見つけてくるのか、奇怪なものが彼の部屋を満たしていた。足の踏み場もないくらいに。
研究は自室だけに収まるならいいのだが、それが生き物だった場合、院内を闊歩して近所に迷惑をかけることがしばしばあった。
そして残念なことに、彼も優秀な魔導士だった。
奇怪なものを丹念に研究し、貴重な書物を多く残した。それは、どこかで不思議な現象が起これば、まず彼の著書が資料として選ばれるくらいに素晴らしいものだった。
さらに残念なことに、奇怪なものを研究対象とし、奇怪な行動の多かった彼自身の詳細は書物にならなかった。
だって、文章に表せるほど彼のことを理解できる人間がいなかったから。
だから彼は永遠の謎として、魔導士たちのあいだで語り継がれた。
謹慎室の扉の覗き窓から、赤茶色の頭頂部が覗く。
「あ、来ちゃった? 大丈夫だった? ケガない?」
赤茶色の頭頂部が一瞬、消えた。うなずいたようだ。
「解き方はわかった?」
また、赤茶色の頭頂部が一瞬、消えた。
「実はね、もう一つあるんだ」
赤茶色の頭頂部がぴょこんと跳ねる。
「ま、それは宿題ね」
元気に赤茶色の頭頂部が跳ねた。
覗き窓の向こうで小さな手が振られ、ぱたぱたと軽い足音が去っていく。
さて、と彼は癖毛を指に絡めながら硬い寝台に腰を下ろす。
無口な少年は、もう一つの回答を見つけられるだろうか。
数日後、騒ぎを聞きつけた、盲目なのに地獄耳な師匠の説教を受けるとは思ってもいない彼は、少年の健闘を祈った。
作られた悪魔が氷漬けになっている。
背丈は小さいが横に広く、二本の爪は鋭い。通常の攻撃魔法を練っている間に体当たりでもされれば、ひとたまりもないだろう。
「ごめんなさい、忙しいのに。この子に、この氷の解き方を教えていただけるかしら?」
「あぁ、いいですよ。氷だけだし、すぐ解けますよ」
美しい導師の頼みを断れるはずがない。このおもしろい人工悪魔も興味深い。
このところ何もかもうまくいかなかったから、息抜きによさそうだ。
この前聞いた人語を解す剣も興味深いのだがどうしても手にはいらないし、空飛ぶバナナも泳ぐ枝豆も捕まえることができない。
髭の生えたイヌワシは本人からきっぱりと断られ、勝手に花を生み出すという魔導士からは毎回逃げられた挙げ句、しつこく追いかけていたらその筋肉隆々師匠に肘鉄を食らった。
おかげで今も首が痛い。
炎に飛び込んでも傷一つつかないという人はいつも火の中にいて交渉すらできない。
水をかけて火を消し止めると、相手は次なる火へと走り去ってしまう。その俊足は見事なもので追いつけなかった。
どうしようもないと泣き暮れていると、緑色の狼になる人間がいるというので行ってみたら、ものすごい警備で近づけなかった。
あんなに胸の筋肉をぴくぴく動かして見せ付けられたのは、生まれて初めてだった。
こうなったら大魔導師の聖光が欲しいと呟いたら、どこで聞いていたのか隠居したはずの師匠から絶対にだめだと言われ、だったら師匠の聖眼の目玉をくれといったら殴られた。
ひどい人だ。
そんなわけで、暇を持て余していた彼は快く、美しい導師の頼みを引き受けたのだった。
丁寧に礼を述べた美しい導師は、弟子を残して彼の部屋を後にした。
部屋をざっと片付け、氷漬けの人工悪魔を部屋の中心まで運び、彼は隅々まで観察した。おかげでしばらく少年のことが意識から外されてしまった。
「あ、ごめんね」
ふるふる、と少年は首を横に振った。
彼は唇を舐めながら、自分の癖毛に指を絡めた。
くる、くるくる
「…………」
「なに?」
少年が彼の指先を見ている。
「どしたの?」
「……………………」
くるくる、くる
「あ? これ?
ごめんね。これ、クセなんだ」
そうなんだ、と言いたげに少年がうなずいた。
少年も自分の髪を指に巻きつけようとするが、短い直毛はするすると指を滑ってしまう。
「…………」
「ま、座ってよ」
人工悪魔を真ん中に、周囲をその他研究材料に囲まれながら少年と向かい合うように椅子に座る。
「じゃ、まずこの悪魔の成分を解いていこうか?」
こくり、と少年がうなずいた。
「これ、持ってくるとき軽かったでしょ?」
こくり、と少年がうなずいた。
「中身がカラなんだ。卵のカラみたいなのを作ってね、外に色を付けてるだけなの」
へー、というように少年がうなずいた。
「絵の具は……匂いを嗅いだらすぐわかるんだけどね、たぶん草と木の実だね。爪は鶏の骨みたいだよ」
少年が目を丸くして、椅子から下りて氷付けの人工悪魔の手元を見た。まだ少年にそこまでわかるわけがない。
くるくる、と彼は癖毛を指に絡める。
少年は人工悪魔の爪を見ながら、指で自分の鼻の頭をなでた。
「何? その傷、それでやられたの?」
彼を見ずに少年はうなずいた。
「へー……。
あ、で、この悪魔の主な成分はね、ホントに卵のカラなんだ」
「…………え」
少年が初めて声を発した。
変声期前の高い声。
男にしては高い声の彼よりも高い。
「驚いたでしょ?
で、氷を溶かすには卵のカラが割れないようにしないといけないんだよ」
へー、というように少年がうなずいた。
「何がいいと思う?」
「……火じゃ、だめ?」
「うーん。卵を直火にかけると爆発しちゃうよ?」
「ぬるいお湯?」
「時間がかかっちゃうよ」
「…………割る」
「カラも割れちゃうよ」
ふふふふふ、と彼が笑うと、少年は頬を膨らませてそっぽを向いた。
「惜しいなぁ。ちょっと近かったんだけどなぁ」
「んー…………」
少年は床に座り込み、氷付けの悪魔と睨めっこしている。
どうしても解けない少年に、彼は優しく言った。
「じゃ、ボクがやってみるから。しっかり見ててね」
数分後、復活した人工悪魔が院内を闊歩しだした。
教室内の修業生は逃げ出し、導師たちが慌てて人工悪魔を破壊した。
そして人工悪魔の向こうから現れた彼の姿を見つけた導師は、彼の襟首を掴み、謹慎室に放り込んだ。
理由も原因も言い訳も聞かない。
まさに問答無用だった。
その部屋の主は『謎のエヴィエット』と呼ばれていた。
なぜ謎なのかと言うと、彼の研究対象は物珍しいものに集中していたからだ。
どこから見つけてくるのか、奇怪なものが彼の部屋を満たしていた。足の踏み場もないくらいに。
研究は自室だけに収まるならいいのだが、それが生き物だった場合、院内を闊歩して近所に迷惑をかけることがしばしばあった。
そして残念なことに、彼も優秀な魔導士だった。
奇怪なものを丹念に研究し、貴重な書物を多く残した。それは、どこかで不思議な現象が起これば、まず彼の著書が資料として選ばれるくらいに素晴らしいものだった。
さらに残念なことに、奇怪なものを研究対象とし、奇怪な行動の多かった彼自身の詳細は書物にならなかった。
だって、文章に表せるほど彼のことを理解できる人間がいなかったから。
だから彼は永遠の謎として、魔導士たちのあいだで語り継がれた。
謹慎室の扉の覗き窓から、赤茶色の頭頂部が覗く。
「あ、来ちゃった? 大丈夫だった? ケガない?」
赤茶色の頭頂部が一瞬、消えた。うなずいたようだ。
「解き方はわかった?」
また、赤茶色の頭頂部が一瞬、消えた。
「実はね、もう一つあるんだ」
赤茶色の頭頂部がぴょこんと跳ねる。
「ま、それは宿題ね」
元気に赤茶色の頭頂部が跳ねた。
覗き窓の向こうで小さな手が振られ、ぱたぱたと軽い足音が去っていく。
さて、と彼は癖毛を指に絡めながら硬い寝台に腰を下ろす。
無口な少年は、もう一つの回答を見つけられるだろうか。
数日後、騒ぎを聞きつけた、盲目なのに地獄耳な師匠の説教を受けるとは思ってもいない彼は、少年の健闘を祈った。