ラヴァスト・ジフリーにとって怖いものは母以外にない。
嫌いなものはたくさんある。
ラディッシュ、姉、トマトに父親。
それから最近、もうひとつ増えた。
「好き嫌いはいけませんよ」
なんていいながら無邪気な笑みを向けてくる悪魔だ。
いや、この悪魔の両親は普通の人間で、普通に子どもを作ったのかもしれないが、成長過程で間違いが生じて悪魔になってしまったのだ。
親御さんに罪はない。
と、アストは思っている。
そもそも、国境付近の警備兵に名指しで依頼をする時点で怪しい。
そんな仕事に微塵の疑いも持たずにもくもくと毎日を過ごす悪魔はさらに怪しい。
そして、今日の空も怪しい。
「降りますね、今日も」
悪魔は窓から顔を出して空を見上げた。
「やめろ。ホントに降るだろうが」
「すごいですね、アスト」
悪魔が満面の笑みで振り返った。
「あ?」
「本当に雨が降り出しましたよ!」
「………………」
どんな呪いだよ、と心の中だけで叫ぶアスト。
小さな町の宿に閉じ込められて三日目。
その前からしとしとと雨は降り続いていたのだが、昨日からの豪雨に川が増水した。
次の町に行くための橋が流され、アストたちは足止めを余儀なくされた。
一人なら、あるいはせめて警備兵仲間だったら札遊びでもしてお気楽に過ごせるが、悪魔と二人っきりだなんて窓から飛び降りたい。
そのまま裸足で雨の中を逃げたい。
「アスト」
「なんだよ」
床に座って剣を磨くアストに、悪魔がにじり寄ってきた。
「子どもの頃、雨の日はどんな遊びをしたんですか?」
「はぁあ?」
「僕は小さな村のはずれで育ったので、大勢と遊んだことがないんです」
それは初耳だ。
というより、悪魔は自分のことはあまり話さない。
それもそうか。弱みを見せつけるわけにはいかないからな。
「遊びっつってもなぁ……。
俺だって、十歳くらいまでは田舎暮らしだったんだ。
学校に行くころに家に連れ戻されて、遊びなんていってもなぁ……」
父のへそくりを盗んでお菓子を買いあさったり、姉の部屋に忍び込んで本を読み漁ったり、港で海虫を捕まえる競争をしたり、パンツ一枚で海に潜ったり……。
「くだらないことばっかだぜ」
「海の近くだったんですか?」
「親父の屋敷から少し南ある町だ。
乳母の実家があって、そこに世話になってた。
こんなこと聞いて、おもしろいか?」
「おもしろいというより、興味深いです。
僕は本当に、歳の近い子どもと遊んだことがないので」
そりゃ悪魔と遊びたい子どもなんていないだろうな、と思いつつも、やっぱりコイツにも人間らしい子ども時代があったのだろうかと思った。
外見は天使のような愛らしいが、中身はどす黒い悪魔だ。
それでも一応、医者に見てもらえば「こりゃ人間だ」と応えるだろう。
それなら、不敵な笑みや恐ろしい含み笑いではなく、子どもらしい純朴な顔をしていた頃もあったのだろうか。
「おまえは、生まれはどこだ?」
「生まれはわかりませんが、養家はこの近くです」
……何?
「母が大ケガを負って、助けてくださった方が近くにお住まいなんです。
そのまま母は亡くなりましたが、僕を引き取って育ててくださいました」
悪魔は悲しそうでもなく、寂しそうでもない。
いつものとおり、慈愛に満ちた微笑を口元に浮かべている。
声にももちろん悲痛さなんてない。
けれど。
この悪魔にも母親がいて、助けてくれた親切な養い親との心温まる出会いが会った。
そう思うと、いつまでも大人気ないことはしていられないような気がした。
わざわざアストの仕事場まで出向いて依頼を持ちかけてくれた依頼主のためにも、報酬に見合った仕事をしよう。
それが働く大人の常識ってもんだよな。
アストはちょっと大人になった。
それにしても、と悪魔が満面の笑みを向ける。
「あなたは本当に海が好きなんですね、アスト」
「はぁあ?」
「泳いでいるときにパンツが脱げて大笑いされても、翌日にはまた海に行くほど、好きなんですね」
「………………」
うふふ、と悪魔が笑う。
依頼主が選んだとはいえ、アストは一般人。
依頼を告げる前に身辺調査がなされたと、悪魔から聞いた。
いったい、身辺調査はどこまで進んでいるのだろうか。
聞いてみようか。
いや、恐ろしくて聞けない。
そうだ。
知らないまま、純粋な気持ちを持ち続けよう。
そうすればきっと、明日には雨も上がるだろう。
アストは童心に返ったふりをして、現実から逃げた。
嫌いなものはたくさんある。
ラディッシュ、姉、トマトに父親。
それから最近、もうひとつ増えた。
「好き嫌いはいけませんよ」
なんていいながら無邪気な笑みを向けてくる悪魔だ。
いや、この悪魔の両親は普通の人間で、普通に子どもを作ったのかもしれないが、成長過程で間違いが生じて悪魔になってしまったのだ。
親御さんに罪はない。
と、アストは思っている。
そもそも、国境付近の警備兵に名指しで依頼をする時点で怪しい。
そんな仕事に微塵の疑いも持たずにもくもくと毎日を過ごす悪魔はさらに怪しい。
そして、今日の空も怪しい。
「降りますね、今日も」
悪魔は窓から顔を出して空を見上げた。
「やめろ。ホントに降るだろうが」
「すごいですね、アスト」
悪魔が満面の笑みで振り返った。
「あ?」
「本当に雨が降り出しましたよ!」
「………………」
どんな呪いだよ、と心の中だけで叫ぶアスト。
小さな町の宿に閉じ込められて三日目。
その前からしとしとと雨は降り続いていたのだが、昨日からの豪雨に川が増水した。
次の町に行くための橋が流され、アストたちは足止めを余儀なくされた。
一人なら、あるいはせめて警備兵仲間だったら札遊びでもしてお気楽に過ごせるが、悪魔と二人っきりだなんて窓から飛び降りたい。
そのまま裸足で雨の中を逃げたい。
「アスト」
「なんだよ」
床に座って剣を磨くアストに、悪魔がにじり寄ってきた。
「子どもの頃、雨の日はどんな遊びをしたんですか?」
「はぁあ?」
「僕は小さな村のはずれで育ったので、大勢と遊んだことがないんです」
それは初耳だ。
というより、悪魔は自分のことはあまり話さない。
それもそうか。弱みを見せつけるわけにはいかないからな。
「遊びっつってもなぁ……。
俺だって、十歳くらいまでは田舎暮らしだったんだ。
学校に行くころに家に連れ戻されて、遊びなんていってもなぁ……」
父のへそくりを盗んでお菓子を買いあさったり、姉の部屋に忍び込んで本を読み漁ったり、港で海虫を捕まえる競争をしたり、パンツ一枚で海に潜ったり……。
「くだらないことばっかだぜ」
「海の近くだったんですか?」
「親父の屋敷から少し南ある町だ。
乳母の実家があって、そこに世話になってた。
こんなこと聞いて、おもしろいか?」
「おもしろいというより、興味深いです。
僕は本当に、歳の近い子どもと遊んだことがないので」
そりゃ悪魔と遊びたい子どもなんていないだろうな、と思いつつも、やっぱりコイツにも人間らしい子ども時代があったのだろうかと思った。
外見は天使のような愛らしいが、中身はどす黒い悪魔だ。
それでも一応、医者に見てもらえば「こりゃ人間だ」と応えるだろう。
それなら、不敵な笑みや恐ろしい含み笑いではなく、子どもらしい純朴な顔をしていた頃もあったのだろうか。
「おまえは、生まれはどこだ?」
「生まれはわかりませんが、養家はこの近くです」
……何?
「母が大ケガを負って、助けてくださった方が近くにお住まいなんです。
そのまま母は亡くなりましたが、僕を引き取って育ててくださいました」
悪魔は悲しそうでもなく、寂しそうでもない。
いつものとおり、慈愛に満ちた微笑を口元に浮かべている。
声にももちろん悲痛さなんてない。
けれど。
この悪魔にも母親がいて、助けてくれた親切な養い親との心温まる出会いが会った。
そう思うと、いつまでも大人気ないことはしていられないような気がした。
わざわざアストの仕事場まで出向いて依頼を持ちかけてくれた依頼主のためにも、報酬に見合った仕事をしよう。
それが働く大人の常識ってもんだよな。
アストはちょっと大人になった。
それにしても、と悪魔が満面の笑みを向ける。
「あなたは本当に海が好きなんですね、アスト」
「はぁあ?」
「泳いでいるときにパンツが脱げて大笑いされても、翌日にはまた海に行くほど、好きなんですね」
「………………」
うふふ、と悪魔が笑う。
依頼主が選んだとはいえ、アストは一般人。
依頼を告げる前に身辺調査がなされたと、悪魔から聞いた。
いったい、身辺調査はどこまで進んでいるのだろうか。
聞いてみようか。
いや、恐ろしくて聞けない。
そうだ。
知らないまま、純粋な気持ちを持ち続けよう。
そうすればきっと、明日には雨も上がるだろう。
アストは童心に返ったふりをして、現実から逃げた。