彼は溜め息をついた。
 目の前には兄弟が座っている。

 血縁関係はない。同じ師匠に師事した、兄弟弟子だ。
 師事した時機が近く、歳も近いので、よく二人でいた。
 良いとはいえないが、悪いやつでもない。多分。

 その兄弟の初恋は早かった。
 弱冠十歳にして恋に落ちた。

 しかも相手は既婚者で、子どももいた。
 当時、兄弟からそのことを告げられたとき彼は、アホかと思ったものだ。恋した途端、失恋なんて目も当てられない。

 しかし兄弟の気持ちは冷めるどころか熱くなる一方で、成長するに従い想いが増していった。
 その気持ちをなかなか打ち明けられず、悶々とする気持ちを聞かされ続けたのは彼で、辟易したものだ。

 あまりにもしつこかったので「おもいきって言うだけ言えよ」と言ってしまい、まさか本当に言うなんて思わなかった。
 しかも、相手の身内の前で。
 相手に抱きついて、相手の子どもたちの前で、
「好きです!」
 なんていうとは思わなかった。

 いきなり現れた男に告白された相手は、お子さんになんて言い訳したのだろう……。

 それが問題行動と取られ、よく年に十年の遠征に追いやられたこともあった。戻ってきてもまったく変わっていなかった。
 少しくらい懲りてもいいのに。

 戻ってきた早々、相手に会いに行き、また騒ぎを起こした。
 その人は当時から高位にあり、西の長老とも懇意にしている噂のあった人で、とうとう長老がキレたらしい。
 兄弟は東の端の小さな島に左遷された。
 三十年以上も。
 長老はよほど腹に据えかねたのだろうと、誰もが納得した。

 還ってきても、熱は冷めていないようだ。
 すでに隠居しているという相手を血眼になって探し出した。
 そして先日、見つけてしまったらしい。一生見つけられなければ良かったのにと彼は舌打ちした。



 で、今その兄弟は、今日も捕まえられなかったことに悶々として、彼に愚痴りにきた。
 いい年してコイツは……と怒りを通り越して呆れた。

「で、窓から逃げられたのか」
「そう。あとちょっとだったんだ!」
 兄弟は舌打ちした。

 今日はなんと、あのギー導師の部屋まで追いかけていったらしい。なんて恐ろしいことをするやつだろう。
 縁を切っても良いだろうか。
 いや切らせろ。

「このまえは、もうちょっとでキスできそうだったのに……」
 そこまで追い詰めたのか。
「そのまえは弟子だって人に足引っ掛けられてさ」
 弟子も師匠を不憫に思ったんだろう。
「もっとまえなんて、崖から海に飛び込んだんだぞ、あの人!」
 おまえの腕の中に飛び込むより良かったんだろうさ。

 別に、誰が誰を好きになろうが構わないが、その愚痴を聞かされる身にもなってみろと叫びたい。
 が、彼の膝には小さな少年が座って、お菓子をほおばっている。せめてあと一枚食べ終わるまで待とう。

「おい」
「うん?」
「俺の話、聞いてるか?」
「あぁ。惜しかったな」
「そう! 惜しかったんだ!」
「まったく。惜しいことをしたな」
 もう少しでギー導師が懲らしめてくれるところだったのに。手加減なんてせず、思いっきり徹底的にとことん容赦なくやっていただければ嬉しかったのに。
 なんならお手伝いしたのに!

 膝の上の少年が、最後のお菓子を食べ終えた。
「レン、手を洗ってきなさい」
 こくり、と少年はうなずいて、彼の膝から降りて部屋を出る。



「新しく拾ってきた子か?」
 少年を見送ってから口を開いた兄弟は、やっと相手以外の人間を視界に入れたらしい。
「あぁ。新しく“引き取って”きた子だ!」
「怒るなよ。何人目だ?」
「三三人目だ! 悪いか!」
「悪くないさ。がんばってるな」
「おまえも弟子の一人くらい取れ」
「イヤだ」
「なんで?」
「めんどー」
「……っ」
 首をしめようかと、彼は思った。千切れて取れるまで絞めつけてやりたい。

「ところで、さ。俺のことよりおまえは?」
「はぁあ?」
 彼は耳を疑った。
「おまえ確か、付き合ってたよな、誰かと」
「……っ!」

 彼は、弟子たちの頭で鍛え上げられたこぶしを振り上げた。





 筋骨逞しい魔導士がいる。
 一見、魔導士とは思えないほど逞しい肉体をしていた。
 さらにその魔導士は、毎日のように弟子たちの頭に拳骨を落としていたため、いつしか硬いこぶしができあがった。

 鍛え上げられたこぶしを恐れた弟子たちは、師匠を『拳のイグリス』と呼ぶようになった。

 本人的には『ステキなお師匠さま』と呼ばれたかったらしいが、誰一人として呼んではくれなかった。





 兄弟の頭は弟子たち以上に硬かった。
 だが彼の涙は別の意味が込められていた。
「おまえの妹と付き合って結婚してラブラブしてただろうが!!」

 こんな義兄とは縁を切ろうと、彼は真剣に思った。