誓いの言葉は口約束でしかない。
 けれどイルスたちにとっては強く快感の戒めだった。

 造られた体の妻との間に子どもはできない。それでもイルスたち二人は幸せな毎日を送った。
 時々ケンカをしては互いに老人に主張をぶつけ、笑って聞いてくれる老人に諭されて仲直りした。

 主たちの間にはやはり子はできず、周囲の期待などどこ吹く風、いつでも恋人のように仲むつまじい二人は目にまぶしい。
 レセリアナは歳を重ねるごとに人格にも姿にも深みが増し、その銀の髪は羨望を集め続けた。外見の変わらない主は表情が増えたような気がする。

 一日一日が貴重だった。
 一瞬一瞬が重要だった。

 イルスとイエラと、主とレセリアナと、二組の夫婦は互いの結晶は残さなかったが、その思いの深さは多くの民の心に書き込まれ、根付いた。

 ケンカの耐えない夫婦の仲を取り持つ老人が亡くなるときも。

 美しい宰相補佐が宰相となり、そのまぶたを永遠に閉じるときも。

 銀の帝妃が夫の腕の中で最期を迎えるときも。

 その瞬間は輝きに満ちていた。

 鏡はいつか曇り、鉄は錆びる。
 記憶は薄れ、時は遠ざかる。
 けれどその瞬間、確かに輝きがあったことを、黒衣の魔導士は胸に刻みつけた。



「素晴らしい絵ですね」
 後ろから声をかけられ、黒衣の魔導士は振り返る。
「フィー殿……」
 白い法衣を着た人は、初めて会ったときと変わらない笑みで黒衣の魔導士を見上げている。
「彼の姿がないのが残念ですが」
「陛下はどうしても、首を縦に振ってはくださいませんでしたので」
「でも、これはこれでおもしろいですよ」
「……そう、でしょうか」

 黒衣の魔導士が見上げていた絵画の隣には、愛らしい少女の姿が描かれた額が飾られている。少女は重たそうな錫状を手にし、小ぶりの王冠を頭上に載せている。……悲劇の女皇だ。
 その隣には種無し王と呼ばれた皇帝が、さらにその隣には卑屈王と呼ばれた皇帝が……すべて並んでいるのは歴代の皇帝。

 なのに黒衣の魔導士が眺めていた絵には聖皇帝の姿がない。
 それもそのはず、絵姿を嫌った聖皇帝は、気に入りの宰相を描かせたのだ。
 宰相は手に一輪の真紅のバラを持ち、その背後、開かれた窓の向こうには庭の椅子に腰掛ける老爺の姿。噂ではこの老爺が聖皇帝だと言われているが、定かではない。

 美しい宰相の姿は見ようによっては観賞に値するが、やはり皇帝の間にあっては浮いている。
 すでに帝政は廃止され、絵も増えることのなくなった部屋を訪れるものは少ない。だからこの部屋は静かで、落ち着く。歴史の重みが柔らかく包んでくれる。

「ダーナ家のお屋敷においていても、蜘蛛の巣が張るだけですよ」
 現ダーナ家の当主はほとんど屋敷を使わず、荒れ放題なのだ。今度、人をやって掃除させようかと黒衣の魔導士は考えていたくらいに。

「良い絵ですね」
 また、白の法衣の人が言った。
「フィー殿はそう思われますか?」
 もちろんですとも、と彼は微笑む。
「見てください、ハッサム殿。

 閣下と薔薇と干物爺が、楽しそうに描かれていますよ」




――完――