それからイルスが宮廷に戻ったのは十日後のことだった。
 申し訳ありません、と頭を下げようとしたところで止められた。

「おめでとう」
「は?」
 主は怒るどころか薄く微笑んでさえいた。その隣の宰相はじめ護衛の騎士と書記官が手を叩いて涙を浮かべている。
「教育係殿から聞いた。婚約したそうだな。
 急なことで大変だっただろう。家族へのあいさつはもう済んだのか?」

 ご機嫌な主。
 めったに見られないものにイルスは目を丸くした。



 イスルが老人の部屋から飛び出してすぐに、老人が手を打ってくれていたらしい。
 おかげで婚約のことも宮廷に出入りする者すべてが知ることになった。
 どうりで今朝から向けられる視線が殺気立っていたのか……。
 失恋した乙女たちほど怖いものはないことを経験上身をもって知っているイルスは、しばらく護衛を増やすことにした。



「急なこととはいえ、申し訳ありませんでした」
「よい。祝い事に目くじらを立てることもない」
 主の言葉にうんうん、と宰相がうなずく。
「式の日取りは決まったのか? 陛下とわたしは出席できないが、祝いの品は贈らせてもらうぞ」
「は……はぁ……」
「どうした?」
 イルスの気のない返事。
「実は……」

 そのあとの言葉がなかなか出てこない。
 こんなことを口にすれば、たとえイルスであろうと首を切り落とされかねない。
 だが、言わなければ家に帰ることもできない。家には恐ろしい婚約者が待っているから。
 言わずに帰ろうものなら問答無用で剣の鍔が鳴る。

 どちらが恐ろしいか考えた。
 主に首を切り落とされる。
 婚約者が家の前で立ちふさがっている。

 ……………………。
 ……………………。
 言おう。
 うちの婚約者は今、母よりも恐ろしい。
 最強に。



「陛下、お願いがございます」
「うん? なんだ?」
「…………」
「どうした?」
 あぁ、笑顔が眩しい。
 少しは励まされたイルスは、腹を割った。
「どうぞ、お願いです。



 結婚してください」