面倒臭がり屋というのはどこにでもいるものだ。
 こだわり過ぎて鬱陶しい人間というのもよくいる。
 わがままで手におえないやつなんて視界に入れたくもない。

 何の因果か、アストはそんなやつに捕まった。
 別に母に家出先をばらされそうになったからとか、それだけではないが、逃げるに逃げられない状況下にある。

 だって、相手は悪魔だから。
 イヤだといって逃げてもどこまでも追いかけられそうで怖い。



 面倒臭がり屋でこだわり過ぎる鬱陶しい我がまま坊っちゃんは、何を企んでか、アストに依頼をした。
『ジェロイ家が不正を繰り返して溜めこんだ財産の額』

 そんなことはお役人とか弁護士とかに頼めよといいたいが、調べていくうちにわかったことがある。
 表向き、ジェロイ氏は裕福で親切な富豪だ。町のお役人が口を揃えて、彼を褒め称える。
 弁護士の中には学生時代、やつに学費を援助してもらったことがある人間もいる。
 町の人間に聞いても、ジェロイ氏の悪口は出ない。ちょっと腹が出すぎてるというくらいだ。

 アストは唸った。
「どこらへんに貯めこんでるんだよ!」
「地下とか金庫などではないでしょうか」
「そのまえに、本当に不正してんのか?」
「それを調べるのがあなたのお仕事です」
「頭のほうはおまえが担当するって言っただろ?」
「言っただけです」
 なに、とアストは固まる。

 ふふん、と悪魔は笑った。
「言っただけで、本当にやるかはわかりませんよ」
「…………………………………………」
 ぎりぎりと、自分の歯軋りの音が聞こえた。



 自称二一歳の悪魔は、名前をレアフという。
 一見、かわいらしい面立ちの人間だ。礼儀正しく、親切で、いつも笑顔が絶えない。

 しかしアストは知っている。
 やつの腹の中はタコの墨より真っ黒であることを。
 人間の皮をかぶっているが、一枚剥ぎ取ればきっと悪魔が飛び出してくるだろう。



「依頼書をよく見てください。ジェロイ氏、とは書かれていません。ジェロイ家とあります。
 ご当主ではなく、ほかの親族を調べてみましょう」
「兄弟は?」
「妹さんが四人」
「子どもは?」
「息子さんが三人と、娘さんが八人」
 がんばったな、お父さん。嫁入り先を探すのはさぞ大変だろう。

「現在、いっしょに暮らしているのは二人の息子さんと、三人の娘さんです。
 ほかの方は結婚されて、ほかに家庭があるようです。家名がジェロイではないので、その方たちは省いてよいと思います」
 悪魔の手元には何の書類もない。頭で覚えているらしい。

「嫁さんは?」
「先年、亡くなっています。
 乗馬の最中に落馬して、打ち所が悪かったようです。事件の三日後に息を引き取られました」

 アストは眉を寄せた。
「事件? 事故じゃなく?」
「お付きの者が殺されていました。犯人は捕まっていません。
 地元の自警団始め、国からも調査隊が出されましたが、何の手がかりも見つからなかったそうです」

「…………。第一発見者は?」
「末の娘さんです。
 帰りが遅いので、ご長男と一緒に探しに行ったそうです。
 奥方は川のそばで、お付きの者四人は、川から少し森に入り込んだあたりで斬り殺されていました」
「……付き人は男か?」
「一人は女性です」
「付き人は最初から四人か?」
「五人です。
 一人は下流で発見されました。こちらも斬り傷がありましたので、逃げる際に川に落ちたものと思われます」

「荷物は?」
「金目のものはあらかたなくなっていました。
 ただ……」
「ただ?」
 悪魔が手をあごに添え、宙を睨んだ。
「奥方の結婚指輪が残っていました」

 アストはため息をついた。
「そんなもん、名前が彫られてるに決まってるだろ。一発でバレる」
「そのまま売らなくても、溶かして金塊にしてしまえばいい。事実、お付きの者で、既婚者の結婚指輪はすべてなくなっていました」
「…………。わざと、か?」
 悪魔がうなずいた。
「あるいは、盗れなかった」
「なんで?」
「ためらったから」
「なんで?」
「奥方をよく知るものであれば、奥方が結婚指輪をとても大事にしていたのを知っているでしょう。命も取って、大切な結婚指輪までも取り上げることができなかった……とか」

 悪魔の視線が窓の外に向いた。

 満月だ。
 黄色い月が空に浮かんでいる。そのあまりの明るさに星が見えない。
 ランプもつけない部屋を照らす月光に、悪魔の滑らかな頬が照らされる。薄曇りの空色の瞳が細くなる。



「レアフ?」
 アストの呼び声に、悪魔が振り返った。
 金を梳いたような髪がさらりと揺れる。
「………………」
「……どうした?」

 悪魔がふっと笑う。
 ドキリと、した。

「初めてですね」
「は?」
「僕の名前、初めて呼んでくれました」
「あ………………あぁ、なんだ。そうだっけ」

 泣いているような気がしたから、つい、口を出ただけだ。
 名前なんて呼ぼうが呼ぶまいが意識していなかったし、おい、おまえ、で済んでいた。
 たかが名前を呼んだだけで、こんなに喜ばれるとは思いもしなかった。

「よかった」
「なんだよ」
「僕ばかりアストと呼んでいて、不安だったんです」
「何が?」
「もしかして…………」
「な、なんだよ」
「もしかしてあなたは、僕が『あなた』と呼ぶので、僕の夫になったつもりなのかと思いました」

「…………………………………………………………は?」

 今、不思議な単語が出てきた。
 夫って、なに?
 誰が何の夫だと?

「だってほら、夫婦でいうと奥さんは旦那さんを『あなた』って呼んで、旦那さんは奥さんのことを『おまえ』と呼ぶでしょう?
 アストもそんな気になって、僕のことを『おまえ』としか呼ばないのかと、心配しちゃいました」

 なんて余計な心配だ!

「アホか!」
「照れなくてもいいんですよ」
「照れてない!」
「だってホラ、顔、赤いですよ」
「怒ってんだ!」
「図星で?」
「ちがう!」

 隣の壁がドンドンと鳴って、「うるせー!」と隣人が叫んだ。
 そうだ。ここは宿の一室だった。

「アスト、離れているからといって、婚約者のいる身で浮気はいけませんよ」
「してない!」
「え?」
「あ」
 してました。別の女と付き合ってました。

「ウソはいけませんね」
「……っ」
 殴って良いだろうか。



 この悪魔が泣くかもしれないなんて。
 そんなことあるわけがない。

 心配して損した。