一つ目の国境を越えてすぐのことだった。
「盗賊?」
 アストは耳を疑った。

 ここは田舎だ。
 街道とは名ばかりの石畳の続く道の所々に村が転々とするだけの、静かで朴訥とした地方だ。
 金持ちといっても村長くらいで、その村長だって家が二階建てくらいの農民だ。
 そんな田舎の村に押しかけて、何が盗れるというのだろう。



「お気の毒に……」
 え、とアストは驚いて横を見た。
 横を歩いている少年の姿をした悪魔は、悲しそうな顔をしていた。それを見た村の女が頬を染める。

 女は、分かれ道からひょこりと現れ、大荷物を抱えてふー、ふーと息を荒くしていた。
 今はその荷物の大半をアストが持たされている。けっして進んで持ったわけではない。
 悪魔に囁かれたのだ。

「あなたのお母さまも、大きくなったあなたをああやって抱えていたのかもしれませんね」
 荷物を持ってやれと言わんばかりの笑顔だった。



 待ておばはん、そいつは悪魔だ、と忠告してやりたいのをアストは押さえた。
 あとで恐ろしい目にあうから。

 たとえば、家出した息子の消息を母に知らせようとしたり、それをネタに息子に無理やり嫌な仕事を受けさせたり、常にそれをちらつかせていじったり、人のパンとって食ったり……散々だ。



「それで、どれくらいの被害が?」
「あぁ、そりゃやっぱり、村長さんとこさ。牛が八頭も盗られちまった」
 そうだ、牛とか馬とか鶏とか大根とか靴下とか、盗れるものはそれくらいだろう。
「あと、娘さんがね……」
「え?」
 それは盗りすぎだろう、とさすがにアストも思った。

「家出したらしいよ」
「………………」
 便乗家出かよ。
 心配して損した。

「あとね」
 まだあるのかよ。
「奥さんが……」
「村長の嫁さんが……?」
「腰痛が取れたって」
 いいもん盗られてんじゃねぇか。

 アストは大したことはないと思って女の話をスルーしていたが、なぜか隣のやつが俯いた。
「? おい」

「お気の毒に……」
 待て! どこがだ!
 アストは声には出さずやつを睨んだ。

 やつは笑顔で見返してきた。
「……!」
 怖すぎる。

「アスト、村長さんにごあいさつに行きましょう」
「は?」
「一度に不幸なことが起こって、きっと気を落とされていることでしょう」
「え?」
「僕たちには何もできませんが、せめて励ましてあげましょう」
「………………………………」

 なんで? と言いたいのに声も出なかった。
 なぜならば、悪魔が目の前で微笑んでいるから。

「ね、アスト」
「………………………………」
「あなたも、離れて暮らすお母さまに不幸が重なったら、何を置いてでも駆けつけるでしょう?」
「!」

 アストは呆然とした。
 こんな田舎の泥道で大荷物を持たされて悪魔に脅されるなんて夢にも思わなかった。



 村に到着すると、女は礼を言って大荷物を抱えていた。
 アストは引きずられるようにして村長宅に着いた。

 村長は、腰痛の治った嫁さんと手をつないで出迎えてくれて、今朝方娘が帰ってきたと、犬を見せてくれた。
 娘って、犬かよ!

「よかったですね!」
 悪魔は大喜びしやがった。

 親切なんてしてられっか!