コーヒーショップでお気に入りのカフェ・オ・レを飲もうとしたら、キリンさんがいた。

 キリンさんが好きだけどゾウさんがもっと好き、なんて言ったけどやっぱり無理、て感じ。
 キリンさん入りカフェ・オ・レはいただけない。ゾウさんなんて考えられない。
 煮ても焼いても揚げてもダメ。

「お…………」
「お?」
「……おはよう、ございます」
 キリンさんはぷるぷる震えながらか細い声で言った。
 猫舌用に冷まされてるからって、夏にホットカフェ・オ・レに入ればそりゃ暑かろう。煮えたぎるだろう。
 煮込みキリン(カフェ・オ・レ味)なんて食べられない。ってか食べない。

「どしたの、そんなところで?」
「も……」
「も?」
「もう、ちょっとだけ……」
 カフェ・オ・レ風呂に入っていたいのか。
 そうか。そうなのか。風呂は熱めが好きなのね。

 だからってこのままじゃいつまで経っても飲めないから、手をあげておかわりを所望しようとした。
 キリンさんが止めた。

「ま……待って」
「何?」
「もう少しだけ……あと一日だけ」
 あと一日もそこにいる気かキリンさん。

「変わるかもしれない」
「……何が?」
「変わらないかもしれない」
「だから何が?」

 いい加減にしてほしい。
 待てって何をさ。
 カフェ・オ・レを追加すること?
 仕事辞めちゃうこと?
 実家に帰って引き籠もろうとしたこと?

 それともアレか?
 産むなって?
 産んでも認知してくれる男がいないから止めろって?
 実家帰ってもプー兄貴に笑われるだけだって?
 仕事辞めて実家帰って子供産んで、育児ノイローゼになって鬱って世間が狭くなるだけだって?

 そんなことわかってるよ。
 子供降ろして男と寄り戻して結婚して寿退社が一番いいよ。

「でもそんなことできないよ」
 お腹に手をあてて見る。
 膨らみなんてまだない。
 でもそこに何かいるって言われたら、無理できない。叩いたり恨んだりできない。
 だってこの子はまだ知らない。光も悲しみも喜びも、恋も失恋も夜も月も太陽も知らない。
 きっと自分が生きていることすらまだ知らない。

「できないよ……」
「だから、待って」
「え?」
「あと一日。悲しくっても待って」
「……なんで?」
「変わるかもしれない。変わらないかもしれない
 まだわからないなら、もうちょっとだけ待って」

 キリンさんはつぶらな瞳を潤ませ、長いまつげを振るわせながら訴える。
「もういいやなんて、言わないで」

 キリンさんの目から涙かこぼれてカフェ・オ・レに落ちた。
 ぽちゃん

 キリンさんがつぶらな瞳を閉じると湯気みたいに消えた。
 ふわん……―――





 結局、気を削がれて退社しこねた翌日の夕方。
「サチ……」
 呼ばれて振り返れば、元カレがロビーの植木鉢の足下に屈んでいた。
 相変わらず謎なやつ。

「何?」
 不機嫌に応えれば、元カレが手を振って「こっち来い」と呼ぶ。
 面倒臭いけど目立ちたくないので近寄ると、元カレは立ち上がってポケットから何やら取り出した。

「……これ」
「何これ?」
 不機嫌に聞くと、元カレは小さな包みを急いで破き、出てきたケースを開いて見せた。

「けっ…………」
 舌噛みやがった。
 だから三枚目なんだよ。

「けっ、けっこんしよう、サチ」
 顔を真っ赤にして元カレは言った。



「お……親父の跡、継ぐことにした。だから仕事辞めたけど、サ、サチとわかれるなんて、い、言ってない。
 し、知らなくて、悪かった。おまえが、に……妊娠してるなんて、知らなくて、悪かった」
「…………。
 誰から聞いたの?」
「き…………」

 元カレの顔がさらに赤くなって、こめかみから汗が流れた。
「キリンさんに……聞いた」
「は?」
「ごっ、ごめん」
 多分、元カレは自分がおかしなことを言って怒らせたと思ったのだろう。
 ところがどっこい。
 昨日のことを思い出して驚いただけ。

 元カレは顔中汗まみれにして、振るえる手からケースごと指輪が落ちそうだった。

 けっして。
 プロポーズがうれしかったとか、置いていかれたわけじゃなかったことがわかったからだとかいう理由では、けっしてない。

 小指の爪くらいしかないダイヤがおまえの三か月分の給料かと哀れに思ったし。
 それが落ちて傷でもついたら大変だし。
 落ちた拍子に飛んでいってなくなったら勿体ない。
 そう、思っただけ。



 左手を差し出して見せたときの元カレの顔がマヌケで面白かった。
 左手の薬指にダイヤの指輪が通されたときの婚約者の目は、告白されたときを思い出させた。





 子どもとは不思議なもので、よいしょこらしょ言ってるうちに大きくなって、ひっひっふーもうダメ無理いやーひっひっふーと言ってるうちに出てくる。
 子どもとは不思議なもので、産まれて来る先を選ぶらしい。

 十月十日で産まれた赤ちゃんのお尻に痣があった。
 なんとなくそれは、首と足の長い斑の動物のシルエットに似ていた。

「命名、キリン子!」
 ぴったりだと思ったのに、旦那は反対しやがった。