「師よ、これはなんですか?」
アルパスは、目の前に置かれた立派な絵姿を指差して尋ねた。
派遣先の先輩は引退間近。その前に引継ぎを済ませてしまわなければならない、忙しい時期にあるアルパス。
それをわかっているはずの師匠に呼び出された。
わかっていて呼び出すほどのことだろうと、アルパスは疲れた体を引きずって、師匠の住まう本部の寮にやってきた。
弟子を持つ身なのだから、いいかげん寮を出て『師』クラスに用意された棟に移れば良いものを、とアルパスは到着そうそう溜め息をついた。
棟の庭には移動魔法用の出着場所があるからいい。寮にはなく、少し離れた演習場を利用しなければならない。
誰もいないときはいいが、今日のように到着した途端、物珍しげにみられることが多い。好奇心旺盛な年頃の子どもは遠慮がない。
懐かしい寮内を歩き、上位者の階まで来ると人気はなくなり、物珍しげな視線もなくなる。
修業生時代から見られることは多かったが、いつになっても慣れない。
師匠とはちょうど扉のまえで会った。勤務が少し長引いたらしい。
師匠は呼び出したことを詫びながらアルパスを部屋に招き入れ、汗で体に張り付いた法衣と上着を脱いだ。
アルパスは慣れたもので、師匠が脱ぎ散らかして行く衣類を拾って集める。
大きな体同様に大きな手が、不器用にお茶を淹れてくれる。
下位の者であろうと来客を持てなすのは、師匠のさらに師匠からの教育で、アルパスたちにも受け継がれている。
たとえ不味かろうと、アルパスはお茶を一口飲む。
……やはり不味い。
そしておもむろに出された絵姿に、アルパスは目を丸くしたのだ。
今の専任に就いて二年目。
さすがにアルパスも、この仕事は専従同然だとわかった。
国主の補佐として、また護衛としての忙しい毎日。相棒は情報収集のために一定の場所に居着かない。
そこにきて、他の任務は受けられない。
アルパスは断ろうと口を開いた。
「今は精一杯です」
「わかっている。ただ、早めに知らせておきたかった」
「急ぎではないのですか?」
「気長に待たれるそうだ。
顔だけでも覚えておけ。会うかもしれない」
「近隣の方ですか?」
「北の公国だ」
「そうですか」
内容はまだ聞かずにおこうと思った。
今の務めを全うするためにも、他のことに気を取られたくない。
ただ、気掛かりなことがある。
「師匠。わたしは今までは補佐でしたが、これからは先頭を切らせていただきます。
ですが、このお話ですと、わたしはこのまま補佐を務めるべきではないでしょうか。二・三年でまた交替するのは、お互いにとって良いとは思えません」
師匠は溜め息をついた。
「オレも思ったさ。けど、相手がぜひおまえをと言って来たんだ。話だけでも通しておくべきだろう」
「……お断りしても良いんですか?」
師匠はうなずいた。
「うちも今、おまえに抜けられると痛いからな」
若い後継者を育てろと上から突っ突かれた師匠が最初に目を止めたのはアルパスだった。
師匠の門下にはアルパス以上に優秀な弟子はいる。だが「若い」という条件がつけば、かなり限定される。
若くして中位魔導士の位を得るにはそれだけの素質と環境がいる。
魔導士を父に持ち、幼いころから恵まれた環境にあったアルパスにとって、遊びの延長上に魔導士という地位があった。
特にやりたいこともなかったアルパスが、魔導士への道を選んだのは軽い気持ちでしかなかった。
遊びがいつか仕事になり、目標はないが順調な人生であれば良いと思っていた。
周囲は、根が真面目なだけのアルパスはいつか師匠を超えるだろうと期待する。アルパスの本質を知らないまま放置する。
いつかそれは大事になるだろう。
師匠だけでなく、アルパスの表面を知る人たちを驚かせるだろう。悲しませるかもしれない。
そして相棒は……怒るだろうか?
呆れるだろうか?
今、本心をさらけ出す時ではないことをアルパスもわかっている。
だがこうやって自分の名前が広まるにつれ、不安になる。いつか、どこかで知られはしないかと。
それも、一番最悪な形で。
「……か?」
「え?」
「断るか? 気が進まないのに、相手を待たせるわけにはいかんだろう」
師匠の言葉にアルパスはうなずいた。
「ほかに適任の方がいたら、回していただけると助かります」
師匠は笑った。
「アルパス。心配しなくても、この人への縁談は絶えんさ」
「…………えんだん?」
アルパスの声が半音あがった。
「縁談って、なんのことですか?」
次に師匠が「はぁあ?」と声をあげる。
「………………」
「………………」
お互い見つめあって数分。
アルパスが口を開いた。
「任務の、お話ではないんですか?」
呆れた表情の師匠は溜め息とともに言う。
「アルパス。これはお前への、
見会い話だ」
「……え」
「…………」
「……………………」
「………………………………」
再び降りた沈黙は、長く破られずにいた。
ムダに悩んで損した……。
アルパスは、目の前に置かれた立派な絵姿を指差して尋ねた。
派遣先の先輩は引退間近。その前に引継ぎを済ませてしまわなければならない、忙しい時期にあるアルパス。
それをわかっているはずの師匠に呼び出された。
わかっていて呼び出すほどのことだろうと、アルパスは疲れた体を引きずって、師匠の住まう本部の寮にやってきた。
弟子を持つ身なのだから、いいかげん寮を出て『師』クラスに用意された棟に移れば良いものを、とアルパスは到着そうそう溜め息をついた。
棟の庭には移動魔法用の出着場所があるからいい。寮にはなく、少し離れた演習場を利用しなければならない。
誰もいないときはいいが、今日のように到着した途端、物珍しげにみられることが多い。好奇心旺盛な年頃の子どもは遠慮がない。
懐かしい寮内を歩き、上位者の階まで来ると人気はなくなり、物珍しげな視線もなくなる。
修業生時代から見られることは多かったが、いつになっても慣れない。
師匠とはちょうど扉のまえで会った。勤務が少し長引いたらしい。
師匠は呼び出したことを詫びながらアルパスを部屋に招き入れ、汗で体に張り付いた法衣と上着を脱いだ。
アルパスは慣れたもので、師匠が脱ぎ散らかして行く衣類を拾って集める。
大きな体同様に大きな手が、不器用にお茶を淹れてくれる。
下位の者であろうと来客を持てなすのは、師匠のさらに師匠からの教育で、アルパスたちにも受け継がれている。
たとえ不味かろうと、アルパスはお茶を一口飲む。
……やはり不味い。
そしておもむろに出された絵姿に、アルパスは目を丸くしたのだ。
今の専任に就いて二年目。
さすがにアルパスも、この仕事は専従同然だとわかった。
国主の補佐として、また護衛としての忙しい毎日。相棒は情報収集のために一定の場所に居着かない。
そこにきて、他の任務は受けられない。
アルパスは断ろうと口を開いた。
「今は精一杯です」
「わかっている。ただ、早めに知らせておきたかった」
「急ぎではないのですか?」
「気長に待たれるそうだ。
顔だけでも覚えておけ。会うかもしれない」
「近隣の方ですか?」
「北の公国だ」
「そうですか」
内容はまだ聞かずにおこうと思った。
今の務めを全うするためにも、他のことに気を取られたくない。
ただ、気掛かりなことがある。
「師匠。わたしは今までは補佐でしたが、これからは先頭を切らせていただきます。
ですが、このお話ですと、わたしはこのまま補佐を務めるべきではないでしょうか。二・三年でまた交替するのは、お互いにとって良いとは思えません」
師匠は溜め息をついた。
「オレも思ったさ。けど、相手がぜひおまえをと言って来たんだ。話だけでも通しておくべきだろう」
「……お断りしても良いんですか?」
師匠はうなずいた。
「うちも今、おまえに抜けられると痛いからな」
若い後継者を育てろと上から突っ突かれた師匠が最初に目を止めたのはアルパスだった。
師匠の門下にはアルパス以上に優秀な弟子はいる。だが「若い」という条件がつけば、かなり限定される。
若くして中位魔導士の位を得るにはそれだけの素質と環境がいる。
魔導士を父に持ち、幼いころから恵まれた環境にあったアルパスにとって、遊びの延長上に魔導士という地位があった。
特にやりたいこともなかったアルパスが、魔導士への道を選んだのは軽い気持ちでしかなかった。
遊びがいつか仕事になり、目標はないが順調な人生であれば良いと思っていた。
周囲は、根が真面目なだけのアルパスはいつか師匠を超えるだろうと期待する。アルパスの本質を知らないまま放置する。
いつかそれは大事になるだろう。
師匠だけでなく、アルパスの表面を知る人たちを驚かせるだろう。悲しませるかもしれない。
そして相棒は……怒るだろうか?
呆れるだろうか?
今、本心をさらけ出す時ではないことをアルパスもわかっている。
だがこうやって自分の名前が広まるにつれ、不安になる。いつか、どこかで知られはしないかと。
それも、一番最悪な形で。
「……か?」
「え?」
「断るか? 気が進まないのに、相手を待たせるわけにはいかんだろう」
師匠の言葉にアルパスはうなずいた。
「ほかに適任の方がいたら、回していただけると助かります」
師匠は笑った。
「アルパス。心配しなくても、この人への縁談は絶えんさ」
「…………えんだん?」
アルパスの声が半音あがった。
「縁談って、なんのことですか?」
次に師匠が「はぁあ?」と声をあげる。
「………………」
「………………」
お互い見つめあって数分。
アルパスが口を開いた。
「任務の、お話ではないんですか?」
呆れた表情の師匠は溜め息とともに言う。
「アルパス。これはお前への、
見会い話だ」
「……え」
「…………」
「……………………」
「………………………………」
再び降りた沈黙は、長く破られずにいた。
ムダに悩んで損した……。