オレは今、人生を諦めようかやり直そうか考えていた。
初めて任された企画がコケて、彼女に二股されていたことが発覚し、アパートの鍵を会社に忘れてきてしまった。
アパートの近くの河原でたそがれてみたが虚しいだけで、財布に二百円しかはいっていないことに気付いて泣きたくなった。
友人Aは旅行中で、友人Bは足が臭いし、友人Cはハゲてるし……使えないやつらだ。
最後の手段も考えたが、どうしても踏み切れない。
それはまだ使いたくない。
使うには恥ずかしすぎる。
ぐ~きゅるるぅ
なんて正直なんだマイ胃袋。
コンビニでパンでも買ってやるよ。
よっこらしょと腰をあげ、コンビニへ向かう。
一度角を曲がる。少し遠回りしようともう一回曲が……犬がいた。
諦めよう……。
道を変えようと回れ右。
「………………」
「………………」
「………………」
「……なにしてんの、あんたは」
「お、お母さん……」
買い物袋から大根とゴボウを覗かせた母が立ちふさがっていた。
相変わらず五百円サンダルかよ。
「サカイさん家の犬はおとなしいから大丈夫よ」
おとなしかろうが犬には変わりない。
ぐ
「あ」
「ぐ?」
ぐぅうきゅるるぅ
腹のやつ、よけいなところで切なく泣きやがった!
「あんた、晩ご飯まだなの? 家で食べてきなさい」
「いや、いいよ」
「どうして?」
「いいから」
「なんでよ。お腹へってるんでしょ?
食べてきなさいよ」
「でも……」
「何よ?」
「あの……」
「何よって?」
「………………」
母は無邪気な顔でオレを見上げる。
オレの記憶の限り昔から。
オレを見下ろしていた時からオレを見る目は変わらない。
小太りで背が低くて、オレよりデカい太もも。
底のない胃袋。
最強の武器にもなるキューピーちゃんみたいな手。
頬の隠しきれていないソバカス。
横髪の……白髪。
いつから黒髪に紛れ込んだのか。
オレはちっとも覚えていないのに、オレのあごにヒゲが生え出したときを覚えている母。
キューピーちゃんみたいな手だなんて嘘だ。
買い物袋を持つ手にはシワがある。
いつ、母を見下ろしていると気付いただろう。
いつ、母の手のシワに気付いただろう。
いつ、恥ずかしいと思ったのだろう。
両親の家に帰ることを。
生まれたときから一緒に暮らしていた。
それが当たり前のことなのに、なぜ恥ずかしいなんて思ったのだろう。
何が恥ずかしいことなんだろう。
この人が自分の親だと言う事実は変わらないのに。
昨日も今日も明後日だって、この人はオレのお母さんなのに。
恥ずかしいなんて。
そんなこと全然ない。
この人はオレの、
「お母さん」
「何よ」
「お母さん」
「なぁに?」
「お母さん……」
「なぁによ、もう」
目尻のシワを深くして笑う母。
お母さん、お母さんと馬鹿みたいに繰り返すオレを、蔑みもせず呆れもせず、怒りもせずただ笑って愛してくれる。
今日も明日も十年後も。
この人は、遠回りばかりして現実をみないオレの前に立ちふさがってくれる。
大丈夫よと言ってくれる。
「お母さん」
「なぁにってばもう、ヘンな子ねぇ」
「お母さん。
オレもちゃんと、愛してます。
今日の明日と百年後の明日も、愛してます」
母は目を丸くして驚き、言葉もなかったようだ。
でもすぐに笑顔になって、高いところにあるオレの頭をなでようとする。
するっ……
オレのひたいから胸元まで、母の手がすり抜けた。
「…………」
母はしげしげと自分の手を見て、困ったように笑った。
「いやだ、お母さんたら……」
母は最後まで自分をお母さんと呼び、オレの母で居続けた。
「ごめんね、サトちゃん」
オレはまぶたを固く閉じて首を横に振った。
目を開けていられなかった。
涙が流れそうで、母を見ることもできなかった。
ごめんね、ごめんね、と母が言う。
声は次第に遠ざかる。
堪えきれずにまぶたを開くと、遥か上空で母はママチャリに乗っていて、オレに手を振り、天上へと消えた。
ガラガラ、と窓が開く。
長いこと空き家だったから、家中が湿っぽい。
窓という窓を開け、実家に半年振りの呼吸をさせる。
二階からの眺めは良好だ。
懐かしい景色に気が安らぐ。
もう一度、やり直してみよう。この家で。
もう二度と両親とは住めないけれど、もう一度、この家に家族を抱かせよう。
オレはもう一度、人生をやり直すと決めた。
初めて任された企画がコケて、彼女に二股されていたことが発覚し、アパートの鍵を会社に忘れてきてしまった。
アパートの近くの河原でたそがれてみたが虚しいだけで、財布に二百円しかはいっていないことに気付いて泣きたくなった。
友人Aは旅行中で、友人Bは足が臭いし、友人Cはハゲてるし……使えないやつらだ。
最後の手段も考えたが、どうしても踏み切れない。
それはまだ使いたくない。
使うには恥ずかしすぎる。
ぐ~きゅるるぅ
なんて正直なんだマイ胃袋。
コンビニでパンでも買ってやるよ。
よっこらしょと腰をあげ、コンビニへ向かう。
一度角を曲がる。少し遠回りしようともう一回曲が……犬がいた。
諦めよう……。
道を変えようと回れ右。
「………………」
「………………」
「………………」
「……なにしてんの、あんたは」
「お、お母さん……」
買い物袋から大根とゴボウを覗かせた母が立ちふさがっていた。
相変わらず五百円サンダルかよ。
「サカイさん家の犬はおとなしいから大丈夫よ」
おとなしかろうが犬には変わりない。
ぐ
「あ」
「ぐ?」
ぐぅうきゅるるぅ
腹のやつ、よけいなところで切なく泣きやがった!
「あんた、晩ご飯まだなの? 家で食べてきなさい」
「いや、いいよ」
「どうして?」
「いいから」
「なんでよ。お腹へってるんでしょ?
食べてきなさいよ」
「でも……」
「何よ?」
「あの……」
「何よって?」
「………………」
母は無邪気な顔でオレを見上げる。
オレの記憶の限り昔から。
オレを見下ろしていた時からオレを見る目は変わらない。
小太りで背が低くて、オレよりデカい太もも。
底のない胃袋。
最強の武器にもなるキューピーちゃんみたいな手。
頬の隠しきれていないソバカス。
横髪の……白髪。
いつから黒髪に紛れ込んだのか。
オレはちっとも覚えていないのに、オレのあごにヒゲが生え出したときを覚えている母。
キューピーちゃんみたいな手だなんて嘘だ。
買い物袋を持つ手にはシワがある。
いつ、母を見下ろしていると気付いただろう。
いつ、母の手のシワに気付いただろう。
いつ、恥ずかしいと思ったのだろう。
両親の家に帰ることを。
生まれたときから一緒に暮らしていた。
それが当たり前のことなのに、なぜ恥ずかしいなんて思ったのだろう。
何が恥ずかしいことなんだろう。
この人が自分の親だと言う事実は変わらないのに。
昨日も今日も明後日だって、この人はオレのお母さんなのに。
恥ずかしいなんて。
そんなこと全然ない。
この人はオレの、
「お母さん」
「何よ」
「お母さん」
「なぁに?」
「お母さん……」
「なぁによ、もう」
目尻のシワを深くして笑う母。
お母さん、お母さんと馬鹿みたいに繰り返すオレを、蔑みもせず呆れもせず、怒りもせずただ笑って愛してくれる。
今日も明日も十年後も。
この人は、遠回りばかりして現実をみないオレの前に立ちふさがってくれる。
大丈夫よと言ってくれる。
「お母さん」
「なぁにってばもう、ヘンな子ねぇ」
「お母さん。
オレもちゃんと、愛してます。
今日の明日と百年後の明日も、愛してます」
母は目を丸くして驚き、言葉もなかったようだ。
でもすぐに笑顔になって、高いところにあるオレの頭をなでようとする。
するっ……
オレのひたいから胸元まで、母の手がすり抜けた。
「…………」
母はしげしげと自分の手を見て、困ったように笑った。
「いやだ、お母さんたら……」
母は最後まで自分をお母さんと呼び、オレの母で居続けた。
「ごめんね、サトちゃん」
オレはまぶたを固く閉じて首を横に振った。
目を開けていられなかった。
涙が流れそうで、母を見ることもできなかった。
ごめんね、ごめんね、と母が言う。
声は次第に遠ざかる。
堪えきれずにまぶたを開くと、遥か上空で母はママチャリに乗っていて、オレに手を振り、天上へと消えた。
ガラガラ、と窓が開く。
長いこと空き家だったから、家中が湿っぽい。
窓という窓を開け、実家に半年振りの呼吸をさせる。
二階からの眺めは良好だ。
懐かしい景色に気が安らぐ。
もう一度、やり直してみよう。この家で。
もう二度と両親とは住めないけれど、もう一度、この家に家族を抱かせよう。
オレはもう一度、人生をやり直すと決めた。