「まだ、信じられないんです。兄がもう……兄に、会わずにいられるなんて」
「寂しいのか?」
「……いいえ。まだ実感できないんです。

 聖女様が亡くなってからは、ずっと兄の言葉がすべてでしたから。
 右を向くも、左を向くも。人前にでるときの服も。
 会う人も。行ける場所も、行く場所も。
 ……笑い方も。

 だから、まるで、糸を切られた操り人形のようです」


 イルスはレセリアナの隣に立ち、いっしょに窓の外を眺めた。
「おまえはもう自由だ。好きにしてもいいんだ」
「何をして良いのか、わかりません」

「何か、やってみたいと思ったことはないのか?」
「……いつも、兄を怒らせないようにと考えるばかりでした」
「その前は?」

「え?」
 レセリアナは深い色の瞳でイスルを見上げる。

「兄君に会う前は、どんな夢があった?
 何かやりたいことはなかったのか? 欲しいものは?」
「ゆめ……」
 夜空の星のなかから探すように、レセリアナは視線を巡らせた。

 大きな星、白い星、赤い星、小さな星……。
 冴え冴えとした月のもと、星々はそれぞれの光を放つ。

 月の制する夜空の世界は、人の数ほど、もしかするとそれ以上の星がある。
 ひとつとて同じものはない。
 まるで人のように。


「父に……会いたい、と、思ったことがあります。

 母から何度も聞かされるばかりで、父とは会ったことはありません。
 亡くなったときも、母の元へすら、葬儀の翌日に連絡が来ました。


 母とわたしは、ときおり現れる父を待って、ただただ毎日を送るだけでしたから。
 お出でのときはいつも夜で、わたしは眠っていました。

 字を習うようになると、枕もとに手紙が届くようになりました。
 最初の手紙を覚えています。
 おはようって、ただそれだけ書いてあるんです。

 わたしは……わたしも、何度も手紙を書きました。
 父とはいっても話したことも、会ったこともありません。
 父に対して何を書いていいのかわからなかったので、毎日起こったことを、日記のようにしたためました。

 何通も何通も書いて、枕もとにおいて。
 何通も何通も貯まって……ある日ふと、一通の手紙に替わっていました。

 父からの手紙に、替わっていました。

 返事の手紙を書いて、また日記のような手紙を何通も書いて、枕もとに何通も貯まっていって、また一通の手紙に替わって……。


 会いたいと、は、一度も、書けませんでした」