昔。
 人間たちが住む地上から神々が去る間際、樹上の女神は一枝を人間に与えました。

 女神は言いました。
『この枝を持った子が生きている間、人間の世界は長い平穏に包まれるだろう』


 最初に枝は、人間の赤ん坊の肩に生えて現れました。

 二度目の枝は人間の赤ん坊のお尻の少し上に。

 そして三度目には、ヤタナと名付けられる人間の赤ん坊の額に現れました。



 枝を持って産まれた子どもは神の子として神殿に迎えられます。

 なぜなら。
 枝を持って産まれた子どもは神子であり、父や母のものであるはずがないからです。


 神子のヤタナは父親が現われても父とは呼ばない。
 母親が近付いても抱擁をせがまない。

 それはヤタナが優れているからだとか尊いものだからとかではなく。

 ヤタナは自分に平伏している男が父親だとは知らないし、両手を差し出し恵みをせがんでいるのが母親だとは知らない。

 ただそれだけ。

 単純な答え。


 何人足りとも神子に触れてはならない。

 だから誰もヤタナに触れようとしない。

「何してんの?」
「撫で撫でしてんの」

 ヤタナの角はわたしのお気に入り。
 神子の証しである角を撫でるのがわたしの趣味。


「飽きない?」
「全然」

 ヤタナの悩みはわたしに角を撫でられること。
 見つかれば極刑ものの行為をわたしが恐れないこと。


 唯一の話し相手を失いはしないかと、神子は不安な顔する。



 ヤタナの角はわたしのお気に入り。

 でも。
 ヤタナの困った顔がもっと好き。



 と言ったら、ヤタナはもっと困った顔をしてくれるだろうか。