妖怪のカワダさんの服は黒いワンピース。

 出会った頃は毎朝道路が凍るような厳寒続きだった。
 でも妖怪のカワダさんは黒いワンピース一枚きりで、缶珈琲を握り締めていた。



 黒いワンピースのカワダさんは噴水を背に、真剣な表情で前を睨んでいた。

 何を見ているのか気になったマルタは、ランドセルに座って同じ方向を眺めた。



 黒いワンピースのカワダさんは、ノースリーブの腕に鳥肌ひとつない。

 マルタのかじかんだ手は出掛けに母が渡してくれた缶のコーンポタージュにしがみついている。
 約束の二時間後には冷えきってしまうだろう。

 マルタと共に。



 黒いワンピースのカワダさんは瞬きもしなかった。
 じっとしていると寒さに飲み込まれそうで、マルタは何度か噴水の周りを走った。



 黒いワンピースのカワダさんがマルタに話しかけたのは、マルタが噴水を二八週したときだった。
 いや。別に話しかけたつもりはなく、おかしな子どもがいるなと思ったらしい。



 黒いワンピースのカワダさんは、何をしているのかとマルタに尋ねた。
 マルタはカワダさんが何を見ているのか知りたいのだと答えた。



 黒いワンピースのカワダさんは、死んだ恋人を待っていた。
 顔を見せたらまず手にしている缶珈琲を頭に投げ付けてやるんだと言った。





 約束の時間を過ぎてもやって来ない。

 今日は二人で婚約指輪を選びに行く約束だったのに。

 待って待って待ち続けて、繋がらない携帯電話を投げ付けようとして。

 ちゃらり~らら
 ちゃらりらりら~


 突然鳴りだした携帯電話の向こうで、知らない女性が叫んだ。

 知らない女性の第一声。

 聞き捨てならない台詞。

 夢のような時間。

『……病院です。
 失礼ですが、この携帯番号をお持ちの方のご家族でいらっしゃいますか?』



 恋人の葬儀を抜け出し、死んだ恋人が好きだった缶珈琲を買って待ち合わせの場所に立った時すでに、カワダさんは黒いワンピース一枚きりだった。





 黒いワンピースのカワダさんが話を終えたとき、マルタは手にしていたコーンポタージュを飲み干していることに気付いた。

 空になった缶は冷え、投げ付ければ軽い音を立てることをマルタは知っていた。



 黒いワンピースのカワダさんは、マルタが差し出した空き缶を不思議そうな目で見下ろした。

 マルタの缶は中身がなくて軽いから、恋人がもうケガをしないように替えてあげるとマルタは言った。



 黒いワンピースのカワダさんは、マルタが缶を交換すると泣き出した。
 マルタは大人の女性を泣かせてしまった自分が極悪人に思えて謝罪した。

『ごめんなさい』



 黒いワンピースのカワダさんは、首を振った。『違うの。

 ……ありがとう』



 黒いワンピースのカワダさんは、マルタが瞬きをした瞬間に消えた。



 雪がひとつはらりと舞い、黒いワンピースのカワダさんがいたはずの場所に落ちて溶けた。