「銀の聖女殿といえば、ご存知ですか? ご結婚前に何度か、この地を訪れになったことを」
「……いいえ。初めて聞きしました」
 老人は深くうなずいた。

「当時わが国は、貴国にとっては敵でありました。
 目の覚めるような銀色の髪、強い意思を放つ眼差し……美しい方でした。外見でなく、内面も。
 大変気に入られ、しばらく手元に置かれた方がいらっしゃいました」
「……え?」
「当時の、若きダーナ公爵。我が主の兄君であられました」
 え、とイルスは音にならない声を発して老人を見つめた。

「申し遅れましたな。
 この年寄りめは、かの悲劇の女皇、メダ様のお側付きでありました」

 偉大なる聖皇帝。
 その在位は百年を越える。

 その先代にあたる悲劇の女皇は若くして亡くなった。百余年前に。



「メダ様はお優しい方でした。
 お父上の生み出した乱世に、何度、涙されたことでしょう。
 父に疎まれた兄君を、励まし、愛し……その死を受け入れることができなかった。

 十三歳であられました。

 あまりにも、小さな肩でございました」



 老人はレセリアナを見つめた。
「人の肩というものは、そう強くはございませぬ。どんなに重いものを持ち上げることができようと、重すぎる責任には耐え切れぬようにできておるのです。

 聖女殿も、一度はその責任に押し潰されました。
 何度涙されたことでしょうか。何度命を絶とうとされたことでしょうか。

 支えたのは、心から案ずる周囲の人々でした。
 その人々に気づいたとき、聖女殿はもう一度立ち上がることができたのです」

 老人の手がレセリアナとスティードの手をとる。
「ご覧なさい。
 大きな手をしておられる。力強く、頼もしい腕です。
 しかしあなたの手は柔らかく、何人も傷つけはせぬでしょう。

 ただ強いだけでは、ただ優しいだけでは、人は生きてはいけぬのです。立っているだけでは前へは勧めませぬ。
 こうして互いの良いところを、弱いところを支えあって、やっと進んでいけるのです。

 一度砂漠をご覧くだされ。
 聖女殿が美しいとおっしゃった地でございます。

 夕日に紅く焼ける砂の大地で、彼女は生涯の伴侶と出会ったのです。
 広大なる土地で。歩きつづける人々の群れの中で。

 たった一人を、見つけたのです」

 そのときレセリアナは何を思ったのだろうか。何か悲しかったことを思い出したのだろうか。
 シワだらけの手を両手で推し包み、枯れた肌を潤そうとしたのか涙を零した。



 レセリアナが砂漠行きを承諾したのは、それから数日後だった。
 老人は労わろうと、イルスは思った。