「ちょっとだけ待ちたまえそこの君ィ!!」
朝っぱらから頭の痛くなるような高音だった。
何事だろうかと振り向いた少年は、視線の先にあるものをみて一目散に逃げようとした。
「でっ」
走り出そうとした足を何かに取られ、見事に転ぶ。
思いきりぶつけた鼻を押さえ、少年は自分の足元を見る。
何かに足を取られたと思ったが、それは比喩などではなかった。本当に何かが自分の足首を掴んでいた。
「ぎゃー!!」
それは砂だった。
砂でできた手が、少年の足首をしっかりと掴んで放さない。
「おやかたー!!」
少年の親代わりである親方は、叫び声を聞きつけて駆けつけた。
そして逃げた。
「おやかたー!!」
大人の狡賢さを知った瞬間、少年もまた大人になった。
「ちくしょー! へそくり場所バラしてやる!!」
親方はものすごい形相で駆け戻ってきた。
「しっかりしやがれ! 傷は浅ぇゼ!」
「バカヤロー! 見ろよ親方、手だよ手! 砂の手が……視線そらすなー!!」
少年の顔がすっ、と翳った。
恐る恐る少年が頭上を見上げると、先ほどの奇怪なものがいた。
「あぁ、よかった」
満面の笑み。
「君が、あれだろう?」
「……ひ、人違いじゃねーの?」
「いや君だ。君しかいない。わたしの胸の中の熱い衝動が君だけだと叫んでいる!」
少年は思った。
振り向くんじゃなかった。
その奇怪な男は、とりあえず人間の形をしていた。
だが、七色の鳥の羽をつけた大きなつばの白い帽子、金の巻き毛は頬のあたりから肩までくるくると渦を巻き、きらきらと輝く衣装の肩のあたりは丸く膨らみ、ぴったりと肌に張り付いた白いズボンらしきもの、高いかかとの細い靴───変だ。ものすごく。
「さぁ、証明してくれたまえ!」
「なにを!?」
「君が君だってことをさ」
少年は腕をつかまれ、引きずられて行った。
親方は逃げた。無事に帰ったとき、へそくり場所は絶対にばらしてやると少年は誓った。
井戸に近づくに連れ、足元から低い唸り声が近づいてくる。
井戸に手が届きそうになる頃には、もう水は溢れ出していた。
それはつい先日から起こりだした不思議なこと。少年が村の共同井戸に近づくと、水が溢れ出してくるのだ。
噂が噂を呼んで、隣村やちょっと遠い町の偉い人が少年に会いに来て、自分のところの井戸からも水を溢れ出してほしいと言ってきた。けれど、少年の住む村の井戸以外、水が溢れ出すことはなかった。
それが落ち着いた頃だった。
「あぁすばらしい!!」
噂はいったい、どこまで行ったのだろうかと少年は不安になった。
こんな変人まで呼びつけてしまうほど自分はすごいのだろうかと自問する。
「あんたさー」
どこから来たの? と聞こうとして、少年は口をあけたまま硬直した。
変人が……
「ぎゃー!!」
今度はもう誰も駆けつけてくれなかった。
「おやかたー!!」
残念ながら、少年には他に助けを求める相手がいなかった。そして親方はもう懲りていた。
少年は無情にも、顔から砂を流す変人と二人だけにされてしまった。座り込んだ少年にもドウドウと砂が落ちてくる。
「あんた、あ、あんた、ぺ、ぺぺ。か、かぺ、かかかか顔がとけぺっ、とととぺ、解けてるよー!!」
「あぁ、いけない」
変人はそう言って、顔を手でひとなでした。
すると不思議なことに、変人の顔は元通り人間の顔になる。
「えぇ!?」
ふふふふふ、と変人は笑った。
「いやいや、驚かせてすまない。
わたしは旅の者だ。
このあたりでは砂が多いからと思って、砂に溶け込んで移動していたのだよ。とても快適な旅ができるからね。
するとね、こんなに長く砂に溶け込んでいたのが初めてだったものだから、気を抜くと砂になってしまうようになってしまったんだよハッハハハハハ!」
ハハハハハ、と笑えるものなら少年も笑いたかった。
変人は変人どころではなく、ド変人だった。
「そこで君に頼みがある」
「は?」
なぜそこで自分が出てくるのか、少年にはさっぱりわからない。
「ぜひとも、この水の技を極めてもらいたい。そしてわたしとともに行こう」
前後のつながりがまったくないことくらい、少年にもわかった。
「あぁ、心配しなくてもいい。君にはすばらしい師匠を紹介しよう」
ド変人は少年の腕を取って立ち上がらせ、どこかへ連れて行こうとする。
少年は腕を振り払った。
「オレはどこにも行かねぇからな!」
「なんてことだ! そんなはずはない! 君は今、とても行きたくなっているはずだ!」
「なってない!」
「なぜ!?
温かいスープも冷たい果実も、澄んだ水も清潔な寝床もあるというのに!?」
「……なんで果実が冷たいんだよ。あんたバカ?」
「なんだって! 君は果実を冷やして食さないのか!?」
「なんだよ、しょくすって? 触手?」
変人は真っ青な顔で固まった。
「ぶ……」
「ぶ?」
「文化の違いとは恐ろしい。あぁ、わたしの探究心はいったいどこまで突き進むというのだろう……!!」
変人は頭を抱えて空を仰いだ。
少年は、ぶんかってなんだろう、と思った。
「いいだろう。君を我が門下へ迎えよう」
「もんか?」
「まずは初歩的なことから学ばなければならない。そう、とりあえず、言葉だ。ダナスタ人の言葉は非常に早口で、かと思えば間延びし、抽象的な部分が多すぎる」
「ちゅーしょー?」
「それから教養と学問に励みたまえ。君なら三年もかからないだろう」
「きょーよー?」
「……………………」
「なんだよ」
男は頭を抱えて空を仰いだ。
変わり者の代名詞とまでいわれる『砂のベルガスタッド』。
旅の途中、長いこと砂に溶け込んでいた彼は、気を抜くと砂になってしまうという、さらなる変人度を追加して帰還した。
あきれ果てた大魔導師は、彼に砂漠の守り番を命じた。
そのとき彼は、
「お願いですからあそこだけはご勘弁願います!」
珍しく拒否した。
どうやら噂では、手酷い失恋をしたということだった。
だが、大魔導師がそんなことで命令を取り下げるはずがなく、彼は砂漠の守り番となった。
哀れベルガスタッド。
後々、目の前のド変人が、地元の人間に見つからぬように砂に紛れて任務をこなすなどと知らない少年は、苦悩する変人を置いて仕事に向かった。
「これだから田舎者は!!」
いなかものってなんだろう、少年は思いながら二度と振り返らなかった。
朝っぱらから頭の痛くなるような高音だった。
何事だろうかと振り向いた少年は、視線の先にあるものをみて一目散に逃げようとした。
「でっ」
走り出そうとした足を何かに取られ、見事に転ぶ。
思いきりぶつけた鼻を押さえ、少年は自分の足元を見る。
何かに足を取られたと思ったが、それは比喩などではなかった。本当に何かが自分の足首を掴んでいた。
「ぎゃー!!」
それは砂だった。
砂でできた手が、少年の足首をしっかりと掴んで放さない。
「おやかたー!!」
少年の親代わりである親方は、叫び声を聞きつけて駆けつけた。
そして逃げた。
「おやかたー!!」
大人の狡賢さを知った瞬間、少年もまた大人になった。
「ちくしょー! へそくり場所バラしてやる!!」
親方はものすごい形相で駆け戻ってきた。
「しっかりしやがれ! 傷は浅ぇゼ!」
「バカヤロー! 見ろよ親方、手だよ手! 砂の手が……視線そらすなー!!」
少年の顔がすっ、と翳った。
恐る恐る少年が頭上を見上げると、先ほどの奇怪なものがいた。
「あぁ、よかった」
満面の笑み。
「君が、あれだろう?」
「……ひ、人違いじゃねーの?」
「いや君だ。君しかいない。わたしの胸の中の熱い衝動が君だけだと叫んでいる!」
少年は思った。
振り向くんじゃなかった。
その奇怪な男は、とりあえず人間の形をしていた。
だが、七色の鳥の羽をつけた大きなつばの白い帽子、金の巻き毛は頬のあたりから肩までくるくると渦を巻き、きらきらと輝く衣装の肩のあたりは丸く膨らみ、ぴったりと肌に張り付いた白いズボンらしきもの、高いかかとの細い靴───変だ。ものすごく。
「さぁ、証明してくれたまえ!」
「なにを!?」
「君が君だってことをさ」
少年は腕をつかまれ、引きずられて行った。
親方は逃げた。無事に帰ったとき、へそくり場所は絶対にばらしてやると少年は誓った。
井戸に近づくに連れ、足元から低い唸り声が近づいてくる。
井戸に手が届きそうになる頃には、もう水は溢れ出していた。
それはつい先日から起こりだした不思議なこと。少年が村の共同井戸に近づくと、水が溢れ出してくるのだ。
噂が噂を呼んで、隣村やちょっと遠い町の偉い人が少年に会いに来て、自分のところの井戸からも水を溢れ出してほしいと言ってきた。けれど、少年の住む村の井戸以外、水が溢れ出すことはなかった。
それが落ち着いた頃だった。
「あぁすばらしい!!」
噂はいったい、どこまで行ったのだろうかと少年は不安になった。
こんな変人まで呼びつけてしまうほど自分はすごいのだろうかと自問する。
「あんたさー」
どこから来たの? と聞こうとして、少年は口をあけたまま硬直した。
変人が……
「ぎゃー!!」
今度はもう誰も駆けつけてくれなかった。
「おやかたー!!」
残念ながら、少年には他に助けを求める相手がいなかった。そして親方はもう懲りていた。
少年は無情にも、顔から砂を流す変人と二人だけにされてしまった。座り込んだ少年にもドウドウと砂が落ちてくる。
「あんた、あ、あんた、ぺ、ぺぺ。か、かぺ、かかかか顔がとけぺっ、とととぺ、解けてるよー!!」
「あぁ、いけない」
変人はそう言って、顔を手でひとなでした。
すると不思議なことに、変人の顔は元通り人間の顔になる。
「えぇ!?」
ふふふふふ、と変人は笑った。
「いやいや、驚かせてすまない。
わたしは旅の者だ。
このあたりでは砂が多いからと思って、砂に溶け込んで移動していたのだよ。とても快適な旅ができるからね。
するとね、こんなに長く砂に溶け込んでいたのが初めてだったものだから、気を抜くと砂になってしまうようになってしまったんだよハッハハハハハ!」
ハハハハハ、と笑えるものなら少年も笑いたかった。
変人は変人どころではなく、ド変人だった。
「そこで君に頼みがある」
「は?」
なぜそこで自分が出てくるのか、少年にはさっぱりわからない。
「ぜひとも、この水の技を極めてもらいたい。そしてわたしとともに行こう」
前後のつながりがまったくないことくらい、少年にもわかった。
「あぁ、心配しなくてもいい。君にはすばらしい師匠を紹介しよう」
ド変人は少年の腕を取って立ち上がらせ、どこかへ連れて行こうとする。
少年は腕を振り払った。
「オレはどこにも行かねぇからな!」
「なんてことだ! そんなはずはない! 君は今、とても行きたくなっているはずだ!」
「なってない!」
「なぜ!?
温かいスープも冷たい果実も、澄んだ水も清潔な寝床もあるというのに!?」
「……なんで果実が冷たいんだよ。あんたバカ?」
「なんだって! 君は果実を冷やして食さないのか!?」
「なんだよ、しょくすって? 触手?」
変人は真っ青な顔で固まった。
「ぶ……」
「ぶ?」
「文化の違いとは恐ろしい。あぁ、わたしの探究心はいったいどこまで突き進むというのだろう……!!」
変人は頭を抱えて空を仰いだ。
少年は、ぶんかってなんだろう、と思った。
「いいだろう。君を我が門下へ迎えよう」
「もんか?」
「まずは初歩的なことから学ばなければならない。そう、とりあえず、言葉だ。ダナスタ人の言葉は非常に早口で、かと思えば間延びし、抽象的な部分が多すぎる」
「ちゅーしょー?」
「それから教養と学問に励みたまえ。君なら三年もかからないだろう」
「きょーよー?」
「……………………」
「なんだよ」
男は頭を抱えて空を仰いだ。
変わり者の代名詞とまでいわれる『砂のベルガスタッド』。
旅の途中、長いこと砂に溶け込んでいた彼は、気を抜くと砂になってしまうという、さらなる変人度を追加して帰還した。
あきれ果てた大魔導師は、彼に砂漠の守り番を命じた。
そのとき彼は、
「お願いですからあそこだけはご勘弁願います!」
珍しく拒否した。
どうやら噂では、手酷い失恋をしたということだった。
だが、大魔導師がそんなことで命令を取り下げるはずがなく、彼は砂漠の守り番となった。
哀れベルガスタッド。
後々、目の前のド変人が、地元の人間に見つからぬように砂に紛れて任務をこなすなどと知らない少年は、苦悩する変人を置いて仕事に向かった。
「これだから田舎者は!!」
いなかものってなんだろう、少年は思いながら二度と振り返らなかった。