悪魔というものは、未来を視ることができないらしい。
 では過去なら視れるのだろうか?

「というわけで、どうなんだ?」
「何がどうどうなんだ」

 外見は麗しき天使のようなこの男は、中身は悪魔だ。
 いいや、正確に言おう。悪魔のような人間だ。
 けれど悪魔だと、ユアンは思っている。信じて疑わない。

「おまえは過去が視れるのか?」
「過去? 視たいのか?」
「視れるのか!?」
「俺は、おまえは過去が知りたいのか、と訊ねた。俺は俺自身が過去が視れるとは言っていない」
「……………………」

 こんなヤツだ。



「唐突にどうした?」
 鼓膜を穏やかに震わせる声が訊ねた。

 母の庭は相変わらず美しい。
 深い緑の森。咲き乱れる花々。
 舞う蝶。歌う小鳥たち。
 黙ってじっとしていれば天使のような、しかし悪魔。

 召し使いたちが手入れをするのはこのあたりまでで、木々が森と錯覚するあたりからは立ち入りすら禁じられている。
 それでは無用心だとユアンは言うが、母はいつも笑って『大丈夫よ』と笑う。
 ユアンを第三位継承者から第一位継承候補者にしたときも、『大丈夫よ』と笑った。
 そんな人だ。


「ユアン?」
「母上はなぜ、こんなことをなさったんだろうか?」
「こんなこと?」
「ご自分の後継者を均一になさったことだ」

 ユアンには二人の兄がいる。だからユアン自身は第三位継承者だった。
 しかし母はつい先月、
『生まれた順で決めてしまっては、不公平だと思ったのよ』
と言って、息子たち全員を第一位継承候補者にした。ちなみに第二位は従兄弟たちだ。



「嫌なのか?」
「嫌と言うか……。俺は軍人が性に合っている」
 ユアンは士官学校を卒業してからつい先月、つまり第三位継承者であった間は、海軍人だった。

 訓練中に母の使者がユアンの乗っていた戦艦にいきなり突撃してきて、手早くユアンをさらっていった。あまりの手際のよさに、上司や部下はぽかんと口をあけて見ているだけだった。
 城に連れ戻され、母は息子とその従兄弟たちを並べ、爆弾発言をした。
 『おまえたちは今から第一位継承候補者、あなたがたは今から第二位継承候補者よ』と。

 爆弾発言からひと月はユアンも抵抗したが、母とその周囲に宥められ、一時的に海軍を辞めた。上司はいつでも戻って来いと慰めてくれたが、気休めだったような気もする。
 そして今、いわゆる帝王学の復習をさせられている。

 その教師がこの悪魔だと言うことも納得がいかない。しかもこの悪魔は、兄たちの教師でもある。
 もちろん、三人をみるのは一人ではできない。この悪魔は総合的な部分を担当している。

 いわく、『国庫が目に見えて減っている。
 税金の引き上げは昨年行った。穀物の生産は昨年度より七分多い。鉄鋼業は一割少ない。失業者率は一割を切った。発展途上国から貸金の話が出た。
 さて、どこから収入を増やす?』。

 どうやら兄たちはそれなりの答えを出したらしい。ユアンはまったくもって答えられなかった。

「おまえの講義にもまったく着いていけない」
「当然だな」
 この悪魔め!
 きっぱりと言われてさすがに腹の立ったユアンを見て、悪魔は笑った。

「上二人は城にいて、直接ではないにしろ政治に関わっていた。おまえは海であっちふらふらこっちふらふら、政治のセの字もない。
 それを無理やり引き剥がして、駆け引きだ面目だ、権利だ権力だと押し付けられれば、嫌にもなる」
「だったら……」
「だから、俺一人が引き受けている」

 兄二人は他にも教師がいて、それぞれに得意分野を伸ばしている。だがユアンだけはこの悪魔一人が専属で教えている。
 そのユアンへの講義がないとき、兄たちへ教授している。
 悪魔は休む必要がないのだろうか?

「なぜ、俺に関わる」
「おまえのためじゃない。安心しろ」
「なぜだ?」
 悪魔は苦笑した。
「ユティに頼まれた。末っ子は好き嫌いがヒドイ。特別に厳しく躾なおしてほしい、と」

 ユティは母の愛称だ。
 ユティリーア女王。三兄弟の母。

「それでどうしておまえなんだ?」
「ユティに聞け」
「何度も聞いた」
「それで?」
『適任だからよ』
 母はそれしか言わない。

「なぜ母上は、俺の教師におまえを指名し、俺まで第一位にしたんだ?」
「ユティに聞け」
「聞いた。答えは同じだ」
「では、俺からの答えも同じだ」
「…………」
 ユアンは歯噛みした。



「それで、どうして過去が視たいんだ?」
「母上がこんなことをなさった経緯を知りたい」
「本人に聞けばいいだろう?」
「聞いた。答えは同じだ。いつまで経っても、らちが明かない」

 悪魔は首をかしげた。
「おまえ自身の過去ではなく、母の過去が視たいのか?」
「そうだ」
「もしできたとしても、それはしないほうがいい」
「なぜ?」
「日記を書いたことは?」

 唐突な問いに、ユアンは眉をひそめる。
「ある。士官学校では義務付けられていた」
「それを読まれたことは?」
「教官が読む場合がある」
「他のものに読まれたことはあるか?」
 ユアンはしぶしぶ答えた。
「ある」
「気持ちのいいものだったか?」
「よくあるはずがない。最初から読まれることを覚悟していた教官ならともかく、他のものが見るとは……」

 はっと気づく。
 悪魔がにやりと笑った。

「人の過去は覗き込まないほうがいい」
「…………」
「それが大切な相手なら、なおさらだ」
「……………………わかった」



 ユアンがため息をつくと、それが諦めのためだと察した悪魔は、次の問題をつらつらと書き出した。